認知症

 認知症患者は、車から降りることを促されているだけなのに、まるで屋上から飛び降りることを強要されているように感じたり、電車の中で目覚めるとどこにいるのかわからなくなったりする。 

参考

 認知症とは、脳の一部が変化したり、血管が詰まるなどして、脳の一部が機能しなくなり、生活に支障をきたす状態を指す。アルツハイマー病や脳梗塞などにより、脳の一部が死んでしまうケースも含まれる。記憶力の低下や状況認識能力の低下、その影響による徘徊の問題、そして、脳機能の低下から身体の麻痺が進めば、寝たきりになることもある。

認知症 詳しく

 現在、日本では65歳以上の4人に1人が予備軍を含めた認知症とされ、患者は世界一の速さで増加しており、2025年には470万人になる見通しです。

 いち早く超高齢社会に突入した日本だからこそ、世界に先駆けて対策を研究し、高齢者が元気で暮らせる社会を目指すことは大切です。個人でも、運動や食事を工夫することで防止・改善できる部分は努力すべきである。

 病気の原因は肉体の問題のみにあるのではなく、心の持ち方とも大きく関係がある

 宗教的な観点から見ると、認知症であっても魂は健全で、周りの人の考えや気持ちなどはすべて伝わっている。肉体に不具合を抱え、自分の気持ちを上手く表現できなくとも、心の中では人と同じように痛みや苦しみ、そして喜びや感謝も感じている。人間は霊的存在であり、その本質は魂である。肉体と重なる形で「幽体」があり、心臓に近い部分に「魂」が存在する。深い悩みや、怒りや憎しみといった感情を長く持ち続けていると、その偏った思いが魂をくもらせ、幽体に異変を生じさせた結果、肉体の同じ部分に病変が現れる。これが、病気になる真のメカニズムである。そしてまた、病気の種類と「思い」の持ち方には、関連性が強い。

 幸福の科学大川隆法総裁は、著書『奇跡のガン克服法』で、年を取ってこれまでの人生が不幸だったという記憶が強く出てくる場合、認知症などの病気になりやすいと、次のように指摘された。

「自己防衛本能として、その記憶を薄めていきたくなります。そうすると、認知症など脳の病気になりやすいのです。人生を振り返ってみて思い出したくないような不幸な記憶の方が多いと、その記憶を薄めていきたくなり、認知症など脳の病気にかかりやすい」

皮肉屋で幸福な人が少ないことを考えると、やはり心と病気は深い関係があると考えさせられる。

アルツハイマー病の霊的背景

痴呆症 詳しく

 大川隆法総裁は、著書『心と体のほんとうの関係。』で次のように述べている。

「人間の肉体は、”機械”としての面では、いろいろなところが弱ってくるので、頭脳の機能などがうまく働かなくなることはあります。しかし、そのようになったときでも、”霊的には完璧”です」

 健康な人からすれば、認知症の人が感じている日常は想像もつかない世界です。患者が何を考えて行動しているのかが分からず、途方にくれることもある。しかし、こうした体験を通じて、患者の気持ちを理解することができれば、自然と見方も変わってくる。

 認知症になる人には、思い出したくない過去がある場合も多いと指摘する。自己防衛反応として脳の病気をつくり、辛く悲しい過去を忘れられるようにしているケースもあるという。

