使用者の安全配慮義務

 企業は労働者の採用に当たり労働契約(雇用契約)を結びます。労働契約の内容は、労働者は企業(使用者)の指揮・命令のもと労働を提供し、それに対する報酬を受取る権利を有します。そして、労働者と使用者が労働契約を締結した場合、使用者は労働者の安全及び健康を守るため「安全配慮義務」を負うことになります。使用者は、労働者が安全にまた快適に仕事が出来る事務所・作業場・施設・器具を用意したり、仕事の管理等について、労働者の生命や健康を危険から守るようにきちんと配慮する義務があるのです。労働契約に付随して労働者に安全で健康的な職場環境を提供しなければならないということです。Fotolia_44145136_XS

 使用者の負う安全配慮義務は、使用者と労働者の権利義務関係を定めた法律として平成20年に施行された労働契約法において規定されました(労働契約法第5条)。

 

 企業の安全配慮義務は、「物的設備の対応を要する安全配慮義務」から労働者の「身体的健康に対する安全配慮義務」へと広がり、さらに「精神面に対する安全配慮義務」へと拡大されてきました

 ここでは、ひとつずつ見ていくこととします。

1 物的設備等の対応を要する安全配慮義務

 企業の負う安全配慮義務の最も基礎的内容としてあげられるのは、労働者の利用する施設、機械、器具等の物的設備を整備して労働者の安全を確保するという義務です。

労働者の危険防止措置

 機械等による危険防止措置、掘削等における作業方法から生ずる危険防止措置、墜落するおそれのある場所等に係る危険防止措置を講ずることです。
 作業場に危険な箇所がないか、作業方法に危険はないか、事故が起きたときの救護施設は万全かどうかなどを検討します。

 

安全衛生管理体制の構築

   総括安全衛生管理者、安全管理者、衛生管理者、安全衛生推進者、衛生推進者、産業医、作業主任者を配置します。

 一定業種・一定規模以上の事業場において、安全に関する事項を調査・審議し、事業主に意見を述べる安全委員会、衛生に関する事項を調査・審議して事業者に意見を述べる衛生委員会を設置しなければなりません。

 

機械等及び有害物に関する規制   

 原材料等による健康障害防止措置、建設物等に関する健康保持のための措置を講ずること。
 特定機械等に関する規制、有害物に関する規制を実施すること。

 

2 身体的健康に対する安全配慮義務

 企業の負う安全配慮義務の内容には、労働者の身体健康面への配慮も含まれます。

 企業は、労働時間休憩時間休日、休憩場所等について適正な労働条件を確保し、さらに、健康診断を実施した上、労働者の年齢、健康状態等に応じて従事する作業時間及び内容の軽減、就労場所の変更等適切な措置を取るべき義務を負います。

 極度な長時間労働をした労働者が過労死にいたったケースや過労自殺等の事案においても、企業の安全配慮義務が問われることになるからです。

電通過労自殺事件(最高裁 平12.3.24)

 入社後1年5ヵ月の24歳男性社員が、常軌を逸した過重労働によりうつ病に罹患し、自殺した事例
 使用者は、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うとされました。

脳・心臓疾患の労災認定基準

過労死・過労自殺の労災認定基準

○労働時間の把握と時間外労働の制限

オーク建設(ホームテック)事件(広島高裁松江支部 平21.6.5)

 発症前1ヵ月の時間外労働時間が99時間22分にも達していた営業担当者が、深夜に自宅で急性心不全によって死亡した事故の事例
 労働者が上司からの命令ではなく、自発的に長時間労働をしていたとしても、使用者は、タイムカードや営業日報などから過度の時間外労働の存在を知り得るはずであり、これを知ろうとせず、結果として労働時間を減らす措置を講じなかった使用者に安全配慮義務違反があるとされました

 

管理職の業務実態の把握と業務軽減措置等

運輸会社営業所長自殺事件(鹿児島地裁 平15.5.19)

 業務が過剰となって肉体的、精神的疲労を蓄積させていた営業所長が、長時間労働や職場でただ一人の管理職としてのストレスが原因で自殺してしまった事例  
 仕事が過酷であってもこれを上司に訴えることができないことがある管理職の立場に留意し、定期的にその業務の実態を把握し、何らかの過重負荷の兆候がみられたときは、速やかに業務を軽減し、配置を異動するなどの措置を講じるべき義務を使用者は負っていたとされました

 

復職時の健康配慮、職務軽減、職種変更等

 石川島興業事件(神戸地裁姫路支部 平7.7.31)

 会社内で交通事故に遭い、労働能力が著しく低下し、事故以前と同様の作業内容に従事できる状態になかった従業員が、事故以前と同様の作業に従事させられ、慢性的疲労状態によって急性心不全により死亡してしまった事例   
 使用者は、交通事故以前と同様の作業内容に従事できる状態になかった事実を容易に知り得る状況にあったのであるから、その従業員の復職にあたり、従業員の主治医と十分に相談し、あるいは産業医による判断を仰いだうえで、その健康状態に応じて、残業及び宿日直勤務を禁じ、または、その作業量及び作業時間を制限し、あるいはこのような制限のみでは不十分な場合には、その職種を変更する等の措置を講ずるべき義務を有していたとされました

