タイムベース・マネジメント

 理念経営を実現するための戦略は次の2つである

 ・タイムベースマネジメント

 ・知力ベースマネジメント 

 これは、経営(Going Concern)をしていく上での基本戦略であると同時に、社員個々人が、セルフヘルプ的な幸福を実現する上でも重要な戦略的生き方であり、考え方であるからです。

参考

 この「時間」という資源をいかに使うか。ここに幸福になるための鍵があります。なぜなら人類において公平な資源は1日24時間という時間だけだからです。アーノルド・ベネット氏は、『自分の時間』という本の中で、「人生のすべては、時間の利用の仕方で決まる。幸・不福もここにかかっている」と言い切っています。重要なことは、「How to live on 24 hours a day」、すなわち、「一日24時間を使ってどうやって幸福になるか」ということです。「漫然と24時間の中を生きる」のではなく、「幸福になるために、どう24時間を使うか?」を考えることです。

 別の言葉でいうと、究極のタイムベースマネジメントは、『一日一生』ということです。これは、内村鑑三氏の本の題名でもありますが、聖書に出てくる「一日の苦労は一日にて足れり」という言葉がベースにあります。色々と苦しいこともあるだろうが、一日の苦労は今日の一日だけで十分である。悩みや苦しみを次の日に持ち越すのはやめ、次の日はまた新しい一日を始めなさい。そして、毎日を今日で命が終わっても悔いの残らないように精いっぱい生きなさい、というような深い意味合いのある言葉だと思います。

 

人生は「生まれつきの才能」では決まらない

 最初の論点は、人生は「生まれつきの才能」では決まらないということです。

 普通、頭の良し悪しや運動能力などは すべて「生まれつきの才能」だと言う人が多いと思います。たとえば、学生時代、数学の点が悪かった人は「自分は数学の才能がなかったからだ」と言います。本当は「数学の勉強が嫌いだった」ということではないでしょうか。当社は理系の方が多いのでそういう方は少ないのかもしれませんが、文系の人間は、大抵の場合、中学か高校で数学の問題が解けずに苦しんだ記憶があるものです。それで「自分は才能がない」ということにして、その後一生数学の勉強をすることなどない人はたくさんいます。

 そういったように、高校のテストの点が悪かったり、クラブ活動で活躍できなかったりすると「自分は頭が悪い」「身体が弱い」「自分は○○の才能がない」「自分は○○が苦手だ」等々が口癖になってしまう人がいます。しかし、よく考えてみるとたった3年間のことなのです。それで結果が出なかったからと言って、自分は頭が悪い人間だと決めつけているのです。

 「あなたは、結局、すべてを才能のせい、生まれつきのせいにして努力することから逃げているだけはありませんか」ということです。厳しい言い方ではありますが、自分で自分に「頭が悪いから○○できない」と努力をしないための言い訳をしているだけのことではないでしょうか。

 しかし、よく考えると、逆なはずで、才能がないから努力すべきであって、才能がある人は努力しなくても良いのです。ですが、才能のない人の方が「才能がない」と嘆いて努力を諦め、才能のある人の方が何倍も何倍も努力していることが多いように思います。

 ほとんどの場合、「頭の良し悪し」「才能のあるなし」は結果論であることが多いように思います。

 

意志が弱い人ほど「よき習慣」が大事

 次に、出てくる言い訳は「意志が弱いから」という言い訳です。ある大学教授のように「能力」を身につけるため、磨くために、地道な努力を何年も続けていると「あの人は意志が強いからできるのだ」と言われます。しかし、これも全く逆だと思います。「意志が強い」なら習慣化しなくてもできるのではないかということです。「意志が弱い」からこそ習慣の力に頼らざるを得ないのだと思います。続けられないから、習慣化するのだと思います。

 ベネット氏の本にも「自分の時間をコントロールするようになりなさい。自分の時間を予算化しなさい、そのためには習慣化することです」と書いてあります。

 ポイントは、習慣で得たものを必ず成果(アウトプット)に結び付けることです。なぜかと言うと、インプットばかり続けていると、努力が進化しないからです。人に話したり、勉強会をしたりなんでもいいので、アウトプットする機会が大事です。いつまでも「勉強中」ではいけないのです。そういう時期も大事ですが、続くとこれも言い訳になります。そして、習慣化できなくなるのです。どういう習慣を選ぶかは完全に自己責任ですし、自由に決めることができますが、成果に結びつけようと意識して習慣化することが大切です。

 

「必要なもの以外残らない」という法則を受け入れる

 言えることは、基本は「必要なもの以外残らない」という法則に忠実になることではないかと思います。なぜなら、うまくいかない原因として、会社を取り巻く経営環境や市場が変わったり、個人であれば、役職が変わったり、経営方針が変わったりする中で、様々な理由でその会社や個人に「求められているもの、能力、役割等」が変わっているのに気が付かないことが多いからです。しかし、これはそうなってみないとわからないことや、やってみないとわからないこともあります。

 世の中から求められている能力が変わったのだと気づいた時に、素直に変わろうとするかどうかがポイントです。これができる人は立派な人です。素直に反省し、客観的に自分を見て、自己変革できる人は本当に素晴らしいと思います。ほとんどの人の場合、今まで通りやっているのになぜダメなのかがわからず、自分を変えようとはしません。むしろ<

殻に閉じこもってしまう人の方が多いように思います。ですから、難しいことではありますが、自分を客観視することを忘れずに、会社も個人も「世の中にとって必要な存在」になることを常々考えて仕事をすることが大事なのです。

 幸せになるということは、世の中の人に喜んでもらえる存在になるということでもあるので、その努力をしているかどうかを時々自分に問うてみてください。

 

「能力」を変えると「環境が変わる」

 環境が変わらないから人生が変わらないと思っている人も多いと思います。

 たとえば、暮れになると「今年もあっという間に一年が過ぎた」と挨拶のように言い、環境の変化がないことを嘆きます。子供のころはあんなに一年が長かったのに、歳を取ったら一年はあっという間だという方も多いことでしょう(ジャネーの法則)。それは、時間に追われるように、「時間軸」の中で生きることに慣れ、「感性軸」「感動軸」で生きられなくなるからです。

