薬物依存

 恐怖心から自由にならないかぎり、みなさんは真に幸福になることはありえません。恐怖心から自己保存欲が生じ、また、自己保存欲から恐怖心が生じます。そして、結局、お互いに自分を守りたいがために、戦争を起こすようなことになります。死にたくない者どうしが お互いに殺し合うという矛盾したことが起こるのです。

薬物の使用と乱用 詳しく

 クスリに依存する恐ろしさは、第一に心の自由を失ってしまうからです。毎日クスリのことしか考えられず、心をクスリに支配されて、自由を失ってしまいます。第二に、創造性を失ってしまいます。将来や未来への希望、夢を描き、どう行動すればよいかなどを考えることができなくなる。第三に、精神的な成長が止まってしまいます。13歳でクスリに手を出せば30歳になっても精神年齢は13歳のままなのです。第四に、善意を失っていきます。自分や他人の命の尊さが分からなくなり、人間関係の構築もできなくなってしまうのです。自殺の多発も招いてしまいます。

 クスリは、人間として生きる上で大切なものをすべて失ってしまう怖さをはらんでいるのです。

 クスリに手を出さないためには「味方の存在」が大切です。薬物依存者の多くは、人間関係を築くのが不得手な人や、困っていることを言えない人がほとんどです。しかし、クスリの問題は人と人の関わりの中でしか治せないものでもあるのです。

 依存者に対しては、周囲の人がベッタリするのではなく、適度な距離間を保ち、時に励ましたり、見守ったりすることが大きな力になります。

 もし、目の前に薬物中毒に苦しんでいる人がいるとしたら、「どんなことでも恥ずかしいとか、格好悪いとか思わず、ありのまま話してみて」と声をかけます。

 “I need help”と言えるようになれば、それは回復の第一歩なのです。

 薬物依存の恐ろしさとして、
 ①心の自由を失う
 ②創造性を失い将来がダメになる
 ③精神的な成長が止まる
 ④人間としての善意をなくしてしまう
の4点が挙げられる。

 人間として生きていく上で大切なものをすべて奪い去るのが薬物中毒です。

 「覚せい剤などの薬物とは、どんなもので、その依存症がどれほど恐ろしいか」について、まだまだ十分に知られていない状況です。そのため、軽い気持ちで始める若者も増えていると思われる。

 とはいえ、同じくそれを知らなくても、薬物に手を出す人と出さない人がいる。思春期前後に手を染める場合、家庭の愛情不足などからくる寂しさから逃避したくて薬物に走るケースが少なくない。小学校でいじめにあったことがきっかけで不幸感覚を強めていき、「自分を破壊することで世の中に復讐してやる」といった気持ちで覚せい剤に溺れていくケースもある。

 さらには、麻薬汚染に苦しむアメリカのように、自由主義原理に基づく競争社会が進展すると、仕事の競争に伴うストレスも高まる。そのストレス解消や憂さ晴らしのため薬物に手を出すケースが日本でも増えている。

 家庭、学校、ビジネス。日本社会全般の荒廃が、薬物蔓延の背景にあることは間違いない。

 こうした社会を正していくことも必要だが、それ以外に、人が薬物に手を出すことを思いとどまり、また、薬物依存から立ち直るには何が必要でしょうか。「味方の存在」を感じることが大事です。自分を暖かく見守り、決して甘やかすことなく自立へと導いてくれる人の存在が、立ち直りの大きな力になるのです。

「薬物依存は、人と人の関わりでしか治すことができない」

 薬物依存に陥った自分さえも無条件に包んでくれる「仏神の愛」を知ることで、立ち直りの勇気を得る人もいる。「以前の自分は、愛があるなら信じたかった。でも分からなかった」。絶対の愛で人間に許しを与える仏神は、「究極の味方」ということです。

 ところが、今の日本は、とにかく「薬物依存はダメ」と打ち出すだけの風潮が強い。ダメというのはノーということです。これは排除と一緒です。

 常識やモラルだけで薬物依存者を排除する傾向が日本社会に定着してしまっているなら、そうした排除は愛とは逆のものである。

 何かに依存しなければ生きていけない心の状態にある彼らを単にノーと切り捨て、批判や非難をするのではなく、彼らの根底にある「満たされない思い」に寄り添ってこそ、薬物依存の予防や立ち直りに必要な処方箋が見えてくる。

 薬物依存者には、欲しいものを何でも買ってもらえる過保護な環境で育ったため、薬物の誘惑に対して自制する心が弱い人が多い。

 この事実が反面教師的に示唆するのは、「何のため、どう生きることが自分にとって幸せなのか」という、正しい人生観を幼少時から身につけることが、薬物の誘惑から身を守るということです。

