「孫子・兵勢篇(第五章)」に読むビジネスリーダー

組織を動かすには情報共有と情報伝達が不可欠

 能力のある管理職は、営業活動の「勢い」によって勝利を得ようとするものであり、個人の能力や人材に頼ろうとはしない。適材適所で人を選び、その勢いのままに活動させることができる。

 大きな組織を小さな組織のように統制するためには、合理的に組織編成を行わなければならない。

 組織を常にフレキシブルに動かし、情報伝達および共有を迅速に行うことは、企業間競争を勝ち抜く上で不可欠である。大きな組織を小さな組織のように一丸となって目標に向かわせるためには、指揮命令系統を確立しなければならない。

 組織を動かす時には、情報共有と情報伝達が欠かせない。これはいつの時代にも変わらない 組織運営の原点であるが、時代の変化によってやり方や道具は変えなければならない。

 組織を動かすためには、自分たちは何者で、目的地はどこで、今どこにいるのか、といった情報を共有し、いつ動くか、いつ止まるのかというタイミングを知る情報伝達ができていなければなりません。2500年前の孫子の時代には、それを旗や幟、鉦や太鼓で実現したわけですが、時代が変わってもその本質は変わらず、やり方や道具を変えて実現していかなければなりません。

『衆を治むること寡を治むるが如くするは、分数是なり。衆を闘わしむること寡を闘わしむるが如くするは、形名是なり。』第五章 兵勢篇

 大部隊を統率するのに、小部隊を統率しているかのように整然とさせることができるのは、部隊編成と組織運営がしっかりしているからである。大きな軍隊を小さな軍隊のように一丸となって戦わせるためには、指揮命令系統を確立しなければならない。

 大部隊を戦闘させるのに、小部隊を戦闘させているかのうように統制がとれるのは、旗を立てたり、鉦を鳴らしたり、太鼓を叩くなど、合図や通信、情報伝達がうまくいっているからである。

 戦争のとき、大勢の兵士たちを指揮していても、まるで小人数を指揮して動かしているようにきちんとできるのは、部隊を小分けして上手に組織編成しているからです。

 メンバーが好き勝手に動いていては、戦力的に敵を上回っていても勝つのは難しくなる。チーム全体の戦略・戦術がまずあって、期待される役割が生まれ、その役割を各自が果たすことで、チーム全体がひとつの意思のもとで動くから勝つ確率が高まる。まるで一人の人間であるかのように、チームがひとつになるのである。

 孫子は、5名を部隊の最小単位とした。企業ではどうか? 5名なら会議中に居眠りしてもすぐにばれる。1人がさぼると20%の戦力ダウンとなり、業績悪化に直結するため、嫌でも仕事に力を注がざるを得なくなる。仮に仕事が少なければ、役割を自分から求めることにもなる。このような5名1組のチームがいくつもあって、それらを全体の戦略・戦術に応じて使い分ければ、軍隊も企業も環境変化への対応は自由自在。生き残れる可能性が高まる。

『三軍の衆、畢く敵に受えて敗るることなからしむ可き者は、奇正是なり。兵の加うる所、石(たん)を以て卵に投ずるが如くする者は、虚実是なり。』第五章 兵勢篇

 全軍のすべての兵が、敵のどのような出方に対してもことごとく対応し、負けることのないようにできるのは、変幻自在に意表を衝く「奇法」と定石に則った「正法」の使い分けが絶妙だからである。攻撃を加えようとする時に、石を卵にぶつけたかのようにたやすく敵を撃破できるのは、敵の防除が手薄な「虚」に対して、充実し豊富な兵力である「実」をぶつけるからである。

 

正には奇 奇には正

 何事にも正攻法というものがある。企業経営にも正攻法、定石、セオリーがある。正と正でぶつかれば、より力の強い方が勝つのが道理である。相手が正攻法で来るなら、こちらは奇法、奇策で対抗しなければならない。

 営業活動というものは、常識どおりの正攻法で対応するのが原則であり、状況の変化、相手の出方に応じた対応で「イエス」と言わせるものである。  営業活動の上手な企業は、顧客のニーズ、市場の変化に対応して、臨機応変に常にその方法を変化させることができるので、常に新しく、その変化はつきることがない。  商売の駆け引きは、「押し」と「引き」の二通りしかないが、そのタイミングは極めることができないほど難しいものである。  そこで、最も大切なものが「勢い」というものである。営業活動の原則は、「勢い」と「節目」である。企業経営にも同じことが言える。

 様々な戦術は、正攻法と奇襲の組み合わせで考えられるものなのです。

『戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。故に、善く奇を出す者は窮まり無きこと天地の如く、竭きざること江河(河海)の如し。』第五章 兵勢篇