 十年一日のごとく代り映えのしない仕事をしているという方もいます。そういう方は、たいてい環境が変わらないからだと言います。しかし、「環境が変わらない」最大の理由は、「その人の能力が変化していない」からではないでしょうか。自分の仕事は全然代り映えしないと思っている方は、ぜひ一度自分に問いかけてみてください。現実には「能力」が変わったのに「環境が変わらない」ということはないと思います。たとえば、ゴルフでも、最初は初心者同士でやっていても、段々上手になって、腕が上がってくるとシングルプレイヤーの方と一緒にラウンドするようになるのと同じです。

 このように、能力が変わるといつの間にか付き合う人が変わりますし、仕事の内容も変わります。全く新しい人間関係ができたりもして、環境が変わってくるのです。能力には、いろんな能力がありますが、どんな能力であっても能力が変わると環境は間違いなく変わります。自分の時間を有効に使い、新しい能力を手に入れると環境は変わるのです。

 年齢に関係なく、みなさんの「能力」が変わり、一定のレベルを超えた時、必ず環境も変わってくるのです。自分には才能がない人と思っていた人であっても、一定のレベルを超えた瞬間から自分を取り巻く環境が変わってきます。それはなぜかというと、見識が高くなると、その見識に見合った人が引き寄せられてくるからです。全く知らない方であっても、偶然出会い、あっという間に意気投合して、深い関係が築けることもあります。そうして人脈が変わり、環境も変わってきます。嘘のような話ですが、本当にそういうことは起こるので試してみてください。若い方々は、まずはプロとしての自分の専門領域を深掘し、磨いていくといいのではないかと思います。

 

時間は有限の資源

 どのようにして時間を縮めていくか、どのようにして仕事速度を速めていくか、どのようにして成果を出すまでの時間を速くするか。

 これがいかなる組織の仕事においても大切である。

 

意思決定の速度

 「タイムベース・マネジメント」は、意思決定の速度を上げるということでもある。

 大きな組織になると階層が増えるので、どうしても意思決定が遅くなり情報が届くのも遅くなるので、どうやってアクセスタイムを短くするかをみな苦労している。

 さらには、なるべく現場に近いところに判断させ、そもそも決裁しなくてもよいようにする方向に時代は流れてきてい

 幸福の科学大川隆法総裁は、『社長学入門』で以下のように説かれました。

「この「タイムベース・マネジメント」は、「意思決定の速度を上げる」ということでもあります。
 大きな組織になると、階層が増えるので、どうしても意思決定が遅くなりますし、情報が届くのも遅くなります。これをどうやって崩し、アクセスタイムを短くするかということで、現代の企業はみな苦労しているのです。大きな組織では、アクセスタイムを短くするために、電話、ファックスなど、文明の利器をいろいろと使っているわけです。
 釈迦教団において、釈迦は四十五年間、何をしていたかというと、私がインドを視察して感じたかぎりでは、「大部分の時間は歩いていたのだ」ということが見えるのです。教団の拠点と拠点の間は、二百キロも三百キロも距離があるので、一年のうち、ほとんどは、移動のために歩いていたわけです。「雨安居で、雨宿りをし、“夏休み”を取っていたとき以外は、ほとんど歩いていた」ということです。
 そういう意味では、やはり、生産性は低かったと言わざるをえないのです。
 現代では、その歩いていた部分が、活字になったり、CDやDVDになったり、衛星中継になったりしているので、生産性は上がっているわけです。
 このように、昔に比べて、現代では、人生の長さは同じであっても、使える時間が増えています。無駄なものを排除し、アクセスタイムを短くすることによって、時間を生み出すことができるようになっているのです。
 したがって、新しい企業、ベンチャー企業をはじめとして、現在、急発展中の企業は、どこも、「タイムベース・マネジメント」を使っており、「どうやって速度を上げるか」ということを考えています。
 さらには、「そもそも、決裁しなくてもよいようにする」という方向に時代は流れてきています。「判子を二十個も三十個も押すようなやり方は、もう時代遅れである。なるべく現場に近いところに判断をさせる」という方向に、流れは来ているのです。」
(36~39ページ)

 

 時間は有限の資源である。

 「時間を縮める」あるいは「回転率を上げる」という方法は、成果を大きくする方法である。

 究極のタイムベース・マネジメントは、「一日一生」「一日の苦労は一日にて足れり」ということである。

 総裁は、『社長学入門』でこう教えておられます。

「時間は有限の資源です。誰にとっても一日は二十四時間であり、組織で働いている人たちの時間を総計しても、人数分以上に増えるものではありません。しかし、発展性の高いものは、どれもみな、常に、「どのようにして時間を縮めるか」というところに視点があります。時間を縮めることによって、発展するのです。例えば、新幹線ができたことによって、日本のGDP(国内総生産)がそうとう膨大なものになったのは事実です。それは、一日にできる仕事の範囲が非常に広がったことを意味しています。東海道を寝台車で下らなければならなかった時代、あるいは、歩いていかなければならなかった時代に比べて、GDPが増大した理由は、移動の時間が縮まったことにあるのです。「時間を縮める」、あるいは「回転率を上げる」という方法は、成果を大きくする方法です。季節商品というものがありますが、「夏のもの、夏の商品は、夏になったらつくる」ということだけならば、一年のうち、あとの季節は手が空いている状況になります。「一年のうち、夏にしか生産活動や販売活動を行わない」という考えもあるかと思いますが、夏のものであっても、冬の間につくることのできるものもあります。例えば、「アイスクリームは夏につくるもの」と考えているかもしれませんが、冬につくって、それを保存しておいてもよいわけです。こういうこともありえます。時間の観点で行うと、いろいろなことが変化してきます。「どのようにして時間を縮めていくか。どのようにして仕事速度を速めていくか。成果を出すまでの時間を、どのようにして速くするか」ということは、主として、次の成果を生むためのプロセスになります。一つのことが解決しないと、なかなか次のことには取りかかれないものですが、時間の部分を縮めると、それだけ次の仕事に早く取りかかれるのです。究極の「タイムベース・マネジメント」は、「一日の苦労は一日にて足れり」ということです。「一日一生」という言葉がありますが、「その日のうちにできることは、その日のうちに全部やってしまう」ということです。これは大事なことであり、「時期が来なければ働かない」「ほかの事情があってできないので、今日はしない」などということは、「タイムベース・マネジメント」から外れていることなのです。「いかにして、時間を縮めていくか。いかにして、やり方を短縮していくか」ということが大事です。時間を縮めることは、同時に、時間を生み出すことになります。例えば、ある場所へ行くのに、新幹線なら三時間かかるけれども、飛行機なら一時間で着くとすれば、二時間分を余分に働けるようになるわけであり、その分の時間が生み出されたことになるのです。」

