ノアの方舟が4000メートルのアララト山で発見された

 「ノアの箱舟」は、旧約聖書の「創世記」第6~9章に書かれているエピソードです。

 「ノアの大洪水は実際にあった」と言われる理由として、類似の洪水神話が世界中に存在することが挙げられる。シュメールの神話、メソポタミアの叙事詩、ギリシャ神話、中国の説話、ヒンドゥー教の聖典ほか、200以上の神話に「神が怒って洪水を起こした」「事前に船を作って逃れた人がいる」といった内容が書かれているという。

 箱舟の残骸が見つかったとも言われている。箱舟が流れ着いたと言われているのが、中東で最も高い トルコのアララト山。2010年、この山に登ったトルコと中国の考古学者チームが、標高4000メートル地帯に箱舟と思われる構造物を発見したという。チームが採取した木片の炭素年代測定を行ったところ、箱舟伝説と同時期の4800年前のものであることがわかり話題を呼んだ。「ノアの箱舟」は様々な神話の中で最も現実性のある話と思われている。

 幸福の科学大川隆法総裁の書籍『ノアの箱舟伝説は本当か』で、ノア の霊により、流れ着いたのがトルコのアララト山だったのかどうか、大洪水はどのようにして起こったのかなど、興味深い史実が明かされた。

 ノアの霊は、当初住んでいた場所に関して、「川はあった」「油分が豊富な木があった」などと描写したものの、当時は地図も無く、大陸の形も変わっていたためか、地理的な特定は難しかった。しかし、現在とは大きく異なる「地中海」や「サウジアラビア」「日本列島」の様子を語った。

 ノアは、ノアの方舟はトルコのアララト山に流れ着いたことを明かした。標高が4千メートル以上もある。「水位が4千メートルになるほどの雨が地球を覆った」とか言われておりますが、そのようなことは常識的に考えてもあり得ないでしょう。

 ところで、大川隆法総裁の著書『太陽の法』では、アトランティス文明が1万数千年前、大西洋上に実在し、3度に渡って大陸が陥没し、1万4百年前には地上からその痕跡が消えてしまったことを説かれています。アトランティスが沈没しはじめたのは、今から1万1千年ほど前です。まず最初に大陸の東3分の1が海中に没しました。さらに、1万7百年ほど前になると西の3分の1が沈みました。アトランティス大陸は真ん中の部分の三分の一を残すだけとなってしまいました。そして、今から1万4百年ぐらい前、アガシャー大王がアトランティスに生まれた時代のとき、反乱軍がアガシャー大王と王族を捕え、広場に生き埋めにするという暴挙にでたのです。その反動で、アトランティスは一昼夜にして海底に陥没するという信じられないことが起きました。

 アトランティス滅亡について、プラトンの「クリティアス」にも以下のように記述されています。「猛烈な地震と洪水が発生し、たった一昼夜の雨で勇武の人たちが皆一体となって地下に沈んでいき、アトランティス島も同じようにして消え、海面下に沈没した。そして、そのようなわけで、あの地方の海は通過できず、入り込むこともできないが、それは実に多量の浅い泥が邪魔なためです。これは島の沈下に起因したのです。」

 今から1万4百年前にアトランティス大陸が一夜にして水没するときに、ものすごい洪水が起こったとされる。ノアの時代の洪水と時代が合うという。

 ノアも、5、6000年前ではなく、この時代に大変動があったのではないかとほのめかした。

 「ノアの方舟」は、5、6000年前ではなく、どうやらアトランティス大陸が水没するときに引き起こされた洪水によるものと推察されます。ノアの方舟は標高が4千メートル以上もあるトルコのアララト山に流れ着いたという。とは言え、「4千メートルもの津波があった」とは常識的に考えられません。

 「ものすごい水位上昇、海面上昇があったということですか」という質問に、陸地について、「いや、そんなの、君ねえ、この地球の歴史では、もう上がったりは、ものすごくあるんだからさあ。海の底に沈んだり、上に出たり、これは、もう、けっこうあるんだって」(『「ノアの箱舟伝説は本当か P-106~107」』)と答えられました。

 海中に没する陸地があるときは、一方で他地域の これまで海であったところが新たに陸地となるということがあるという。陸地を形成するに足る岩石を、大規模な地盤沈下が起きたところから供給するのではないかと。

  参考 アジア・オセアニアの地殻に大変動が起きる予兆

 ところで、中東の地域はなぜ砂漠なのか。アトランティス大陸が水没する時代、この地域は海の底であったのではないでしょうか。そして、大変動で陸地になったが、草地のない砂漠となったと。

 そして、ノアの方舟が漂着したとされるアララト山は、当時標高がそれほど高くはなかった。激しい造山活動で隆起して、現在4千メートルとなったのではないかと、個人的にはそう思えてなりません。もはや「信仰」の領域かもしれませんが。