 戦闘においては、正法によって相手と対峙し、奇法を用いて勝利を収めるものである。だから、奇法に通じた者の打つ手は天地のように無限であり、揚子江や黄河のように(大河や海のように)尽きることがない。

定石通りに立ち会い、奇策で状況に対応する

 相手が正で来れば こちらは奇で、相手が奇法で来れば こちらは正法で受ける。何が正で何が奇なのかは、相手との組み合わせにもよる。  正とは目に見える動き(有形)、奇とは目に見えない動き(無形)とする解釈もある。目に見えるもの、目に見える形、目に見える兵隊の動きだけを考えていてはダメである。目には見えない背後にある因果関係、力関係、情報の流れや意図や狙い、そして士気などもある。  

 戦略的な意図や狙いを持って作戦を立てる。その段階ではまだ無形であり「奇」である。実際に動けば、それが「正」となり、相手にも見えるようになる。すると、相手はこちらの意図を推し測って、対抗しようとする。そこではまだ形がなく奇である。しかし、それが実行に移されれば、目に見える形「正」となって、それによってまたこちらの動きも変わってくる。「正」と「奇」は循環して尽きることがなく、その組み合わせは無限である。「正」には「奇」、「奇」には「正」。相手の出方によって、「正」が「奇」になり「奇」が「正」にもなるわけだから、常識的、固定的に考えてはならない。

戦いは 正攻法で会戦し、奇法をもって勝つ

 成功するためには、まずはオーソドックスな方法を基本とし、状況変化に応じ臨機応変な応用的方法を用いらなければならない。

 戦闘というものは、定石どおりの正法で不敗の地に立って敵と会戦し、情況の変化に適応した奇法でうち勝つのである。

 戦略の基本は正、そこへ奇を加えると勝てる。正とは、正統的で定石通りの戦略であり、奇とは、意外性をもった戦略である。奇正の組み合わせが重要で、その組み合わせにはいろいろなバリエーションがあり、それを考え抜くことが肝要である。

『終わりて復た始まるは、日月是れなり。死して復た生ずるは、四時是れなり。声は五に過ぎざるも、五声の変は勝げて聴く可からざるなり。色は五に過ぎざるも、五色の変は勝げて観る可からざるなり。味は五に過ぎざるも、五味の変は勝げて嘗む可からざるなり。戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝げて窮む可からざるなり。奇正の還りて相い生ずるは、環の端なきが如し。孰か能く之を窮めんや。』

 終わってはまた始まる。尽きることがないのは、太陽が昇っては沈み、月が満ちては欠けるようなものである。死んではまた生き返り、果てることがないのは、四季の移り変わりのようなものである。

 音(音階)は、宮・商・角・徴・羽の5つに過ぎないが、それらを組み合わせた調べは無限であり、すべての音楽を聴き尽くすことはできない。色は、白・黒・青・赤・黄の5つに過ぎないが、それが混じり合って生まれる色の変化は無限であり、すべての色を見尽くすことはできない。

 味覚は、酸:すっぱさ・辛:からさ・醎:しおからさ・甘:あまさ・苦:にがみ の5つしかないが、その組み合わせによる変化は無限であり、すべてを味わい尽くすことはできない。これらと同様に、戦い方には「奇法」と「正法」があるに過ぎないが、その奇と正の組み合わせは無限であって窮め尽くせるものではない。正から奇が生まれ、奇から正が循環しながら生まれる様は、まるで丸い輪に端(終点)がないようなものである。誰がそのすべてを窮めることができるでしょうか。

 奇と正の二つの基本形の組み合わせも多様で、その多様さの中からの選択こそが、戦略の選択の肝だと孫子はいう。

 孫子は、奇正の組み合わせを考えることの重要性を説いているだけではない。奇正の順序が大切だとも考えている。まず、正の戦略をきちんともち、その路線で動き出して、後に奇を加えるのが勝負の肝、というのである。

 なぜ、まず正なのか。二つの理由があると言う。

 第一に、自分の活動基盤を堅牢にするものとして、正が必要である。それがあるから、いろいろな動き、「奇」をその後に付け加えられる。その基盤を作るのが正の戦略なのである。

 第二に、敵の意表をつく奇が効果をもつためには、相手の予想をまず正で誘導する必要がある。その予想を相手がもっているからこそ、はじめて予想の裏をかく奇手が生きてくる。つまり、相手の予想の裏をかくような行動をとるためには、まず相手に「こんな行動をとる可能性が高い」という予想をもたせなければならない。そのために正が必要なのである。

 自分の側の柔軟な行動への基盤の準備、敵の側の予想の誘導、この二つの意義を正の戦略がもつのである。そして、特定の状況で二つの意義のどちらがより重要であるにせよ、とにかく正なしの奇は意味をもたない。