 悟りの言葉によって、マネジメントの要諦を教えられる。

参考

 なお、1934年から1964年までの30年間で、東京-大阪間の移動時間は8時間から4時間へと半減し、日本の実質GDPは1375憶ドルから5393憶ドルへと4倍になった。また、1956年から1992年までの36年間で、東京-大阪間の移動距離は7.5時間から2.5時間へと3分の1に短縮され、実質GDPは2602憶ドルから2兆4152憶ドルへと約9倍になったというデータもある。一人当たりの実質GDPでは3倍になったという試算もある。

 年商1億円の企業が、様々な工夫で会社平均50%の仕事のスピードアップを実現した場合、1年半分の仕事を1年でやることになる。そうすると、計算上は1億5千万円の売上になると考えることも出来る。

 経営学では、タイムベース競争戦略は日本発とされている。

 時間は、経営の業績を左右する基本的な変数である。時には、時間のほうが金よりも一層重要な業績のパラメーターになることもある。実際、戦略の武器としては、時間は金や生産性、品質、それにイノベーションとさえ同等である。

 今日では、時間は競争優位獲得の最先端の方法である。

 「時間を縮める」「回転率を上げる」「その日に出来ることはその日にやってしまう」「意思決定の速度を上げる」などである。

 これは、「いかにして時間の無駄をなくすか」という問いかけでもある。

 ドラッカーは、『経営者の条件』でこう指摘している。

 「仕事には、時間を無駄にするものがたくさんある。上得意からの電話に向かって販売部長が「手がふさがっている」とは言えない。土曜の○○がどうだったか という話であろうと、耳を傾けなければならない。

 病院長は病院内のあらゆる会議に出なければならない。出なければ、医師や看護師や理学療法士が軽視されていると思う。政府機関の長は、議員が電話してきて電話帳や年鑑で簡単にわかることを聞いても、丁寧に対応したほうがよい。そのようなことが一日中続く。

 誰でも事情は変わらない。成果には何も寄与しないが、無視出来ない仕事に時間を取られる。膨大な時間が当然に見えながら、ほとんど、あるいは まったく役に立たない仕事に費やされる。

 しかも、仕事のほとんどは、わずかの成果をあげるためでも、かなりのまとまった時間を必要とする。細切れでは意味がない。何も出来ず、やり直さなければならなくなる。」

 これに対し、無駄をなくす方法を次のように言っている。

 「時間を記録する、整理する、まとめる の三段階にわたるプロセスが、成果をあげるための時間管理の基本となる。

 これを「時間の予算化」と言う。

「時間の予算化ということは非常に大事です。1日は24時間ですし、一生は80年ぐらいのものです。それを無視しないで予算化していくこと、大事なところに使っていって、そして大きな時間を生み出していくこと、これが非常に大事なことなのです。」(『人生の王道を語る』P-160)

 

時間の使い方

 時間をつくり出すためには、仕事の能率アップ以外にない。どのように速く仕事を処理するか、どのように仕事の段取りをつけるかをよく考え努力するしかない。

 また、仕事ができない部分を、残業や土日のゴルフで補おうとはしてはならない。

 さらに、創り出した時間をどう使うか。義理で使う時間は2割に押さえ 8割は自分のために、人間としての基礎の部分をしっかりとつくる努力をすることが大事である。

 総裁は、『「幸福になれない」症候群』で以下のように説かれました。

「時間をつくり出すための最もよい方法は、やはり仕事の能率アップ以外にありません。できるだけ能率を上げて、仕事の時間を短縮することが大事です。
 原則として、残業しなくても仕事が片づくようにするのです。残業のうちの約80パーセントは習慣によるものです。
 対策としては、「どのように速く仕事を処理するか。どのように仕事の段取りをつけるか」ということをよく考え、努力するしかないと思います。
 少なくとも、有能な人ほど仕事の処理が速いことは事実です。ある人が夜の八時までかかる仕事を、他の人が午後三時には終えているのであれば、後者には、帰るまでのあいだにゆったりとした時間があります。その時間を、もっと高度な仕事に向けることもできれば、新規のプロジェクトに向けることもできます。しかし、能力のない人は、いつも遅くまで仕事にかかりっきりなのです。
 したがって、時間管理において最も肝要なことは、肝心要の仕事そのものの能率アップによる時間の創出です。仕事を速く集中的にやってしまい、よい成果をあげることが大事になります。それによって、夜の睡眠時間も取れるし、自分自身の自由な時間も取れるようになるのです。
 また、第二の考え方は、仕事ができない部分を、残業や土日のゴルフで補おうとはしないことです。
 あまり仕事ができないので、からだを使って挽回しようとして、毎晩遅くまで机の前に座っていたり、酒や土日のゴルフにつきあったりする人も多いようですが、それだけで出世できるほど、現代のサラリーマン社会は甘くありません。
 「つきあいがよい」ということは、あくまでも参考条件です。こうした不況の時代にあっては、どの会社でも、「仕事そのものができるかどうか。実績があるかどうか」ということが第一の判定基準になるのです。
 あとは、残った時間をどう使うかです。
 もちろん、その自由な時間のうちには、どうしても義理で使わなければならない時間もあると思います。しかし、それを二割程度に抑えるのがコツではないでしょうか。すなわち、月から金までの五日間のうち、一日ぐらいはつきあいのために費やすとしても、残りの四日間は自分のために使うようにすることが大事だと思います。
 その四日間の使い方については、あなた自身の将来のビジョンや人生観も関係してくるでしょう。「豊かな人生を送りたい」と願うのであれば、趣味を広げることも必要です。また、「仕事以外の何かで自己実現をしたい」と思っている人ならば、自分が興味や関心のある分野について勉強を続けることが大事です。
 会社を離れたあとに何も残らない人間とならないように、少しずつ自分の時間を取りながら、そのなかで、人間としての基礎の部分を自分なりにしっかりとつくる努力をすることが、これからのサラリーマンにとって必要なことだと言えます。」