 なぜ、薬物を使用してはいけないのか。それは、その人が本来手にするべき本当の幸福を得ることができなくなるからです。一時の快楽や逃避という「幸せの代用品」を求めて、あまりに大きな代償を伴う薬物に手を出す人を減らすためにも、今こそ「本当の幸福とは何か」を考え直すべきではないでしょうか。

 薬物中毒となった人をどのように更生させるかは、精神科の大きなテーマでもあるが、これには脳科学的なアプローチだけでは不十分です。実は、この問題を解決するには、霊的な視点からの分析が不可欠です。

参考

麻薬使用の霊的真相

 犯行時の記憶がなくなっているケースもよくある。事件を起こしている肉体は自分であっても、そのとき肉体をコントロールしているのが別の霊存在であるため、記憶があいまいだったり、記憶がなかったりする。

参考

 幸福の科学大川隆法総裁は、著書『エクソシスト入門』の中で、霊的視点から見た麻薬の影響について次のように述べておられます。

「LSD系の麻薬を使用すると、一種の意識変化を起こして、擬似的な霊現象、体外離脱現象のようなものを体験することがあります。実際に霊界を見ている場合もありますが、おそらく、肉体と魂をつなぐ『霊子線』の部分が麻痺して、魂が遊離しやすくなるのではないかと思います」(『エクソシスト入門』)

 つまり、薬物によって理性が弱まり、その間、肉体から魂が遊離してしまうことがあるということです。肉体から魂が遊離するとどうなるかと言えば、肉体が無人状態になるので、そこに悪霊が憑依し、人格が全く変わってしまうということもある。アルコールで酩酊状態になった際にも、憑依現象によって人格が変わってしまうことがある。同様の原理です。

 薬物中毒者が、「誰かに監視されている」「『殺してやる』という声が聞こえる」などと言い、病院送りにされることがあるが、実際に、憑いている霊の声が聞こえたり、姿が見えたりしている場合もある。この世の人間の不幸を喜ぶ悪霊の立場から見れば、麻薬を使っている人は、憑依してこの世で暴れるための格好の道具ということになる。

 このように、「霊的に何が起きているのか」を知った上で、医学的にアプローチする必要がある。身体から薬物を抜き、壊れた肉体と魂のつながりを取り戻すには、霊肉両面からのアプローチが求められる。

 ただ、本人に責任がないかと言えばそんなことはない。憑依される状況をつくったのは、他ならぬ本人だからです。憑依は、本人の心の波長と悪霊の波長が合った時に起こる。ラジオの周波数を合わせるとその周波数の放送を聴けるように、同じ波長の者同士でなければ憑依はできない。つまり、悪霊や悪魔に憑依されないためには、麻薬などを使わないことは当然だが、心の波長を明るく積極的に保ち、失望や不満など悪霊と同じ心境にならないことが最も重要です。

 大川隆法総裁は、『超・絶対健康法』で、ストレス社会には薬物が蔓延すると指摘した上で次のように述べておられます。

「現代人は、自分の言いたいことを言えるようになり、口は強くなりましたが、その反面、精神的には弱くなったのです。精神的に、もろくなり、人のささいな言葉に傷ついたり、ちょっとしたことで自分をいじめたりするような面が出てきました。そういう点で、精神の鍛え方が足りないのです。ある意味では、禅修行のような、宗教的な意味での胆力の鍛え方が、現代では足りなくなっています。やはりそれが、宗教として教えなければいけないところでもあると思うのです」

 薬物に手を出さないためにも、薬物中毒を克服するためにも、精神的な力が必要です。現代では、「精神修行」という言葉を、古臭く、迷信的なものとする風潮が強い。もちろん、宗教の正邪を見分ける必要はあるが、今こそ「精神」「心」というものの大切さを見直す時と言えるでしょう。

参考

精神的タフさを身に付ける

 大川隆法総裁は、『超・絶対健康法』で、ストレス社会には薬物が蔓延すると指摘した上で、次のように述べている。

「現代人は、自分の言いたいことを言えるようになり、口は強くなりましたが、その反面、精神的には弱くなったのです。精神的に、もろくなり、人のささいな言葉に傷ついたり、ちょっとしたことで自分をいじめたりするような面が出てきました。そういう点で、精神の鍛え方が足りないのです。ある意味では、禅修行のような、宗教的な意味での胆力の鍛え方が、現代では足りなくなっています。やはりそれが、宗教として教えなければいけないところでもあると思うのです」

 薬物に手を出さないためにも、薬物中毒を克服するためにも、精神的な力が必要です。現代では、「精神修行」という言葉を、古臭く、迷信的なものとする風潮が強い。もちろん、宗教の正邪を見分ける必要はあるが、今こそ、「精神」「心」というものの大切さを見直す時と言える。

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