『アイム・ファイン』 「さわやかに生きるには」
人間がさわやかに生きている」と言えるのは、どのようなときでしょうか。そのための条件を挙げてみましょう。
第一の条件 潔さ
まず、「潔さ」ということを挙げたいと思います。
現代人では、潔いという人をあまり見かけなくなりました。弁解や言い訳が多くて、なかなか反省ができず(まさにどこかの御仁みたいですな)、非常に理屈っぽくなっているのが現代人の特徴です。
したがって、「自分は、弁解や言い訳をする傾向が少し強くなってきた」と感じたときには、潔さということを思い出してください。
人間には失敗が付き物ですが、失敗したとき、それを潔く認めることは、魂が前進するための方法です。失敗したときに潔さがないと、次のステップに、なかなか踏み出せないのです。
幸福の科学大川隆法総裁は、『感化力』で以下のように説かれました。
「『幸福への道標』では、さわやかに生きていると言えるための条件として、まず、「潔さ」ということを挙げています。
現代では、潔い人をあまり見かけなくなりました。弁解や言い訳が多くて、なかなか反省ができず、非常に理屈っぽくなっているのが現代人の特徴です。学校の勉強や、社会に出てから経験することの影響もあるのでしょうが、現代人には言い訳をする癖があります。知恵がつくと、いろいろと理由をつけたがる傾向が生じてきて、心の素直さを失っていく面もあるのです。
したがって、「自分は、弁解や言い訳をする傾向が少し強くなってきた」と感じたときには、潔さということを思い出してください。
人間には失敗が付き物ですが、失敗したとき、それを潔く認めることは、魂が前進するための方法です。失敗したときに潔さがないと、次のステップに、なかなか踏み出せないのです。
潔さを言う人は、現代では、ほとんどいなくなりました。そういうことを言うのは「忠臣蔵」の時代あたりが最後であって、現代人は言わなくなっていると思います。
しかし、「潔い」という言葉の意味を心に刻んでおくだけでも大事なのです。
次には、「多くの人たちに分け与えて、見返りを求めない態度」を挙げてあります。
こういう人は、ほんとうに少なく、百人に一人もいませんが、よく目を凝らして見ると、やはりいることはいるのです。
したがって、そういう人間になろうと思うことが出発点です。
朝、「おはようございます」と言って、人々の胸に花をサッと差し込んで、スーッと通り過ぎていくような人格を目指すことです。
いつも心掛けていると、やがて、風のように自然に通り過ぎていける性格になることができます。ぜひ努力してみてください。」
さわやかさの利点は、一つは、それ自体、心穏やかに平静に生きていられることを意味すること。
もう一つは、引っかかりを持たないことで、他の人々を害さないこと。
人生、毎日毎日、一日一日を、感謝して生きることで、さわやかに生きていくのが大事である
さらに総裁は『成功の法』で以下のように説かれました。
「私は「さわやかさ」には次の二つの利点があると思います。
一つは、「さわやかであること自体が、心穏やかに、平静に生きていられることを意味する」ということです。「心穏やかに、平静に生きていられる」ということ自体が、非常に価値のあることであると私は思うのです。
何が苦しいといって、心が動揺し、浮き沈みが激しいときほど苦しいものはないのです。やはり、そういう心の浮き沈みを通り越して、穏やかな湖面のような、穏やかな海のような、さわやかさがあればこそ、人は幸福を感じられるのだと思うのです。
したがって、私は、そこに、「心の平静さ」という価値を発見するのです。
「さわやかな」という形容詞で表される場合に重要な、もう一つの点は、「他の人々を害さない」ということです。さわやかな人は、決して他の人々を害さないという面があるように思います。他の人を害して生きている人を数多く見るにつけても、「さわやかな人が数多く出てくることが、世の中がよくなっていく秘訣である」と、つくづく感じるのです。
では、なぜ、さわやかな人は、他の人を傷つけずに生きることができるのでしょうか。それは、一つには、引っかかりというものを持たないからだと思います。
実際に、いろいろな人と話をしてみると、必ずしも自分と意見の合う人ばかりではありません。また、必ずしも自分の考えが相手に受け入れられるわけでもありません。
ところが、さわやかに生きている人というのは、他の人とのあいだに起きた摩擦を、必ず、見事な潤滑油でもって乗り切っているように感じるのです。そして、「不愉快なことは、できるだけ小さく受け止め、押し流していく」という気持ちで生きているのではないかと思います。
「さわやかさというものによって、これほどまでに人々が生きやすくなっていくのだ」ということを、つくづくと感じる次第です。
さわやかな人にとって、大切な心構えというものがあるように私は思います。それは、「毎日毎日、一日一日を、感謝して生きる」ということです。