 

「時間」の有効活用術

 「Time is money.「時は金なり」という諺は、アメリカ合衆国の建国の父の一人として讃えられた ベンジャミン・フランクリンの言葉です。同時に、彼は「時間を空費せず、つねに益のあることに従い、無用の行いを断つ」という意味の言葉を述べています。
 一日、二十四時間、神は人間に時間を与えられました。誰もがどう足掻いても、「あなたは、二十四時間をどう使いきるのか」という問いに対して、その都度判断して選択していくことが充実した人生を過ごせるかどうかの分岐路になってくるのです。

 大川隆法総裁は、以下のように説かれました。

「まず、ごく当たり前の常識ですが、一日は二十四時間から出来上がっています。この事実は何人もねじ曲げることができません。それほど、貴重かつ厳正な決まりなのです。いかなる政治家も、いかなる国王も、いかなる哲学者も、この二十四時間を、一分たりとも伸ばすこともできなければ縮めることもできませんでした。
 私は、今、訴えかけておきたいのです。「みなさんは、もう一度、この時間の認識から始めていただきたい」と。時間は貴重なものです。そして、誰もあなたから奪うことができないものなのです。
 これが、仏があなたに与えている最大の慈悲でもあると言えましょう。
 みなさんは、「自分に与えられた時間を、どれだけ密度の濃いものとし、どれだけ中身のあるものとするか」ということに心を砕かなければならないのです。」
(『仕事と愛』)

「それにしても、一日二十四時間はけっこうあります。それを、「いかに使っていくか。何に使っていくか」ということが大事です。簡単な反省で結構ですので、「自分は、今日の時間を十分に生かしたかどうか」と振り返ることが、非常に重要なのではないでしょうか。
 毎日毎日、「今日は、どの部分に改善があったか」ということを考えることです。こういう習慣を持っているだけで、何かが変わっていきますし、その積み重ねは、けっこう大きなものになります。」
(『「経営成功学」とは何か』)

「ベンジャミン・フランクリンは、「時は金なり」と言いましたが、「時間の使い方が、お金になって表れてくる」ということは事実です。時間は、すべての人にとって、同じようにあります。一日は二十四時間、人生は百年足らずです。ただ、「時間をどう使うかによって、豊かになる人も、そうならない人も出てくる」ということは歴然たる事実です。簡単に言えば、一日二十四時間の使い方で人生は変わってくるわけです。
 「金は時なり」という言葉もありえます。
 「お金があれば時間が買える」というのは、お金があることによって、仕事がはかどったり、仕事を広げるのが楽になったりすることを意味します。
 例えば、「本を読む」ということ一つを取っても、大きな本屋へ本を買い出しに行くことは、楽しみとしてはあってもよいのですが、ほぼ半日仕事になります。しかし、秘書がいれば、本屋へ行って本を買ってきてもらうことができるので、秘書を雇うお金があると、半日分の時間を節約できます。その分の時間で、私はさらに多くの本を読むことができるわけです。
 したがって、やろうとしている仕事において、志や動機が善であり、社会のためになる方向での努力であるならば、「タイム・イズ・マネー」と「マネー・イズ・タイム」の両方がありうるわけです。」
(『繁栄思考』)

「私たちは、「一日の時間が、いったい何に使われているか」ということを見直す必要があるのです。すると、インターネットや携帯電話を使っている時間が、かなりあるのではないでしょうか。これらの時間が増えた分、逆に、減った時間、消えた時間があるはずです。それは、実は「考える時間」です。「思索し、考え、思想をつくる時間」が消えています。それから、「判断を下すための時間」も消えています。さらに、もう一つ、消えているものがあります。それは「本を読む時間」です。
 要するに、「一日の質が落ちていないか」ということの点検が要ると、私は述べているのです。」
(『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』)

 人々に公平に与えられた時間の使い方は人生の勝敗を決めるほど重要です。また、スマホやパソコンが、現代人から「考える」時間を奪っている。
  オーギュスト・ロダン作の彫刻「考える人」は有名ですが、同じポーズの像がロダンの別の作品「地獄の門」の上に設えられています。地獄の底へと沈みながら、助けを求める苦悶の表情の人、人・・・。「考える人」は、地獄の惨い光景を下に見ながら、いったい何を想うのでしょうか。

「一日を振り返ったとき、いちばん無駄に使われているのは何の時間だと思いますか。
 私が、あえて、みなさんに申し上げるならば、食事や睡眠などの生活必要時間は、無駄なように見えて、意外にそうではないものなのです。それは生理的な欲求であり、それを無視しては必ず手厳しい報復が待ち構えているからです。みなさんが無駄に使っているのは、むしろ、みなさんの仕事の時間、あるいは勉強の時間だと思います。
 人が時間をいちばん無駄に使うのは、無益なことにおいてではなく、自分が「有益だ」と信じていることにおいてです。「価値あること、値打ちあることをしている」と自分では思っていることのなかに、いちばんの無駄があると思います。
「仕事のなかに、あるいは勉強のなかに、実りが少なかった」ということ、そこに、いちばん多くの後悔があるのではないでしょうか。」
(『仕事と愛』)

「発展性の高いものは、どれもみな、常に、「どのようにして時間を縮めるか」というところに視点があります。時間を縮めることによって、発展するのです。
 例えば、新幹線ができたことによって、日本のGDP(国内総生産)がそうとう膨大なものになったのは事実です。それは、一日にできる仕事の範囲が非常に広がったことを意味しています。
 究極の「タイムベース・マネジメント」は、「一日の苦労は一日にて足れり」ということです。「一日一生」という言葉がありますが、「その日のうちにできることは、その日のうちに全部やってしまう」ということです。
 「時期が来なければ働かない」「ほかの事情があってできないので、今日はしない」などということは、「タイムベース・マネジメント」から外れていることなのです。
 時間を縮めることは、同時に、時間を生み出すことになります。例えば、ある場所へ行くのに、新幹線なら三時間かかるけれども、飛行機なら一時間で着くとすれば、二時間分を余分に働けるようになるわけであり、その分の時間が生み出されたことになるのです。」
(『社長学入門』)