 

研修時間、研修内容の適正配慮

 関西医科大学研修医過労死事件(大阪高裁 平16.7.15)

 病院で研修生として研修業務を行っていた研修医が、疲労の蓄積により、過労状態に陥り、過労や精神的ストレスによるブルガダ症候群の発症としての特発性心室細動により、突然死してしまった事例
 病院は、研修業務の遂行により、疲労が蓄積して過労状態に陥って心身の健康が害されることがないように、研修時間や研修内容の密度が適切であるよう配慮し、少なくとも定期的に、大学入学時に実施したものと同程度の健康診断を実施するなど、一定の措置を講ずべき安全配慮義務を負っているとされました

 

○健康診断・面接指導の実施

 安全衛生教育の実施とならぶ安全衛生対策のもう一つの柱が健康診断の実施です。

 事業者は、常時使用する労働者を雇い入れたときは、当該労働者に健康診断を行わなければなりません。
 1年以内毎に1回、定期に健康診断を行わなければなりません。
 有害業務に常時従事する労働者に対しては、配置換えの際及び6ヵ月以内ごとに1回、定期に、健康診断を行わなければなりません。
 時間外労働が1月100時間を超え、疲労の蓄積が認められる長時間労働者が、面接指導を申し出ているときは、使用者は、医師による面接指導を実施しなければなりません。

 

○安全衛生教育の実施等

 多くの事業場で日常的に行われる最も一般的な安全衛生対策の一つが安全衛生教育です。事業者は労働者を雇い入れたとき、又は作業内容を変更したときは、安全衛生教育を行わなければなりません。

(安全衛生教育の内容)
 (1)機械等、原材料等の危険性又は有害性及びこれらの取扱い方法に関すること
 (2)安全装置、有害物抑制装置又は保護具の性能及びこれらの取扱い方法に関すること
 (3)作業手順に関すること
 (4)作業開始時の点検に関すること
 (5)当該業務に関して発生するおそれのある疾病の原因及び予防に関すること
 (6)整理、整頓及び清潔の保持に関すること
 (7)事故時等における応急措置及び退避に関すること 

・三井倉庫(石綿曝露)事件(大阪高裁 平23.2.25)

 石綿(アスベスト)の被害の問題について、港湾にある倉庫会社に勤めていた元労働者が、業務中に石綿(アスベスト)粉塵に曝露し、退職後に悪性中皮腫を発症して、死亡した事故について、使用者には、防塵マスク等の保護具の支給や安全教育を行う義務があるとしました。

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快適な職場環境の形成のための措置

 事業者は、事業場における安全衛生の水準の向上を図るため、
(1) 作業環境を快適な状態に維持管理するための措置
(2) 労働者の従事する作業について、その方法を改善するための措置
(3) 作業に従事することによる労働者の疲労を回復するための施設又は設備の設置又は整備
などを講ずることにより、快適な職場環境を形成するように努めなければなりません

 

受動喫煙防止対策

 受動喫煙について、使用者は、受動喫煙の危険性から労働者の生命及び健康を保護するよう配慮すべき義務を負っているとされ、職場で労働者に受動喫煙をさせないようにすることなども使用者が負う安全配慮義務の内容となることを認めています(ライトスタッフ事件 東京地裁 平24.8.23)。

 労働安全衛生法の改正により、平成27年6月に職場の受動喫煙防止対策努力義務になります。

 こうした動きに対応して、受動喫煙防止対策助成金制度を設けています。

 この助成金は、中小企業事業主が喫煙室以外での喫煙を禁止するために喫煙室を設置などする取組みに対し助成することにより、事業場における受動喫煙防止対策を推進することを目的としています。職場での受動喫煙防止対策に取り組む中小事業主が、一定の基準を満たす喫煙室を設置・改修する費用(上限200万円)を助成します。

 

3 精神面に対する安全配慮義務

 企業の負う安全配慮義務の内容には、労働者の精神面への配慮も含まれます。同僚による悪質ないじめや上司による執拗な叱責・誹謗などにより、労働者がうつ病に罹患し自殺に至った事案において、企業の安全配慮義務が問われることになります。

心理的負荷による精神障害の認定

職場のパワーハラスメントの防止

 ・川崎市水道局事件(東京高裁 平15.3.25)

 上司ら3名からのいじめ・嫌がらせなどにより、精神的に追い詰められて自殺した職員の事件について、「職員の安全の確保のためには、職務行為それ自体についてのみならず、これと関連して、ほかの職員からもたらされる生命、身体等に対する危険についても、市は具体的状況下で、加害行為を防止するとともに、生命身体等への危険から被害職員の安全を確保して被害発生を防止し、職場における事故を防止すべき注意義務(「安全配慮義務」)がある」と認定されました。