 認知症の原因は、仏法真理の教えとしても肉体的な機能の衰えと言われています。ただし、大事なポイントは、心の部分は正常であり「機能」のトラブルだと言う事です。 認知症は脳の機能障害であり、心や魂の部分は正常なので、悪人になったわけではありません。そのため、亡くなると天国に行く事が出来ます。もちろん、生前に地獄に行くような生き方の方は別ですが、天国に行けるような生き方をしてきた方は問題なく天国に入れます。 認知症は脳の機能が正常に働かず、本人の気持ちや行動を体の方で表現できなくなっているのです。パソコンで例えれば分かりやすいでしょう。ワープロ入力している人が正常でも、ワープロソフトが異常になれば正常に文字変換ができません。ウイルス等が侵入したら、訳の分からない動きをするのがパソコンという機械です。これと同じで脳が機能障害を起こすと、本人がやりたい事を表現すると異常な行動になってしまうのです。本人の心は正常なので、自分の言いたい事が伝えられずに暴れて異常な行動をしているのです。本人ももどかしく、申し訳ないと思っています。ただ、それを伝える方法がないので困っているのです。しかし、その状態を本人が狂ったと周りの人が考えれば、そのあとは本当に悔しくて暴れることもあるかもしれません。これは人間関係としてはあり得ます。狂ったと思われれば、悔しいからもっと暴れるのは若い人も同じです。そのためどんな事をしていても、悪口や悪態をつくと本人の心に伝わります。返事ができなくても聞こえている可能性が高いのです。 本人も苦しいので大変ですが、魂的には正常のままですからそれだけは理解する必要があります。痴呆症になるのは悪人だからでも、カルマがあるからでもなく、肉体の機能障害のためです。天上界に変えれば、普通の姿と行動に戻ります。ただ、肉体的な機能障害なので、なるべく脳の機能を損なわないように心掛ける必要があります。脳の機能低下は40代から始まっています。新しい事をやらなくなり、毎日ワンパターンな生活をしていると危ないです。

 脳のボケ予防には、足腰を鍛えておく事と、考えるベースとしての読書が有効です。 また、計算問題や語学の勉強など、後半生でも挑戦する気持ちを持っているとボケにくいようです。

 認知症の人との接し方について、大川隆法総裁は次のようにアドバイスします。

「周りの人たちが、もう少し感謝してあげなくてはいけないと思います。周りの人たちから感謝され、現在ただいまが幸福だったら、過去の苦労は幸福なものに変わっていくのです。なるべく感謝し、ほめてあげ、優しくしてください。それが大事です。それによって、少しずつ好転していくと私は思います。」(『奇跡のガン克服法』)

 魂の真実を知った時、人は生まれ変われるし、周りの人をも幸福にできる。相手を理解したということは、その人を愛せたということに等しい。

 『ザ・ヒーリングパワー』でも、アルツハイマー病などは悪霊の憑依によることも多いことが記され、本人が大川総裁の法話を聞くだけで、悪霊と波長が合わなくなったのか、治ってしまったという奇跡体験も報告されている。

 超高齢社会を迎えるに当たり、増加が予想される認知症患者の支援策を講じることは大切だが、肉体面からの調査だけでは十分とは言えない。一人でも多くの人が幸福な老後を生きられるよう、認知症対策は心(魂)と体の両面から考えていただきたい。

参考

 大川隆法総裁は、著書『心と体のほんとうの関係』の中で認知症について以下のように述べています。

「認知症になったからといって、天上界に行けないということはありません。たぶん、脳のなかに傷んできた部分があり、魂の思いが正常に体に伝えられず、うまく体を動かすことができない状態になっているのだと思います。私の父は八十二歳で亡くなりましたが、脳の一部に腫瘍ができたため、亡くなる七カ月前ぐらいから、やや認識が不自由になった時期がありました。しかし、亡くなったときには、霊となって一日か二日のうちに俳句をつくり、私のもとへ霊的なメッセージを送ってきたのです。その俳句は、『善川三朗の霊言 帰天説法①』(大川隆法著 宗教法人幸福の科学刊)に載せてあります。このように、肉体を動かす“機械”としての脳が傷み、正常に働かなくなったとしても、魂のほうは別に何ともないのですね。正常であり、元のままなのです。父の霊的な姿は、死後、一カ月か二カ月すると、六十五歳ぐらいの姿まで若返っていきましたし、そのあとは、さらに四十代まで若返っていくという感じで、どんどん変わっていきました。年配の人を介護している人は、その人から、「足が動かない。体が寝たきりになる」「ガンで苦しい。痛い」「頭がぼけて、思いが伝えられない」「わしの頭は正常なのに、周囲の人たちがわしを気違い扱いする」など、いろいろ言われることでしょう。そのような不自由な思いを、晩年は、みな、経験します。しかし、あの世へ還ったときには、蝉が羽化するように、「うわあ、なんて身軽な感じなのだろう。なんて幸福なのだろう」というような気持ちを味わえるのですね。天国に行く人は、死んでから幸福感が出ます。地獄に行く人は違いますが、天国に行く人は幸福感を味わえるのです。いま認知症であれば、家族に迷惑がかかりますし、本人も苦しいと思います。本人は心のなかで周りの人にお詫びをしていると思います。その苦しみの期間中は家族も少し大変かもしれませんが、本人にとっては、来世、あの世に行ったときの幸福感が、そうとう強いものになるでしょう。介護をしている家族のほうには、何らかのお返しの義務のようなものがあるのかもしれませんし、「やがては自分も介護される日が来る」ということかもしれませんが、それも愛の実践です。耐えることも愛の実践なのです。また、ある人が、晩年にアルツハイマーにかかったからといって、その人の人生が間違っていたわけではないのです。人間の肉体は、“機械”としての面では、いろいろなところが弱ってくるので、頭脳の機能などがうまく働かなくなることはあります。しかし、そのようになったときでも、“霊的には完璧”です。したがって、「周りが言っている悪口などが本人の魂に聞こえている可能性は高い」と思い、口を慎んだほうがよいのです」  