「大事な点は、「時間自体は増えない」ということです。
 したがって、「いかに工夫をしていくか。いかにして、一日に使える十数時間の中身を変えていくか」ということが大事です。
 常に心掛けなくてはいけないことは、「集中しなければ、威力を発揮できない。持っている時間は少ないので、最も効果的なものに時間を使わないと、結局、何一つ、ものにはならない」ということです。」
(『青春の原点』)

「現代社会に生きている人は、仕事から離れて瞑想をしたとしても、やはり、仕事のことが気にかかったり、人間関係その他、いろいろなものが気にかかり、そればかり考えていて、時間が無駄になってしまうようなことが多いのです。ですから、現代的な方法として、大事な価値ある本と格闘し、じっくりと読んでいる間に、その著者が素晴らしい人であれば、その人の心境と同通することがあります。すでに亡くなっている著者の場合、天上界のよいところに還っている人であるならば、その“波動”と同通する時間が持てるわけです。
 やはり、「静寂な時間」を持たないと、霊的にはなれないし、天上界との交流も始まらないのです。したがって、現代的には、一人になって本を読むような時間を多少なりとも取ることは大事であり、その内容・対象も非常に大事であるといえます。」
(『凡事徹底と静寂の時間』)

 「時間」に対する認識を改めて考え直すこと、仕事や勉強という、自分では「価値ある」ものだと思っていることのなかに無駄な時間がある。

 大川隆法総裁は、人は「三万日ぐらいの手持ち時間をどう使うかで、結局、人生の成功・失敗が決まる」と述べています。人生は一日一日の積み重ねだと思い、今日という一日、「一歩前進できたかどうか」を自分に問いかけてみましょう。

「一日に十数時間働いていると、仕事の時間をそれ以上増やすことはできませんが、他の人に仕事を八時間してもらうと、その人の持っている八時間という時間をもらうことができます。たとえ、その人の仕事のレベルが、社長である自分の半分や三分の一、十分の一であったとしても、その人の給料に見合っていればよいわけです。
 会社の社長が、経営資源としての自分の時間を有効に生かすために、秘書を入れて、電話をさせたり、書類をつくらせたりなど、いろいろな雑用をさせることは、経営であると言えます。「自分の持ち時間を増やし、時間を有効に使って効果的な仕事をする」という目的のために他人の時間を使っているので、これは経営と言えるレベルになるわけです。
 「他の人を使って、自分一人の仕事よりも大きな成果をあげる」ということが経営の基本なのです。まず、このことを念頭に置いてください。」
(『経営入門』)

「基本的に、付加価値の高い仕事に自分の時間を使っていくように、上が努力しなければ、仕事のレベルは全体には上がっていかないということです。トップは、トップにしかできないような仕事に、できるだけ自分の時間を使うようにして、ほかの人ができる仕事はほかの人に任せていくことです。
 最初に始める新規事業や、全社を挙げての重要な難しい事業のようなものは、トップ自らがチャレンジ精神を発揮し、リスクを冒さなければ、できない面がありますが、一定量、突破して、やり方が分かってきたら、それをいつまでも同じ人がやり続けるのは無駄なことです。
 そういう意味で、「時間」というものの価値をよく知り、上に行くほど、時間価値を高める努力をしなければいけません。」
(『イノベーション経営の秘訣』)

「人間の集中力は、たいてい一時間以上は続かないものです。集中力のある人でも二時間ないし三時間です。三時間を超えると、集中力は急速に衰えてきます。
 仕事を始めてから二、三時間が経過したときには、ちょっとしたコーヒー・ブレイクを入れて、休みを取ることです。「その十分か十五分が惜しい」と思う人は、実は残りの数時間を無駄にすることが多いのです。
 そして、原則、重要な仕事は体調のいちばんよいときに行うことです。
 集中力が続くのは、大きくは三時間と言いましたが、小さく見れば、やはり一時間だと思います。「一時間集中するためには、五分ぐらいの小さなブレイクが必要だ」と私は思っています。したがって、「一時間のうち五十五分、集中的に仕事をしたならば、五分は神経を緩める」という考え方が必要です。」
(『仕事と愛』)

「現代は情報過多の時代なので、情報を遮断することも非常に大事になります。
 ときどき、情報遮断をして、一定の間、邪魔されない「孤独な時間」を取らないと、考えを煮詰め、“蜜”をつくることはできません。
 疲れ果てたように、ただただ働き続けているだけでは、インスピレーションは降りてきません。そういう孤独な時間、“暗闇”の時間、沈黙の時間は絶対に要るのです。
 時間には、無駄なものを省いていくことによって、つくり出さなければいけないところがあります。そして、沈黙、聖黙のなかにアイデアは生まれてくるのです。」
(『創造の法』)

 経営における実践編として、トップとしての時間活用のあり方、また、情報遮断による「孤独な時間」が、インスピレーションやアイデアを得るために不可欠である。

 「パレートの法則」は、別名「80:20の法則」「働きアリの法則」と呼ばれ、会社組織で、例えば、売り上げの8割を全従業員の2割の人が稼いでいるというような法則です。「パレートの法則」は、時間だけに限らず、経営において重要である。

「「パレートの法則」とは、「すべてのものは八十対二十の比率で分割でき、重要な二十パーセントの部分を制すると、全体の八十パーセントを押さえることができる」という考え方です。
 「永遠の今を生きる」(『人生の王道を語る』第4章)では、「百パーセントを達成するのに十時間かかる仕事があるとして、それを八十パーセントの達成度でよしとすれば、かかる時間を二時間に詰めることができる。残りの部分については他の人に任せていけばよい」と説いています。
 二時間を使って八十パーセントの仕事をするというやり方をしていけば、十時間では「八〇×五=四〇〇」で四百パーセント、すなわち四倍の仕事をすることができるようになるわけです。」
(『経営入門』)