 

セクシュアルハラスメントの防止

 セクシュアルハラスメントにおいては、事業主に対し、雇用管理上必要な措置を講じる義務が課されています(男女雇用機会均等法11条)。

仙台セクハラ(自動車販売会社)事件(仙台地裁 平13.3.26)

 「事業主は、雇用契約上、従業員に対し、労務の提供に関して良好な職場環境の維持確保に配慮すべき義務を負い、職場においてセクシュアルハラスメントなど従業員の職場環境を侵害する事件が発生した場合、誠実かつ適切な事後措置をとり、その事案にかかる事実関係を迅速かつ正確に調査すること及び事案に誠実かつ適正に対処する義務を負っている」とされました。

 

抱え込み労働者への生活状況等全般を把握

 アテスト(ニコン熊谷製作所)事件(東京高裁 平21.7.28)

 派遣労働者として、クリーンルームと呼ばれる閉鎖的な空間において、ほとんど立ちっ放しの状態で、昼夜交替制で勤務していた労働者が、過重な労働等による肉体的及び精神的負担によって うつ病 に罹患し、自殺したとして、派遣元企業と派遣先企業双方の安全配慮義務が問われた事例
 いわゆる職住接近型の抱え込みという形で労働者を使用するものは、その健康状態を含めた生活の状況等の全般を把握すべきであり、とくに精神的変調をきたすことがないか注視を続ける安全配慮義務を負っているとされました。

 

突発的状況下における通常以上の精神面への留意等

 みくまの農協事件(和歌山地裁 平14.2.19)

 台風の襲来による浸水被害を受けた給油所の所長が、通常業務のほかに復旧作業にも従事しなければならない状況下で、過重労働によるストレスによって うつ病 に罹患し、自殺した事例
 使用者は、所長という責任ある立場にあった者に対して、浸水被害といった突発的な状況下における過重労働が強いられる状況下では、通常以上にその健康状態、精神状態に留意し、過度に負担をかけ、心身に変調をきたして自殺することがないように注意すべき義務を有していたとされました。

 

○心理面、精神面への影響に対する個別的措置

オタフクソース事件(広島地裁 平12.5.18)

 入社半年後に関連会社に転籍された従業員が、転籍およそ2年後に、業務による慢性的疲労や職場の人員配置の変更に伴う精神的、身体的負荷の増大により うつ病 に罹患し自殺した事例
 企業には、労働環境を改善し、あるいは労働者の労働時間、勤務状況等を把握して労働者にとって長時間又は過酷な労働とならないように配慮するのみならず、労働者が労働に従事することによって受けるであろう心理面又は精神面への影響にも十分配慮し、それに対して適切な措置を講ずべき義務を負っているとされました。そして、これらの措置は、事業の規模、種類及び内容、作業態様(単独作業か共同作業か)等により異なるものであるから、これらの諸事情を考慮した上で個別に判断すべきであるとされました。

 

会社に対する責任について

 使用者は、労働者が業務の遂行に伴い疲労や心理的負担等の過重な蓄積により、心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負っています。上司が労働者の長時間労働や健康状態の悪化を認識しながら、その負担軽減措置等を採らなかった場合には、過失があるものとして使用者の損害賠償責任が肯定されることもあるのです。会社には、働く人達の生命や健康を危険から保護するよう配慮する義務(「安全配慮義務」)があるからです。a0070_000252

  働者に基礎疾患や通常想定される範囲を外れた性格がみられたケースにおいて、業務の過重性が重なったことにより疾病や死亡に至った場合、損害の全部を企業に賠償させることは公平を欠くとして、過失相殺に関する規定(民法722条2項)を類推適用して、労働者の基礎疾患や性格を斟酌の上、損害賠償額を定めることができるとされています(デンソー(トヨタ自動車)事件 名古屋地裁 平20.10.30)。

 

(判例)

大石塗装・鹿島建設事件 最高裁第1小(昭和55・12・18)
金沢労基署(災害調査復命書)事件 最高裁第3小(平成17.10.14決定)
川義事件 最高裁第3小(昭和59.4.10)
航空自衛隊芦屋分遣隊事件 最高裁第2小(昭和56.2.16)
高知営林署事件 最高裁第2小(平成2.4.20)
システムコンサルタント事件 東京地方裁判所(平成10年3月19日)
日鉄鉱業長崎じん肺事件 最高裁第3小(平成6・2・22)
東加古川幼児園事件 最高裁第3小(平成12・6・27)
富士保安警備事件 東京地方裁判所(平成8年3月28日)
三菱重工業神戸造船所事件 最高裁第1小(平成3・4・11)
陸上自衛隊第331会計隊事件 最高裁第2小(昭和58.5.27)
陸上自衛隊八戸駐屯地事件 最高裁第3小(昭和50.2.25)
林野庁高知営林署事件 最高二小判決(平成2年4月20日)

 

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