縁起の理法

幸福の科学とは 👈 クリックしてください

 「ある原因行為があると、それがなんらかの結果を生む。よい原因をつくるとよい結果が生まれ、悪い原因をつくると悪い結果が生まれる」という、原因・結果の法則が「因果の理法」。

 そして、これは、一生懸命努力すれば将来の幸福を自分の力で生み出すことができることを意味する。これは仏教における成功哲学であり、幸福哲学であった。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『釈迦の本心』で以下のように説かれました。

「次に「因果の理法」について語っていきましょう。これも仏教のなかに色濃くある教えです。たとえば、「今世で夫婦になったのは、過去世で縁があったからだ」という考え方があります。この考え方を一般的に展開すると、「ある原因行為があると、それがなんらかの結果を生むことになる。よい原因をつくると、よい結果が生まれ、悪い原因をつくると、悪い結果が生まれる」という法則になります。これは人生における最も基本的な法則の一つであり、仏教が哲学としても成功したのは、因果の理法について深い洞察がなされているからです。親子や兄弟、夫婦の緑が、今世のみならず過去世からもきている理由は何でしょうか。過去世において、親子や兄弟、夫婦であって、「お互いに幸福だった」という思いがあるからこそ、今世においても、親子や兄弟、夫婦の縁となって表われてきているのです。このように考えると、「人間は日々に因果の種をまいて生きている」と言えます。日々に種まき作業を行ない、その結果、まいた種がどのように発芽し、どのように成長していくか。そこに成果が見られるようになります。したがって、因果の理法は仏教における成功哲学であり、また、幸福哲学でもあります。仏教は人生の苦しみばかりを説き、苦悩ばかりを見つめたように語られがちですが、実はそうではありません。多くの偉大な哲学者がそうであったように、釈迦もまた幸福哲学を説いていたのです。そして、仏教の幸福哲学は何に集約されるかと言うと、それが「因果の理法」という言葉なのです。すなわち、幸福という結果を手に入れるためには、幸福という果実が実るだけの種をまき、水や肥料をやり、日ざしをあてて、成長させる必要があります。これが成功哲学の一法則なのです。これはあらゆるところに見受けられる法則です。「一生懸命に努力すれば、その努力は必ずなんらかのかたちで実る」というのは、人間の経験則にもあてはまることです。なかには、一生懸命に勉強したけれども、大学受験に合格しなかったということもあるでしょう。しかし、一生懸命に努力したことは、本人の将来のどこかで必ずよい影響を与えるものです。また、「悪事、千里を走る」といいますが、悪いことをしていると、やがてどこかで必ず露見し、破滅を生むことになるのです。このように、人生を一つの法則、運動のダイナミズムとしてとらえるならば、「人生は原因・結果の連鎖によってできている」と言えます。まいた種は、今世では必ずしも実らないかもしれませんが、少なくとも朝顔の種をまかねば、朝顔の花は咲かないことも事実なのです。  したがって、「因果の理法は、時間の流れのなかにおける一種の幸福論である」ということに気づかされるのです。」

 「人間は、自分の考えているとおりのものになる」「自分の考えているところのものが、自分自身である」心の力、心の偉大さは、過去の偉人も様々な言葉で語ってきています。釈尊、ソクラテス、近代ではエマソン、ウィリアム・ジェームスなども言っているのです。人間は考えたとおりになるのです。人間の「念い」「心の作用」には、力があります。心構え、考え方、思考には、人間を変える偉大な力を秘めているのです。その力は、自分も未来も変えられることができるのです。人生を発展させるには、成功した姿、自己像を描くことです。明るい未来を引き寄せるには明るい未来を描くことです。未来は、未来を描くことから始まるのです。そして、個人も世界も縁起の理法によって成り立っています。  

Fotolia_86726979_XS

 縁起とは、因縁、因果応報、因果の理法として知られています。  

 「因」というのは直接的な原因のことです。  

   「縁」というのは他者との関係における間接的に発生する原因、条件といってもよいものです。

 「果」とは、結果のことです。

 「報」とは、その報いです。

 これを「因・縁・果・報(いんねんかほう)」と言います。直接原因に間接原因が幾つか加わることで、何かが起こり、その結果、報いを受けるという考え方です。  

 縁起の理法とは『原因、結果の法則』で、原因と条件で結果が生じ、その報い(カルマ)を得るというものです。

善因善果・悪因悪果

「時間縁起」「空間縁起」

 縁起の理法には、「空間縁起」と「時間縁起」という二つの考え方があります。時間的な原因と結果の連鎖―これを「時間縁起」。空間的な原因と結果の連鎖―これを「空間縁起」。生きているもの、社会も日本という国家も世界も全て地球上のありとしあらゆるものの営みによって成り立っているということです。この「時間縁起」と「空間縁起」が様々に影響しあって、この世界を構成しているのです。