「私自身にとっても、「八割・二割の原則」は当たっています。私の人生の時間のうち、毎月の時間のうち、一日の時間のうちの、八十パーセントを制するために、私は、二十パーセントのところに最高度の情熱を注ぎ込み、最高の能率をあげるようにしています。
 一日のうちに、効率的な時間を、二時間、取ることです。
 あるいは、これをもっと大きく広げるならば、「十日のうち二日は非常によい仕事をする」という考えでもよいかもしれません。とにかく、時間の使い方においては、アクセントを設け、集中的に効率的な結果を出していくことが大事なのです。」
(『仕事と愛』)

 すべてのものは「80対20」の比率で分割することが可能という法則がある。

 10時間の仕事時間のうち2時間で、全体の80パーセントの仕事をすることができる。

 その2時間を内容の違う仕事に順番に使っていけば、400パーセントの仕事ができる計算になり、時間を4倍に増やすことができるのです。

 組織のなかでリーダーになっていくためには、仕事を人に任せられるかどうかが大切です。

 自分がやれば十割できる仕事でも、人に任せると七割か八割しかできないものと、割り切って考えること。それによって得られた自由な時間を、より高度な付加価値の高い仕事に振り向けて行くことである。

 総裁は、『常勝の法』で以下のように説かれました。

「一般には、会社のなかで過ごす人が多いでしょう。そうした組織のなかで生きることを前提にするならば、結局、リーダーになっていくためには、仕事を人に任せられなければだめなのです。
 自分一人でできる仕事には限界があります。どんなに仕事ができる人でも、一人の仕事には限界があり、十人、百人の仕事には追いつかないものなのです。したがって、いかに人に任せられるかということが大事です。
 人に任せるに際しては、その人の能力や人柄が見えなくてはなりません。その人に合った仕事を与えていくために、「その人にできる仕事は何か。その人には少し無理な仕事は何か」ということを見極めていくことが大切なのです。
 自分がやれば十割できる仕事でも、人に任せると十割はなかなかできません。しかし、そういうものだと思わなければいけないのです。人に任せて七割か八割できれば、そのほうが、自分だけでやるよりは、仕事全体の成果は大きくなります。人に任せることによって、何よりも、自分は自由な時間を得られるので、その時間を、より高度な、付加価値の高い仕事のほうに振り向けることができるのです。
 仕事は自然にどんどん増えていくものなので、ときどきリストラ(再構築)をしなければいけません。「忙しい、忙しい」というときには、「これは全部、自分がやらなければいけない仕事なのだろうか」と、改めてチェックしてみる必要があります。
 そして、「これとこれは自分がしなくてもよい仕事だな」と思ったら、その仕事は、だれならできるかということを考えるのです。「Aという仕事は、この人ができるのではないか。Bという仕事は、この人でよい。Cという仕事は、この人でどうか。もしかしたらできないかもしれないが、一度やらせてみよう。もしできなかったら、この人にやらせてみよう」というように考えて、自分がやらなくてもよいものについては、他の人に下ろしていくことです。
 そうすると、自分は手が空きますが、その分を怠けてしまったのでは、それまでのことで、自分は〝粗大ゴミ″になってしまいます。手が空いた分で、新規の仕事、難しい仕事、将来性のある仕事について、研究に入ることです。もっと給料の取れる仕事をするのです。
 このようにすると、自分も出世しますし、仕事を任された人も出世します。
 有能であるのに、もう一つ成功しきれない人というのは、たいてい、仕事を人に任せない人です。仕事を自分で握って放さないので、その結果、自分の能力の限界が組織の限界になってしまうのです。ほかに人がいても、結局、使えずじまいになります。
 その場合、「自分は自分の給料分だけ働き、ほかの人は粗大ゴミになっている」というかたちになりがちです。有能な人のなかにも、こういう人はわりあい多いのです。
 しかし、そういう人は、出世の階段を上がる途中、どこかで必ず天井が来ます。それを知らなければいけません。」
(53~59ページ)

「「上からの圧力で、『社員の給料を上げてください』と言われたときに、会社がどういう対応を取るか」ということです。
 「パレートの法則」は、誤差が少しはあるものの、だいたい似たような感じで当たってきます。「だいたい二割ぐらいの人が牽引車になっていて、八割ぐらいの部分を支えている」というかたちになるのです。したがって、その二割の人の分の給料を上げるのであれば問題ありませんが、残りの八割の人も一緒に上げるとなると、それは「コストが上がる」ことを意味します。」
(『仕事ができるとはどういうことなのか』)

「時間にはもう一つ違った面があります。それは時間の“面積”なのです。
 要するに、一日の時間を二時間にまで密度を縮めることができる人がいるとして、同じことばかりしてもそれほど生産性は増えないが、その二時間を二時間ごとにいろいろなことに振り向けていくと、いろいろな方向で使えるわけです。そのなかで、ひじょうに投資効果の大きい時間というものがあるわけなのです。
 たとえば、趣味の領域で、もっと広げていく人がいます。碁や将棋のようなものをする人がいます。旅行をする人がいます。また、それ以外でも、身体を動かすスポーツの領域で新しいことをしていく人がいます。一日のうち十分間、体操をする人もいます。一時間、テニスならテニスをやる、水泳をやるというような人もいます。このようにして、いろいろなことを同時に組み込んでいる人は、要するに、持っている時間の面積がひじょうに広いのです。この面積が広いということが、やがてその人の活動領域を広げることになっていきます。
 時間の面積を広げることによって、また新たな世界を拓き、それが自分の時間を創造していく機能が出てくるようになってきます。同じ二十四時間を生きている人間でありながら、時間の深さと時間の面積によって、生きている世界がまったく違ってくるのです。」
(『人生の王道を語る』)

 

