ビジネスに善悪があるか

 ビジネスに善悪があるのかどうか。もちろん、企業が人に害を与えたり、欠陥商品を売ったりすれば、社会的責任が問われる。しかし、中国の政権による国民への抑圧や世界支配の野望まで責任を負えない、というのが企業経営者の正直な気持ちでしょう。

 ただ、アメリカを見ている限りは、「お金には色がついている。中国とのビジネスには、『いいお金』もあれば、『悪いお金』もある」という方向に動いている。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『富の創造法』の中でこう指摘する。

「やはり、本当に値打ちのあるものを常に求めることが大事です。他人ができないものをつくり、それが値打ちを持っていることです。『真・善・美』にかかわる何かを持っていることです。倫理的な何かを持っていることです。神仏の願いに適う何かを持っていることです。そういう仕事を、他人よりもいっそう勤勉に働いてすることが大事なのです」(2019年6月の法話「ミリオネイア発想法」)

 また、法話「現代の武士道」ではこう述べた。

「損得勘定で言えば損になるけれども、『これは誰かがやらないといけない』『自分ができることであるなら、自分がやらないといけない』と思うことであれば、やはりそれを直言して、ものを言わないといけないときもあると思うのです」

 

サムライ経営者がいない?

 ビジネスで常に「正義」を前面に出すわけにはいかないだろうが、大事な局面では筋を通す「サムライ経営」「武士道経営」と言うべきものは持っておきたい。

 企業は収益を上げられなければ存続できないわけだが、「欲を一部抑えて、公の利益のために行動する」ことが長期的に企業を守り、ビジネスを発展させると考えるべきなのだろう。

 かつては出光興産の出光佐三のように、「士魂商才」を唱え、国益を常に考えながら日本のエネルギー供給を担い続けた経済人がいた。

 しかし、今の財界には「サムライ経営者」があまり見当たらない。

 ビジネスにおける「真・善・美」の探究・実践について考えてみます。

 

1 真 幸福や生きがい

 ビジネスにおける「真」は、大川総裁が「ミリオネイア発想法」で述べているように、「他人にできない、本当に値打ちのあるものをつくる」ということだろう。それは、自社にしかできない商品・サービスを通じて顧客に「満足」を与え、何かしらの幸福をもたらすこと。「経営学の父」ドラッカーが企業のマネジメントの役割として挙げた「自らの企業に特有の使命を果たす」「仕事を通じて働く人を生かす」ことに通じる。

 社員は仕事を通じて人の役に立ち、幸福にすることができれば、大きな生きがいを感じる。企業家、経営者は、本当に値打ちのある商品・サービスを生み出し、社員に生きがいを提供し続けることが、ビジネスにおける「真」と言えそうです。

 幕末の農政家で、「日本の資本主義精神の父」でもある二宮尊徳は、「神仏から与えられた個性や長所を一人ひとりが生かすことで繁栄できる」という「報徳思想」を説いたが、「真」は神仏の子としての幸福感を高めることだとも言える。

 

2 善 神仏が願う社会

 ビジネスにおける「善」は、その企業の商品・サービスを通じて、社会が良くなることだと言えそうだ。ドラッカーはマネジメントの役割の三つ目として「社会の問題について貢献する」ことを挙げた。

 その企業が社会に悪影響を与えなかったり、人を堕落させないという最低限の倫理が求められる。さらには、社会に良い影響を与え、人を向上させることができればなお素晴らしい。宗教的に言えば、神仏の子としての魂修行の環境をより良い方向へと変えていくということになる。

 例えば、現代はさまざまな分野で人工知能の導入が進み、仕事の自動化・無人化が加速しているが、IT系の企業が栄えても、失業者が大量に生まれる社会ができ上がる可能性がある。

 企業や経営者の「善」の実践として、神仏が願う方向で社会が変化するかどうかの洞察、価値判断が求められている。

 

3 美 富を神仏のために

アメリカ勃興期の実業家アンドリュー・カーネギーは、「富は神から富豪に授けられたものであり、富豪は富の受託者として、公共に還元するべきである」と説いた。その考え方を実践し、3千以上の大学や図書館、教会などに寄付した。

 企業や経営者にとっての「美」は、さまざまに解釈があるだろうが、「富を神仏の理想のために生かすこと」と定義したい。

 この考え方を実践し、その意義を世の中に啓蒙したのが、アメリカ勃興期の実業家であり篤志家のアンドリュー・カーネギーだ。鉄鋼会社を創業して大成功し、その富を3千以上の大学や図書館、奨学基金などに寄付した。

