ソクラテス「学問とは何か」

 幸福の科学大学シリーズ72「ソクラテス「学問とは何か」を語る」にて、ソクラテスは、学問を「産婆術」という比喩を使って次のように説明しています。

 「つまり、真実の中身を覆っているもの、外側の覆いの部分を取り除いていくこと。これによって真実が現れてくる。まあ、そういう知的な作業をすることが「学問」ということになりますね。ある意味においては、学問とは「産婆術」でもあるわけで、まあ、哲学とも同義かと思いますけれども、哲学っていうのは、哲学自体というプロセスがあるんじゃない。母親が赤ん坊を産むときに、産婆がそれをお手伝いする。本来、自分で産み落とす力はあるんだけれども、それを介添えして、手伝って、産湯を使わせて、取り上げる。このお手伝いをするところが「学問の機能」だと思うんですね。赤ん坊そのものは、学問をつくることはできないんですよ。それは、つくるものではなくて、存在しているものなんです。もうすでに、この宇宙に存在している真理を、どのようにして発見するかということなんですね。その存在しているものを発見する方法の一つとして、やはり、間違っているもの、真理に反するもの、あるいは、知識人だと思って自分を偽って飾っているけれども、それが偽者であるということなどを、ピンセットでつまんで、その“偽者の皮”を剥がしていく。まあ、そういうことによって、「真理」が明らかになってくるという過程なわけですね。 われわれの考えは「学問っていうのは、もともと、神様が創られた世界の真理を明らかにすることだ」というものです。これが学問の定義です。「神様が創られた世界の真理を明らかにすることが学問である」ということです。」(p.27-28)

 以上がソクラテスの語る「学問の定義」です。一定の理論に基づいて、それを「真理」であると見立てて、体系化を図ってもそれは学問とは言えないわけです。