経営者の時間管理

 経営トップは、常に新しい情報を得つつ、新しい価値として何か役に立つものを生み出し続けなければいけない。

 仕事というものは成果に結びつけてこそ意味がある。働く時間が長い場合には、それが成果に結びついているかどうかを問わなくてはならない。

 情報戦略においても、やはり成果に結びつけることを常に考え、時間を浪費していて成果が出ないものはやめるというかたちで、自分の時間管理をしなくてはならない。

 大川隆法総裁は、『未来創造のマネジメント』で以下のように説かれました。

「経営トップである企業家は、常に、新しい情報を得つつ、新しい価値として、何か役に立つものを生み出し続けなければいけません。
 とにかく体を動かすことで、働いているような気になっている人もいますが、仕事に対する評価では、「労働時間が長い」「土日にも働いている」「熱心だ」「よくしゃべる」などということだけを誇っても駄目です。
 仕事というものは、必ず成果に結びつけてこそ意味があるのです。これを知らない経営者が多いと思います。
 「とにかく“スーパーマン”でありたくて、体に無理がかかっている」「朝早くから夜遅くまで非常によく働いている。休日も頑張っている」という人は、「それが、成果に結びついているかどうか」ということを、常に問い続けなくてはいけません。
 社長がそういう状態であれば、部下も同じでしょう。成果に対する目は厳しくなければいけません。特に、成果を生まずに“仕事ごっこ”をしていることが非常に多いので、気をつけてください。
 本当に、要らない仕事のために人が増殖してくるものなのです。これについては、常に、「そういうものだ」と思って、刈り取りをしなければなりません。
 「経営は、ヒト、モノ、カネ、情報等の経営資源を投入して行うものだ」とよく言われますが、経営者は、常に、「成果をあげる」というマインドを持っていなくてはならないのです。
 経営資源を投入するだけなら、誰にでもできます。お金や人を投入するだけであれば、当然、誰にでもできるのです。
 また、「情報を集めろ」と指示するのは簡単ですが、気をつけないと、社員たちは、一日中、新聞を読んでいるかもしれませんし、一日中、テレビを観ているかもしれません。
 情報を集めるのはよいのですが、それを成果に結びつけなくては駄目です。集めた情報を企業の仕事につなげることが大事なのです。
 そして、トップの情報戦略においても、やはり、「成果に結びつける」ということを常に考えておかなくてはなりません。時間を浪費していて成果が出てこないものは、やめなくてはいけないのです。
 大して仕事の役に立たないのであれば、時間を限定することが必要です。「新聞を三十分以上は読まない」などということにしないと駄目なのです。
 新聞には、各紙とも、同じようなことばかりが書いてあるので、一紙をきちんと読み、ほかの新聞については、ヘッドラインだけをパッと見て、「独自のことが書かれていないか」「自分の業種に関する記事はないか」ということだけを見る程度にしないといけないでしょう。
 「情報を取る」といっても、無制限にやってよいわけではなく、「必ず成果につながるかどうか」ということを、いつも考えておかなくてはなりません。成果につながらないのであれば、それは間引いたり削ったりしていかなくてはならないのです。
 こういうかたちで、自分の時間管理をしなくてはいけないわけです。」
(82~88ページ)

 経営者は、事務管理だけが仕事ではないことを知らなくてはいけない。事務管理も一応は必要だが、そればかりしていたのでは、価値の創造はできない。

 Eメールや携帯電話がそもそも必要なのかを考えなくてはいけないし、人間関係の調整に時間がかかりすぎているようであれば、まずは会議を削ることを考えないといけない。

 特に不況が続くデフレ基調の時代には、無駄な部分はできるだけ削っていく努力をしなくてはならない。

 報告書などの社内文書を書いたり、調査研究と称して新聞を読んだりする時間は、気が付くと増えていくものです。

 ドラッカーは、成果を上げるためには、内部にではなく、外部に目を向ける時間を必要とすると指摘しています。

 「多少なりとも、業績を上げるには、組織全体の成果と業績に焦点を合わせなければならない。したがって、自らの目を、仕事から成果へ、専門分野から外の世界、すなわち成果が存在する唯一の場所たる外の世界へ向けるための時間を必要とする。」

 さらに、成果を上げる時間の使い方を3つ挙げています。

 第一は、する必要のまったくない仕事、何の成果も生まない時間の浪費である仕事を見つけ、捨てることです。

 第二は、他の人でもやれることは何かを考えることです。これは、権限を委譲せよということではありません。社長の権限は社長が公私すべきであり、社員が公私すべきではありません。そうではなく、社員でも出来る仕事は社員にやってもらうということです。

 第三は、自らがコントロールし、自らが取り除くことのできる時間浪費の原因を排除することです。無駄な会議などはその典型です。

「また、「経営」と称して、よく「事務管理」だけをしている人がいるので、これにも気をつけなくてはいけません。
 「毎日、社長が席に座っているため、しかたなく、社員たちは報告書ばかりを上げる」ということがあります。社長が読みたがるので、社員たちは報告書を書かなくてはならず、営業に行かないで報告書を書いているようなことも起きます。
 経営者は、「事務管理だけが仕事ではないのだ」ということを知らなくてはいけないのです。事務管理も、いちおうは要りますが、そればかりをしていたのでは、価値の創造はできません。内部を管理するだけ、あるいは書類管理をするだけでは駄目なのです。
 今は電子機器が発達しているため、Eメールその他で、社長と社員が、直接、やり取りをすることができます。それを自慢するかのような会社がマスコミで紹介されたりもしますが、私は「これは危険だ」と思っています。
 ある社長は、一日に三百件も五百件も、社員と直接にメールのやり取りをしているようです。「どうなっているか」ということについて、直接、社員から社長に報告が入り、それを社長が読んで、社員に返事を出しているらしいのです。
 本当に大丈夫なのでしょうか。率直なところ、怖いものがあります。
 というのも、これは情報のレベルの問題なのです。
 このように社長が平社員をも相手にしていると、社長が係長のような仕事をやっている可能性が極めて高いのです。社長は情報を集めて悦に入っているかもしれませんが、「本当は、社長にふさわしくない仕事をしているのではないか」ということも考えないといけません。
 携帯電話も同様です。便利ですが、ほどほどにしないと、一日中、電話ばかりしていることがあります。
 Eメールや携帯電話については、そもそも、「要るのかどうか」ということを考えなくてはなりません。
 また、「会議が要るかどうか」ということも考える必要があります。要らない会議は、たくさんあるのです。
 人間関係の調整に時間がかかりすぎているようであれば、まずは会議を削ることを考えないと駄目です。一年中、会議ばかりしているようではいけません。
 したがって、まず、「仕事になっているかどうか」ということを見なくてはなりません。そして、「無駄なものを削る」という勇気も必要です。今の時代、特に、不況が続くデフレ基調の時代には、これが大事なのです。無駄な部分は、できるだけ削っていく努力をしなくてはいけません。」
(『未来創造のマネジメント』88~93ページ)