 一つの正に一つの奇が組み合わさって成功すると、その成功が次の段階の正の基盤となり、さらに別な奇が加わってさらなる勝利をもたらす。最初の奇が終わると、その奇正のミックス全体がつぎの正となり、そこから新しい正と奇のダイナミクスが始まる。それはまさに孫子が想定した通りの戦略展開のパターンである。 

 奇中に正あり、正中に奇あり、正から奇が生まれ、奇から正が生まれるという循環過程である。丸い輪には端がない、どこを端と指定することはできない、という比喩で、正と奇のダイナミクスを孫子は表現しているのである。そして、そのダイナミクスのパターンは無数にあり、誰も窮めることができない。

 

勢いとタイミング

 『兵勢篇』では、「奇・正」の使い分けとともに、勢いに乗ることの重要性も説いています。

 企業経営においては、勢いとタイミングが求められる。積水の計で水を満々と溜めたとしても、それを一気に決壊させるタイミングがズレたら、せっかくの積水が無駄になってしまう。パワーを蓄積していても、それをダラダラと長期間に渡って放出させたのでは、効果が薄い。逆に、短期間に一気に集中して動こうとしても、蓄えられたエネルギーが少なければ大したことにはならない。

 新商品の投入や新規事業への参入は、まさに時間をかけて力を溜めた弩を一気に解き放つものだと言える。新商品、新規事業が斬新で独自性の高いものであればあるほど、タイミングが難しい。顧客の認知もなく、ニーズが潜在化している状態で、知名度の低い中小企業が新しい商材を投入すると、啓蒙や市場創造に時間がかかって息が続かないことが少なくない。かと言って、中小企業が大企業に先行されてから後追いでついて行ったのでは話にならない。二番煎じである。

 営業活動において、タイミングを逸した無駄な努力、訪問、提案は徒労に終わることが多い。

『激水の疾くして、石を漂わすに至る者は勢なり。鷙鳥の撃ちて毀折に至る者は、節なり。是の故に善く戦う者は、其の勢は険にして、其の節は短なり。勢は弩を彍るが如く、節は機を発するが如し。』第五章 兵勢篇

 普段はビクともしない岩が激流によって流されるのは、水に勢いがあるからである。水自体に岩を動かす力があるわけではない。猛禽が一撃で獲物を打ち砕くのは、絶妙なタイミングで急降下するからである。鳥の足自体に力があるわけではない。

 孫子は、戦いにおいて持っている以上の力を発揮するためには、勢いとタイミングが必要だと説いた。ここでは、弩すなわち石弓の弦を引く、勢いの蓄積と一気に溜めた勢いを解き放つ、引き金を引く瞬間に喩えて教えいる。より多く、より大きな勢いを蓄積し、最適なタイミングで短時間に集中して放出する。その組み合わせが重要なのだと。

 戦いにおいては、混乱はすぐに穏やかになり、怯えは勇気に変わリ、弱者は強者に変わるものである。混乱するかしないかは軍の力で決まり、怯えるかどうかは軍の勢いで決まり、弱者になるかどうかは軍の態勢によって決まるのであると言っています。 

『乱は治に生じ、怯は勇に生じ、弱は強に生ず。治乱は数なり。勇怯は勢なり。強弱は形なり。』第五章 兵勢篇

 混乱は整然と統治された状態から生まれ、臆病さは勇気の中から生まれ、弱みは強みから生まれるものである。乱れるか治まるかは、組織編制(分数)の問題である。兵士が尻ごみするか勇敢になるかは、勢いの問題である。強みとなるか弱みとなるかは、軍の置かれた態勢や軍形による。

 

利によって客を動かす

 企業経営においては、常に顧客の視点を持って自社の事業を組み立てるということだと考えること。顧客の利を知るということである。顧客はそもそも何を自社に求めているのか。顧客の求めているもの、利が明確になった後で、やはり低価格化に対する要望が大きいということであれば、そこで安くするためにはどうするかを考える。

 自社の売上目標や利益目標を実現するために、顧客の立場、顧客の視点から見て、どういう価値が実現されれば良いか、どういう利点があれば良いのかを明確にする。

 まず、「財務の視点」として、売上や利益の目標を設定する。財務的な数値で表す目標を実現するためにはどうすれば良いのかを考える。すると、多くの企業はいきなり自社が努力すること、取り組むことを考えようとする。だが、自社都合、自社商品の押し売り、ゴリ押しになりかねない。過去からの延長で「頑張ろう」という掛け声をかけることにしかならない。  

 二番目には「顧客の視点」が入る。顧客の立場に立って、どういう価値が提供されれば、その売上なり利益なりを自社に認めて下さるのかを考える。

 三番目に「業務プロセスの視点」である。どうすれば実現できるのか、自社にどのような業務プロセスが回れば価値提供が可能なのかを考える。

 四番目に「人材と変革の視点」というものが入る。ここで、人の問題や組織体制、教育などが検討される。理想を語るのは簡単だが、実行していくのは個々の社員である。社員のレベルアップや教育や体制作りも考えなければ、絵に描いた餅になってしまう。