人生は、長いように思っても、やはり、一日一日の積み重ねです。その一日一日をさわやかに生きつづけるためには、一日の枠のなかで人生を完結させながら、その日の問題をその日のうちに解決し、嫌な思いを翌日に持ち越さないことが大切なのです。
このようにして、さわやかに生きていくということが、大事なのではないでしょうか。一日前、二日前、三日前、半年前、一年前の引っかかりを持ち越していると、なかなか、さわやかには生きられないものです。「生きていく上で起きてくる、さまざまな波風を、どのように乗り切っていくか。どのようにさわやかに乗り切っていくか」ということが、人間に課せられた課題でもあると思います。」
さわやかに生きるために
常にポジティブに、積極的で前向きで、未来志向の生き方をすること。
じとじとした暗い面を捨て、スパッと割り切って、明るく生きていくこと。
それは、心の持ち方一つでできることである
総裁は、『ハウ・アバウト・ユー?』で以下のように説かれました。
「常に、ポジティブな生き方、すなわち、積極的で前向きで未来志向の生き方ができる人になってください。
難局に当たったときに、勇気を持って決断し、それを乗り越えることができる。見事にやり遂げ、突破できる。
そういう姿勢で生きている人を、世の中の人々は「さわやかに生きている」と感じるのではないでしょうか。
じとじとした暗い面を捨て、スパッと割り切って、明るく生きていくことです。そういう生き方が、さわやかで良いと思います。
悩んだり、愚痴を言ったり、迷ったりする要素は、いくらでもあるでしょうが、それを言っていても、しかたがありません。また、そういう人には、他の人もついてきてはくれません。
自分の悩みに対しては、適当なところで「見切り」をつけなければいけないのです。
「この辺で、もう悩むのはやめておこう」
「死んだ人は帰ってこないのだから、これ以上、悔やんでも、しかたがない」
「悩んでいても借金は自然には減らない。とにかく前向きに闘っていくしかない」
そのように、決然とした気持ちを持ち、「一歩でも二歩でも進んでいこう」と思うことが大事です。
そういう人は、見ていて、すっきりしていて、とても気持ちが良いものです。ぜひとも、そのような人になりたいものです。
それは、心の持ち方一つでできることであり、それほど難しいことではありません。」
第二の条件 見返りを求めない態度
次に、「多くの人たちに分け与えて、見返りを求めない態度」を挙げたいと思います。
こういう人は、ほんとうに少なく、百人に一人もいませんが、よく目を凝らして見ると、やはりいることはいるのです。
「そういう人間になろう」と思うことが出発点です。
朝、「おはようございます」と言って、人々の胸に花をサッと差し込んで、スーッと通り過ぎていくような人格を目指すことです。
いつも心掛けていると、やがて、風のように自然に通り過ぎていける性格になることができます。ぜひ努力してください。
第三の条件① 生命の有限を悟る
三番目に、「自分の生命を、ある意味で有限なものとして、また、別の意味では無限なものとして、悟っていること」を挙げたいと思います。
やや、禅問答のような説明ですが、「生命が有限である」とは、要するに、「いま生きている人間は、早い人は数年以内に、遅い人でも何十年か先には地上を去る」ということです。
いま生きている人で、百年後にも生きている人は、ほとんどいません。家族や親戚、隣近所の人なども、一人残らず死ぬことになっています。「みんな死んでいくんだな」と思うと、周りの人々がかわいそうに見えてくるでしょう。そして、自分自身も、何年か何十年かとには死んでいく身であり、この地上を去っていかなければならないのです。
しかし、幸福の科学では、死んだあとには来世があることを保証しています。やがては地上を去らなくてはならない以上、「人々の心のなかに、何かさわやかなものを遺していきたい」と思うのが当然ではないでしょうか。
第三の条件② 生命の有無限を悟る
一方、「生命が無限である」とは、「人生は、幾らでも、やり直しがきく」という意味です。これは非常に大きな愛なのです。
死後、来世で地獄に堕ちるのは辛いことであり、怖いことだと思います。しかし、「地獄に堕ちても、魂を消滅させられることがない」というのは、ありがたいことです。
しかも、地獄で何百年か修行すれば、天国へ還ることができます。そして、もう一度、地上に生まれ変わらせてもらえます。
「一回きりの人生であって、取り返しがつかない」と思えば、じたばたと見苦しい生き方をするかもしれませんが、もう一回、さらには二回、三回、四回、五回、六回……と、やり直すチャンスは何度でもあるのです。 宗教的には、転生輪廻を単なる苦痛としてのみ考える見方もありますが、「これほど失敗ばかりしているのに、魂を消滅させられることなく生かしておいてもらっている。ありがたいことだ」と達観することも大事です。