 販売網も無駄を削って中抜きを減らし、可能な限り安い仕入れ価格に切り替え、削るべき取引先との付き合い削減も大事である。

 光明思想で「人間には無限の可能性がある」といっても、現実の実務や経営という観点で、時間という枠のなかでは、人間の能力には限界がある。

 忙しく働いている人は、「自分でやらなくてもよい仕事を自分がやり続けていないか」を常に問い、仕事のやり方を固めて下の人に下ろしていき、時間の空きをつくって自分は新しい仕事を行わないと、成長することはない。

「もちろん、販売網についても、無駄を削る努力が要ります。途中に何段階もあるようでは無駄です。不況期には直接販売をするに限ります。最終消費者にできるだけ近づかないと利益幅が小さくなるので、なるべく直接販売に切り替え、中抜きを減らす努力をしなければいけません。
 また、不況期には、できるだけ仕入れを安くすることが必要ですし、売るほうでは値段を下げなくてはいけません。そうしないと売れないからです。売るほうでは利益がほとんど出なくなってくるため、可能な限り仕入れを叩き、安い仕入れ価格に切り替えていかなくてはならないのです。こういう努力が必要なのです。したがって、経営者は厳しくなくてはなりません。お人好しではいられないのです。
 取引先との付き合いは大事であっても、その取引先が、削らなければいけないところなのであれば、あまりお付き合いをしないほうがよいでしょう。そういう意味での付き合いを削減することも大事です。
 心の教え、あるいは光明思想系統の教えでは、「人間には無限の可能性がある」「能力は無限だ」などということも、私は説いてきました。
 しかし、現実の仕事、実務や経営という観点で見たとき、時間という枠のなかでは、人間の能力には、どうしても限界はあります。なぜなら、どのような人であっても、同じ持ち時間しかないからです。
 忙しそうに働いている人は、「自分は、よくやっている」と思っているかもしれません。しかし、「自分でやらなくてもよい仕事を、自分がやり続けていないかどうか」ということを、常に問わなくてはならないのです。
 仕事が多いのは、うれしいことなので、仕事を抱え込む人がいますが、ある程度、「この仕事は、自分がしなくても、他の人でできる」と思ったならば、その仕事を部下に下ろしていかなくてはなりません。
 仕事のやり方を固めて下の人に下ろしていき、時間の空きをつくるのです。そして、自分は新しい仕事を行い、その仕事が固まったら、また下の人に下ろしていきます。このようにすることで、部下も自分も偉くなれるのです。
 これをせずに、部下の仕事を取り上げているため、自分の仕事が増えてばかりいる社長もいます。下にいる部長などの仕事を取っているわけです。そういう社長は、いつも手いっぱいで、「時間がない、時間がない」と言っています。しかし、それは能力の不足が原因でしょう。
 仕事を固めて部下に下ろす工夫を常にしないと、成長することはないのです。」
(『未来創造のマネジメント』93~97ページ)

 

成功のための創意工夫

 どんな人であっても、1日は24時間であり、睡眠時間や生活に必要な時間を除くと最大限で十数時間しか使えない。

 時間自体は増えないので、工夫をして1日に使える十数時間を最も効果的なものに使う「集中と見切り」が必要である。

 この「選択と集中」をするためには、何を諦めて、何を捨てるかが、いつも問われている

 大川隆法総裁は、『青春の原点』で以下のように説かれました。

「子供時代には、勉強やスポーツに加えて、友達との遊びや学校での活動など、やることがたくさんあって大変ですが、そのなかで創意工夫をし、「どうやって自分の道を開くか」という努力をするときに、智慧が生まれてくるのです。
 どんな人であっても一日は二十四時間です。睡眠時間や生活に必要な時間を除くと、最大限で十数時間しか使えません。その十数時間の使い方によって、さまざまな道に進んでいくのです。
 将棋の天才になる人もいれば、技術者になって瀬戸内海に橋を架ける人もいます。宇宙にロケットを飛ばす人もいます。法律の勉強をする人もいます。宗教活動をする人もいます。そのように、いろいろな道に行くわけです。
 大事な点は、「時間自体は増えない」ということです。時間は増えないけれども、テレビの番組は増えています。時間は増えないけれども、出版される本は増えています。時間は増えないけれども、インターネットに出ている情報はどんどん増えています「これをどうするか」という闘いなのです。
 時間的な努力だけでは、もう埋められません。したがって、「いかに工夫をしていくか。いかにして、一日に使える十数時間の中身を変えていくか」ということが大事です。そういう努力が必要なのです。
 常に心掛けなくてはいけないことは、「集中しなければ、威力を発揮できない。持っている時間は少ないので、最も効果的なものに時間を使わないと、結局、何一つ、ものにはならない」ということです。
 スポーツにしても、いちばん自分に適したスポーツに打ち込むことが大事ですし、勉強にしても、いちばん自分に合った分野に集中していくことが大事です。
 そのような「集中と見切り」が必要なのです。「自分としては、そこまではできない」というものは、残念ではあっても、見切りをつけて捨てなければいけません。あるいは、「これについては要点だけを学んで、それ以上は深入りしない」という禁欲の力、断念の力が必要です。
 そういう捨てる力がなければ、よりよく生きることはできない時代になっています。
 何事であっても、一つのことをマスターするためには、絞り込んで集中しなければいけません。そして、集中するためには、ほかのものを諦めなければいけないのです。
 諦めずに全部に手を出したら、「虻蜂取らず」「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということになります。二兎どころか、三兎も四兎も五兎も追っていたら、どれも捕まえることはできません。
 「選択と集中」をするためには諦めが要ります。「何を諦めますか」「何を捨てますか」という問いが、いつもあるのです。
 「何かを一つマスターするためには、何かを捨てなければいけない」という時代が来ています。いまは、そういう時代であり、その選択を子供時代から問われているのです。大人になると、忙しくなるので、選択はもっと大変になります。」(222~226ページ)

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