 顧客の利から発想し、その利を実現して見せることで、顧客はその利をとる。それによって、こちらの思うように顧客を動かせるようになるのです。これが孫子の兵法である。CS(顧客満足)経営とは違う。

 顧客を得るためには、顧客の利益になることをはっきりと示せば、それに反応するし、その利益を与えれば必ずそれを欲する。利益を見せて誘い、その裏をかいて こちらの利益とするのである。企業発展の基本は、社会に「利」を与えることであり、営業の基本は顧客に「利」を与えることである。

 「名将とは、個人個人の兵の能力に頼らずに、勢いを重視して戦うものである」と言っています。

『善く敵を動かす者は、之に形すれば敵必ず之に従い、之に予うれば敵必ず之を取る。利を以て之を動かし、卒を以て之を待つ。』第五章 兵勢篇

 巧妙に敵軍を動かす指揮官は、敵が動かざるを得ないような態勢を作って、思うように敵を動かし、敵の利益になるようなエサをちらつかせて、これを得ようとする敵をまた意のままに動かす。すなわち、相手の利によって相手を動かし、知らずに動く敵を準備して待ち受けるのである。

 孫子は、治乱、勇怯、強弱は、固定的なものではなく、常に入れ替わり、そして、あくまでも相対的なものであって、絶対的なものではないと指摘した。安心したり、慢心したり、油断していてはいけない。「陽極陰転」、「陰極陽転」。その時のポイントが「数」「勢」「形」である。「数」は、分数のことで、組織編制や組織運営ノウハウを言う。それを動かす時の勢いが「勢」。同じ人、同じ組織でも、勢いがある時とない時ではパフォーマンスが全然違う。そして、それがプラスに働くかマイナスに働くか、強みとして生かされるか、弱みになってしまうかは、その軍形、態勢、敵味方の配置による。これが「形」である。

 そして、敵味方の駆け引きにおいて、孫子は、敵が動かざるを得ないような態勢に追い込めばそのように動くし、敵の利益になるようなエサを撒けばそれを得ようとする敵は思うように動くものだと説いた。相手の利は何かをつかむことで先回りして待てば良いのです。

 

勢いを作る

 戦いに巧みな指導者は、戦闘における勢いによって勝利を得ようとし、兵士の個人的な力に頼ろうとはしない。適切な人を選び出し、勢いを生むように人員配置ができるのである。戦場での勢いを巧みに利用する指導者が、兵士たちを戦わせる様は、まるで木や石を坂道に転落させるようなものである。木や石の性質は、平らな場所に安定していれば静止しているが、傾いた場所では動きやすい。方形であれば止まっているが、円形であれば動き出す。したがって、兵士たちを巧みに戦わせる勢いとは、丸い石を千仭の(高い)山から転げ落としたように仕向けることであり、これが戦いの勢いというものである。

 企業の競争力を強化するためには、人材を適材適所に配した組織全体での最適化をはからなければならない。異なる組織構造をミックスし、指揮命令系統を多次元化するマトリックス組織や、複数の部門から多様なメンバーを集めて構成されるクロスファンクショナルチームなどのコンセプトが登場しているが、その本質は「能く人を択びて勢に任ぜしむ」に通じる。

 優れた経営者は、事業展開において組織を勢いに乗せることを重視し、個人の技量に頼らないのです。

 良い戦い方とは、兵士一人一人の行動に期待するのではなく、勢いに乗じて一瞬で力を発揮するものである。

『善く戦う者は、之を勢に求め、人に責めず。故に能く人を択びて勢に任ず。勢に任ずる者の、其の人を戦わしむるや、木石を転ずるが如し。木石の性は、安ければ則ち静まり、危うければ則ち動き、方なれば則ち止まり、円なれば則ち行く。故に善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仭の山に転ずるが如き者は、勢なり。』第五章 兵勢篇

 戦いに巧みな指導者は、戦闘における勢いによって勝利を得ようとし、兵士の個人的な力に頼ろうとはしない。適切な人を選び出し、勢いを生むように人員配置ができるのである。戦場での勢いを巧みに利用する指導者が、兵士たちを戦わせる様は、まるで木や石を坂道に転落させるようなものである。木や石は平らな場所に安定していれば静止しているが、傾いた場所では動きやすい。方形であれば止まっているが、円形であれば動き出す。したがって、兵士たちを巧みに戦わせる勢いとは、丸い石を千仭の(高い)山から転げ落としたように仕向けることであり、これが戦いの勢いというものである。

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