そういう気持ちを持っていると、さわやかに生きざるをえなくなります。
アイムファインな人になるための言葉26
1 屈託なく生きよう。
2 「悩みの種」は、「自分を育てる種」。
3 結局は、自分との戦い。
4 心の根の部分が仏とつながっている。
5 転げるたびに大きくなっていく。
6 天命にいちばん添ったなかで、自分を光輝かせる。
7 完璧な人生ではなく、よりよい人生を生きる。
8 「幸福を選びたい」という気持ちを持つことが大事。
9 幸・不幸は自分の心がつくっている。
10 自分も、まんざら捨てたものではない。
11 賞賛ノートをつけてみる。
12 体力がないと、物事の判断が悲観的になってくる。
13 問題と見えてくるものは、実は自分自身のカルマにすぎない。
14 仏は、その人が背負いきれない問題は与えない。
15 自分を客観的に分析し、全体で見て、自分なりの結果を出せるよう工夫する。
16 困難を解決すると同時に、いつも新たな道を開いておく。
17 スランプの克服の、いちばんの方法は、他の人々を喜ばせるなかにある。
18 自分も他人も、大きな流れのなかで魂修行をしている。
19 理解できたら愛せる。
20 「敵か味方か」、ここから間違いが始まる。
21 成功しない人は、上司を尊敬していない。優秀な部下に嫉妬する人は、出世が止まる。
22 強さあってこその優しさ。
23 与えきりにして、それを忘れる。
24 生命の有限と無限を悟る。
25 愚痴を言ってよくなった人は、いまだ一人もいない。
26 考え方は非常に強い力を生む。
『成功の法』から
魅力ある人生を生きている人は数多くいるかもしれません。しかし、そういう人々のなかで、私が「うらやましいな」と思えるような人は、ほんの一握りしかいません。それはどういう人かというと、魅力ある人生をさわやかに生きている人です。魅力ある人生そのものを生きている人は数多くいますが、「さわやかだ」と言える人は、そう多くないように思います。 では、「さわやかな人」とは、いったいどのような人でしょうか。私は「さわやかさ」には二つの利点があると思います。 一つは、「さわやかであること自体が、心穏やかに生きていられることを意味する」ということです。「心穏やかに、平静で生きていられる」ということ自体が、非常に価値あることであると私は思うのです。
何が苦しいといって、心が動揺し、浮き沈みが激しいときほど苦しいものはないのです。やはりそういう心の浮き沈みを通り越して、穏やかな湖面のような、穏やかな海のような、さわやかさがあればこそ、人は幸福を感じられるのだと思います。したがって、私はそこに「心の平静さ」という価値を発見するのです。さわやかな人にとって、心構えというものが私は思います。それは、「毎日毎日、一日一日を、感謝して生きる」ということです。人生は長いように思っても、やはり、一日一日の積み重ねです。その一日一日をさわやかに生きつづけるためには、一日の枠のなかで人生を完結させながら、その日の問題をその日のうちに解決し、嫌な思いを翌日に持ち越さないことが大切です。 私には、愛の思いを介さない成功というものは、底が浅いように思えてなりません。その人が、本当に成功したひとでああるかどうかは、愛の思いを持ち続けることができたかどうかに、深くかかわっているのです。愛なき成功は、ほんとうの成功ではないのです。
人生の見方が変わるかもしれない、前向きになれる13の言葉
元気のないときは、何気ない一言が心に響いたりするものです。
何気ない友人の発言、他愛もない本に書かれた言葉など。
そんな自分を前向きにしてくれる小さな13の言葉をご紹介します。
1.自らに誓う。
2.何ものにも心の平安をかき乱されないよう、強くなる。
3.会う人すべてと、健康、幸運、発展について語る。
4.友達みんなに、自分には価値があると感じてもらう。
5.物事の良い側面だけを見る、そして楽観的なことを真実にする。
6.最善のことだけを考える 最善のために努力する、そして最善を期待する。
7.自分の成功を願うように、人の成功にも熱心になる。
8.過去の失敗は忘れて、未来の偉大な成功に塗りつける。
9.いつも明るい表情を身につけて、生きとし生けるものすべてに笑顔を向ける。
10.自己改善に多くの時間を使う。他人を批判する暇がないほどに。
11.心配するには大きすぎ、怒るには高貴すぎ、恐れるには強すぎ、トラブルの存在を認めるには幸せすぎる。
12.自分のことをよく思い、その事実を大声ではなく、偉大な行いによって世界に宣言する。
13.世界は自分の味方だと言う信仰を持って生きる。
つらい日があっても、小さな言葉でちょっとだけ進む力を与えられたら、ほんの少し前に進むことができたら、なんとかなるのではと思えます。