 カーネギーは「富は神からの預かりもの」だとして、「最高の富の生かし方は、今は貧しくても勤勉で向上心あふれる人を助けることである」という信念を実行した。

 これは、カーネギーとほぼ同じ時代を生きたイギリスの経済学者アルフレッド・マーシャルが説いた「経済騎士道」の実践でもある。マーシャルは貧困問題の解決のために、資本家、企業家が自ら率先して富を還元する高貴な精神の重要性を訴えた。

 日本で明治の文豪・幸田露伴が唱えた「幸福三説」の「惜福」「分福」「植福」は、「経済騎士道」そのものだ。「分福」は他の人に幸福や富を分け与え、「植福」は未来のために幸福の種を植えることであり、その利他や自己犠牲の精神には「美」が宿っている。

 

対中ビジネスの「真・善・美」

 「真・善・美」にもとづいて考えると、中国の企業は、値打ちのある商品・サービスを生み出し、社員に生きがいを提供しているように見える。ただ、中国共産党との関係が密接な企業ほど、人権・宗教弾圧を支えていることになり、「善」に反する。

 米トランプ政権はそれに気づき、民間企業にも「善」なる行動を求めている。かたや、日本企業は善悪の判断をうやむやにしたまま、中国市場で稼ぐことに専念している。

 そうやって稼いだお金が社会に還元されても、「美」と言えるかどうか怪しいと言うしかない。

 日本企業の「中国ファースト」は終わりにするしかない。少なくとも「損をしても、ものを言う」経営者でなければならない。

 

「真・善・美」のユートピア経済

 日本中、世界中の企業や経営者が「真・善・美」を実践すれば、神仏の願うユートピア社会に近づく。それは、神仏の心に近い思いを持ち、行動している経営者やビジネスマン、企業がさらに繁栄する社会である。

 大川隆法総裁は、著書『ユートピア価値革命』で、ユートピアの増進に貢献する企業については、その商品・サービスの値段が高く設定できたり、借入金利や税率が安くなる社会制度の改革を提言した。

神仏の心に反し、ユートピアを後退させる企業は、商品・サービスの値段が下がり、高い金利・税金となる。

 そのモノサシは、「真・善・美」が中心となる。

 

ユートピア経済の方向性

 ユートピアを増進する商品・サービスの値段は、高く設定できる

 ユートピアを増進する事業は、有利な金利で資金が借りられる

 ユートピアを増進する企業は、税金が安くなる

 

ユートピア増進の企業に減税

 企業が本当に値打ちのある商品・サービスをつくると同時に、数多くの社員に生きがいを与え、大企業へと発展していくならば、「真」の価値は高まっており、低い金利や税率でも構わないということになる。大企業に低税率を課すのは今の常識に反するが、ユートピア社会ではあり得るのではないでしょうか。

 企業にとっての「善」は、社会が神仏が願う方向で変化していくかどうかだが、例えば、その国の貧困の克服のために努力する企業があるならば、税金を安くして全面的に支援すべきだろう。アメリカには企業や資産家が貧困地区の再開発のために投資したら、減税してもらえる制度がある。こうした制度を広げる中でユートピアが前進する。

 世界レベルでは、100億人に近づいていく人口問題をどう解決できるかが大きな課題だ。新エネルギー開発や食糧増産技術、宇宙への移住、海洋での居住を進める事業などに投資する企業に対し、低金利・低税率を適用し、人類の未来を拓きたい。

 

収益を上げ、寄付も集める

 「美」が「富を神仏の理想のために生かすこと」だとするならば、企業が積極的にユートピアを創り出す事業を展開した場合、事業からの収益だけではなく、篤志家からの寄付も集めることができるかもしれない。

 例えば、近年の日本は地震や台風、火山噴火など天変地異が続いているが、これらの天災のパワーを減殺し、被害を最小化する科学技術を手にできるならば、世界の富豪たちも寄付したくなるだろう。あるいは、核兵器も含めて武器を無力化できる技術ができ、国同士の対立を戦争を経ないで解消できるとしたら、これも投資だけでなく、寄付も集まってくる。

 企業は、事業を通じて収益を上げつつ、同時に寄付も集める新しい組織形態に生まれ変わることになり、そこにこれからの時代の企業制度の改革が始まる。

 2020年代は、「真・善・美」を体現した企業が日本から次々と生まれ、世界に「正義」を示す時代にしたいものです。