 この縁起の法則は、主として二つの点から理解されるべきです。

   (幸福の科学大川隆法総裁 法話『未来への選択』 より)

「時間縁起」

 第一点は、縁起の法則を時間的流れにおいて理解することです。これを「原因結果の法則」といいます。人はそれぞれ、日々、みずからの幸・不幸の原因となる行為をなしています。あるいは、そのような思いを持っています。そして、その日のうちか、近い将来か、遠い将来か、死してのちか、必ず結果が現れてきます。この原因・結果の法則、すなわち「時間縁起(じかんえんぎ)」が、縁起の法則の第一点です。昔から、「まかぬ種は生えぬ」といいます。また、「まいた種は刈り取らねばならぬ」ともいいます。みなさんが現在ただいま到達している心境も、必ず原因があります。しかし、「必ずしも善因善果・悪因悪果ではないのではないか。「良い原因行為をなしたものには、良い結果が現れ、悪い原因行為をなした者には、悪い結果が現れて当然である」と思うけれども、現実にこの世界を見ると、悪人であるにもかかわらず栄えている人もいるではないか」、このように言う人がいるかもしれません。 よい原因をつくったにもかかわらず、悪い結果が出ているように見えたり、悪い原因をつくったにもかかわらず、よい結果が現れているように見えたりすることを「異熟(いじゅく)」といい、その結果を「異熟果(いじゅくか)」といいます。世の中の人は、それはまことに奇怪なことのように思えるかもしれません。しかし、よくよく観察していただきたいのです。この世的には成功しているように見える人であっても、その成功の原動力がその人の持つ欲望である場合、その人は欲望の炎をさらに燃え立たせて、大きな欲望へと変えています。傍目には成功しているように見えても、よくよく目を凝らしてみると、その人は燃えています。眼も、鼻も、口も、からだも、心も、炎に包まれ、燃えています。  煩悩の炎に包まれ、平安なる心を失って、欲望のなかに、猜疑心や嫉妬心、恐怖心のなかに生きています。したがって、結果を外面的な成功だけに求めてはなりません。外面的な成功を求めた人は、その姿をよく見るならば、苦しんでいるはずです。一方、清く生きたにもかかわらず、この世的には恵まれない最後を迎えた人もいることでしょう。しかしながら、この世において努力したことは、それが成就しなくとも、その人の魂の糧として確実に残っているのです。すなわち、「この世を去った世界が厳然としてある」ということが、仏の、そして神の、公平な世界があるということの証明なのです。仏神の心、その教えに則って生きた人が、死後に苦しみを得ることはありません。また、仏神の教えに反した人が死後、安らぎの世界にはいることもありません。正しい心を持ち、正しく生きた人は、正しい結果が必ず現れるのです。それが仏の創った世界です。それは実に単純明快な世界です。報いられないと言うことは、全くあり得ない世界です。この世、すなわち現象世界)においては、原因と結果が整合していないように見えます。しかし、そうした理論的矛盾があるからこそ、「世界はこの世だけではない」と言うことが明確にわかるのです。この世以外の世界があって初めて、理論が完結するのです。これが原因結果の法則「時間縁起」といわれるものです。

「空間縁起」

 もう一つは、「空間縁起」といわれるものです。存在の世界における縁起、関係の法則です。 人間は一人だけで存在するのではありません。家族、友人、あるいは、共同体の人々、

 会社の人々、世界の人々など、それぞれの人の営みが互いに影響し合っています。それが、経済、政治、文化、教育、などの持つ意味でもあろうと思います。人々は互いに影響し合って生きています。日本人の生活とアメリカ人の生活とは、貿易を媒介として影響し合っています。 また、自分が勤めている会社と他の会社とは、経済行為を通じて互いに関係し合っています。同じように、いろいろな人間の営みが相互に影響し合って、すべてが成り立っています。これが縁起です。人間は互いに相依って生きている存在であり、この「相依性」が、人間の持つもう一つの本質です。「互いに支え合って生きている」ということが、人生の本質の一つなのです。

 

 自助努力と縁起の理法

 「自助努力とは、西洋的にいえばセルフ・ヘルプですが、東洋的にいえば、まさしくこれは仏教の「縁起の理法」そのものなのです。なぜならば、「どのような種を播き、どのように育てるかによって、それぞれの人が手にする結果は異なってくる」というのが縁起の理法だからです。これは、人生の成功・不成功に関して、個人の努力の余地というものを明確に肯定する思想です。単なる運命論や宿命論、環境論などに縛られることなく、みずからの自助努力によって開けていく運命を肯定する思想が、縁起の思想なのです。」(『青春に贈る』 )

 自分のこれまでの成長をみてくれば分かるとおり、努力という「播いた種」によって、人間は確実に変わっていけることを肯定するのが「縁起の理法」なのです。これは大宇宙を貫く偉大な法則であるということです。

 自助努力の精神