本来の資本主義の精神は弱者を救う

 これからの経済学の柱となるシュンペーターとハイエクの経済学、ドラッカー経営論、そして二宮尊徳精神のような宗教的価値観も重要です。

 「資本主義の終わり」の原因の一つとして、バブルの発生と崩壊を繰り返す極端なマネー経済と「格差」の問題が指摘されていた。これをどう考えていけばよいでしょうか。

 2008年からのリーマン・ショック前後から、日本でも世界でも「格差拡大」に対する批判が強くなっている。フランスの経済学者トマ・ピケティの『21世紀の資本論』が世界的なブームとなっているのはその一つです。

 同書の主張は、過去100年の統計データに基づけば、経済成長率よりも資本の収益率(資本家の取り分)のほうが大きいから、資本家は金持ちになる一方で、労働者との格差が拡大し続けるというもの。マルクスによる「資本家に富が集中し、労働者は必ず窮乏化する」という予言がよみがえったかたちだ。

 この主張に対しては、「一賃金労働者の立場でも、20年や30年前の人たちよりはるかに豊かな生活をしている」と言えば終わりなのだが、許容できる「格差」が極端なものになってはいけないという問題は残る。

 現在の資本主義にそうしたいびつさがあるならば、本来の資本主義とはどういうものなのか。幸福の科学大川隆法総裁は、以下のように説かれました。

「結局、資本主義の精神とは何かというと、実は、『仕事をつくっていく能力』なんですよ。ですから、『仕事をつくり、富を生み出し、個人が豊かになる。そして、個人の豊かさの一部が、国家や社会に対する貢献になり、あるいは、足りざるところ、遅れているところに対する穴埋めとなって、いわゆる弱者を助けたり引き上げたりするために使われていく』というスタイルでなければいけない。この意味において、自助努力の精神は、弱肉強食を肯定する思想ではありません」(『HS政経塾 闘魂の挑戦』より)

 ハンナ・アーレントは、「活動」の場は公的領域であり、経済活動である「仕事」や「労働」の場は私的領域であるとした。ただ、本来の資本主義が、たくさんの人に仕事をつくり出し、彼らとその家族の生活を支えるだけではなく、広く弱者を助けるところまで責任を負うならば、経済活動も「公的領域」に入れるべきだろう。また、仕事を得ることによって、政府に面倒を見てもらうのではなく、自分の人生を自分で決定できる人たちが増えるということは、ある種の「自由の創設」でもあると理解すべきです。

 本来の資本主義が復活するならば、マルクス経済学の出番はもう要らなくなる。

 

二宮尊徳が重視した貧民の自立救済

 ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、近代資本主義の起こりを分析し、宗教的な救いを求めて勤勉に働く「世俗内禁欲」のメカニズムを明らかにした。ただ、稼いだお金をどう使うべきかについてはほとんど触れられていない。

 一方、二宮尊徳に始まる「日本型資本主義の精神」では、「弱者を助ける資本主義」が明確にある。

 江戸末期に農村復興や藩政再建を行った経世家・二宮尊徳は、「勤労、分度、推譲」からなる報徳生活を唱えた。勤勉に働き、倹約して蓄財し、貧民が自立できるよう救済するために使うというものだ。

 特に「推譲」については、以下のように語って重要視していた。

 「人として一日も推譲がなければ、人倫の道は立たない」「推譲は人の道であり、争奪は禽獣の行いである」

 「私は幼い時から、人が禽獣と異なるのは譲道にあると考え、すでに40年余りもっぱら譲って怠らない。廃村を興して富ませ、貧しい藩を再建し、百姓を安心させ、憂い苦しみを取り除いてきたのも他でもない、この譲道を行ったためである。天下国家の治平は譲道にあり、衰廃危亡は奪道にある」

 尊徳は、「神道も仏教も儒教も教えは一つ」だとしてそれぞれから学び取り、利他の精神、慈悲の心を「推譲」の思想に結晶化させた。

 こうした尊徳流の資本主義の精神からすれば、アメリカの一部の経営者が極端に高い収入を得ていることは、もしかしたら「人の道から外れた禽獣の行い」かもしれない。

 ウェーバーは1920年の時点で、同書の最後にこんな“予言”をしている。

 「営利のもっとも自由な地域であるアメリカ合衆国では、営利活動は宗教的・倫理的な意味を取り去られていて、今では純粋な競争の感情に結びつく傾向があり、その結果、スポーツの性格を帯びることさえ稀ではない。将来この鉄の檻の中に住むのは誰なのか、そして、この巨大な発展が終わるとき、まったく新しい預言者が現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、それとも そのどちらでもなくて 一種の異常な尊大さで粉飾された機械的化石と化することになるのか、まだ誰にも分からない」

 「粉飾された機械的化石」とは、資本主義の精神が失われ、株式会社や金融機関、マーケットなどの“抜け殻”だけが残っていることを意味するのかもしれない。

 「かつての思想や理想の力強い復活」とは、資本主義の精神についてとことんまで突き詰めて考えたシュンペーター、ドラッカー、ハイエクの復活かもしれない。

 そして、これからの時代の資本主義のバックボーンとなる宗教的価値観は、既に「新しい預言者」によって説かれているかもしれない。

 

人間は未来を変えることができる存在

 総裁は、経済学として何を勉強すべきかについて聞かれた質疑応答で、以下のように答えている。

「今は主流ではないけれども、シュンペーターとハイエクの経済学は勉強しておかなければいけません。彼らが言っていることは基本的に正しいのです。経済学としては傍流のほうに近いと思いますが、彼らの言っていることのほうが正しくて、今、主流になっている経済学のほうが、実は間違っているのです」(『知的青春のすすめ』より)

 加えて、「実用性の経済学、実践の経営学」として、ドラッカーの理論を絶対に学ぶべきだと述べている。

 企業活動については主にシュンペーターとドラッカー。それに関連して、特に政治制度、法制度をどうするかはハイエク。それに加えて、新時代の資本主義のバックボーンとなる、尊徳精神のような新たな宗教的価値観。これが、富を創り出す学問としての「未来創造学」の基本となる。

 その理由として挙げているのが、企業家や人間の本質について深く探究している点である。

「人間は『未来を変えることができる存在』なんです。だから、企業家というのは、とても偉いのです」

「やはり、人間の力をもう少し信じなければいけないと思いますね」

 一人ひとりの魂が地上に生まれ、魂修行を経験する中で、自由意志と智慧の力によって、自分の未来だけでなく、互いに協力し、国や世界の未来をも変えていくことができる。それが「後世への最大遺物」を遺すことにもなる。

 これからの時代の経済学の理念も「自由からの未来創造」である。新しい経済学を構築し、それが現実に生かされる時、今より何倍にも繁栄した次なる文明を創り出すことができる。