現代に必要な「至誠」

「松陰精神」は欧米の思想より前にあった

 「尊王攘夷」「倒幕」などのキーワードから、明治維新の震源地として知られる吉田松陰を、あくまで「日本史」という枠の中で輝く存在と捉える向きもある。

 だが、幸福の科学大川隆法総裁は、2013年、山口市で行った法話「時代を変える信念の力」の中で、日本を背負って立つ人材を多く育てた松陰について、「現代経営学を先取りした精神が長州にありました」と指摘し、こう続けた。

「松陰精神には2点あります。『長所に目をつけて人材登用し、新しいイノベーション、新機軸を打ち出していくような国にしなければいけない』ということ、『激誠の人が不遇をかこつような世の中をつくってはならない』ということです」

 確かに、ドラッカーもイノベーションの大切さを強調しながら、「長所で人を使わなければいけない。人の短所ばかりに目が行く人は、組織を大きくできない」「経営管理者にとって決定的に重要なものは、誠実さである」と繰り返している。つまり、欧米のマネジメント思想が体系化される以前に、「松陰精神」はあった。

 

国家経営者を育てた思想

 松下村塾は、総理大臣2人、国務大臣7人、大学創立者2人を輩出した。藩が正式につくった藩校ではなく、数ある私塾のうちの一つ。松陰が教えた期間も2年余りという短さを考えれば、この人材育成力は奇跡的である。

 これほど人を感化した理由は、松陰の志の高さ、ビジョンの大きさにあったのではないか。

「彼は、道義を基調とした平和国家の道をすでに百年前に構想していたのである。しかも、彼は、外国にも自分と同じ正義の士がいることを考えるようになっていた。一国の平和から、世界の平和を、道義を志す人たち、民生を厚くすることを考える人たちによって作ろうとし、また作りうると考えていく方向にあった」(池田諭著『吉田松陰』)

 松陰が教えた松下村塾には、92人の塾生が通ったと言われていますが、そのうち約6割が1年余りしか学んでいません。

 なぜ、そんな短期間で 久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、品川弥二郎など、倒幕の端緒を開き、総理大臣や国務大臣になる人材が多く育ったのか。それは「高い志」があったからです。

 松陰先生は「松下は陋村と雖も、誓って神国の幹とならん」という言葉を遺しています。

「片田舎の松本村であっても、ここから日本を背負って立つ人材を育てたい」、あるいは「そうした人材になろうではないか」と塾生を鼓舞した。まず、志を立てるのが松陰先生の人材育成の特徴です。町人や百姓などの身分にかかわらず志で人を見た。まさに「草莽崛起」です。

 

どんな人間も善導できる

 松下村塾の教育の土台になったのが獄中教育です。

 松陰が萩の野山獄に入った時、他に11人の罪人が入れられていました。49年間入りっぱなしの人もいて、皆、希望も何も持っていない。そこで孟子などの講義をするわけですが、書道や俳句ができる人を師匠として互いに学び合った。すると、罪人たちが勉強に励むようになり、生きる希望を持ち始め、獄を見張る看守まで一緒に学び始めた。

 なぜそういうことができたのか。それは、松陰の考え方の根底に、孟子も説いた「性善説」があったからでしょう。「人間は善から出発している。だから、どんな人でも必ず善導できる」という信念があった。

 塾生一人ひとりを見る松陰先生の目は、非常に鋭く、厳しく、そして、優しい。どんな立場の人も一人の人間として認め、真心を持って接しました。

 後に初代内閣総理大臣になる伊藤博文の人物評でも、「僕頗るこれを愛す」と結んでいるように、松陰先生はいろいろな書き物の中で、「愛す」という言葉を多用しています。もちろん叱ってもいますが、行間から優しさがにじみ出ている。久坂を褒めることで高杉を奮起させるなど、常に長所を見て人材を育てました。

 

現代に必要な「至誠」

 松陰の活動の原点は、「幕府に任せていては日本は西洋の植民地になる」という危機感です。ただ、幕府を倒して終わりではありません。天皇を中心とする王政復古を背骨とし、「その後の日本はどうあるべきか」まで見据えています。

 安政5(1858)年に書いた論文「学校を論ず、付けたり作場」では、国力を高めるには人材養成が急務であり、身分を問わず学校に人を集め、早急に日本の近代化・工業化を成し遂げなければいけないと記した。工学教育の必要性も説いた先進的な論文です。

 鉄の大砲を鋳造する際に必要な萩の反射炉や松下村塾などが、「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されました。日本の産業革命の大もとは、すでにその論文に書かれています。他にもさまざまな書き物の中で、国防体制はもちろん、未来の日本に必要な教育体制、社会体制、政治体制、国家体制を論じ、近代国家・日本のあるべき姿を示しています。

 今の政治家はつまらない揚げ足取りばかりして本当に情けない。もし、今、松陰が生きていたら、「お前たち、何をぐずぐずしている! 150年以上前に言ったことを、まだできていないではないか!」と叱られるはずです。

 松陰の一生を貫くものは「至誠」という言葉で表現できますが、現代にもそういう人物が出て来なければいけません。

 どんな立場のリーダーも「自分、組織、日本はどうあるべきか」を問い続けるべきです。

参考

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