 晩年に認知症になったからといって、その人生が間違っていたわけではないし、天上界に還れないわけではない。

 脳が傷んで、うまく体を動かすことができない状態になっているだけで、魂のほうは正常である。

 本人にとっては、今が不自由なだけに、あの世に還ったときの幸福感は、そうとう強いものになる。

認知症であっても魂は健全

 介護をしている家族のほうは大変だが、これに耐えることも愛の実践です。

 人間の本質は肉体ではなく霊であるという霊的真実を知れば、認知症が「全てを失う病気」ではないことが分かる。脳が損傷を受けて認知症を発症しても、魂は健全なのです。

 宗教的な観点から見ると、認知症であっても魂は健全で、周りの人の考えや気持ちなどはすべて伝わっている。肉体に不具合を抱え、自分の気持ちを上手く表現できなくとも、心の中では人と同じように痛みや苦しみ、そして喜びや感謝も感じている。

参考

 老化による肉体的苦しみは誰もが何かしら経験するものです。それは、単なる苦しみではなく、人生の課題につながるものであったり、肉体を脱ぎ捨ててあの世へ還るための準備の意味がある。また、生前、神仏の心に叶う生き方をしていたならば、病などで苦しんだ分、あの世へ還ったときの幸福感は大きくなる。

 また、家族にとって、認知症患者の介護は愛の実践行でもある。

 かつてお世話になった家族に無私な思いで恩返しすることは、介護する側にとって魂の大きな成長の機会となり、功徳を積むことになる。

 治療という意味では、家族にできることは少ないかもしれない。しかし、愛ある言葉で、認知症患者の不安や孤独感を和らげ、魂の癒しを与えることは、目に見える形で現れなくても、大きな意味があると言える。

参考

 大川隆法総裁は、『奇跡のガン克服法』で以下のように説いておられます。

「これに対処する方法を述べると、まず、お母さんに対して、周りの人たちが、もう少し感謝してあげなくてはいけないと思います。周りの人たちから感謝され、現在ただいまが幸福だったら、過去の苦労は幸福なものに変わっていくのです。私は、「過去はもう直せませんが、未来は直せます。未来は、まだ変えていくことができます。変えることのできない過去については、反省して教訓を学べば、もう十分です。そして、努力し、よい種をまき、未来をよくしていきましょう」と、よく言っています。ただ、そうはいっても、「一定の年齢を超えると、種をまいても、未来を変えていく余地は、それほどないのではないか」という考えは、当然、あるわけです。そういう考えの人たちに対して、私は、『心と体のほんとうの関係。』にも書いたことですが、「現在ただいまが幸福だったら、過去の不幸体験が、全部、金色に変わるんですよ」ということを申し上げたいのです。今が幸福であれば、「過去に不幸であった体験は、全部、現在の幸福をつくるための、とてもよい砥石だった」と言うことができます。そこで、現時点で幸福な気持ちを持てるように、周りの人たちが、努力して、そういう状況をつくってあげる必要があるのです。お母さんの病気は、おそらく、「不幸な思い出をあまり反芻したくない」という理由で、防衛本能が働いているのだと考えられます。周りの人たちにできることは、お母さんに優しくし、感謝をすることです。それが、言葉では、うまく伝わらなくても、心のなかで、「『お母さん、ありがとう』『おばあちゃん、ありがとう』という、感謝の気持ちを、家族で持とう。そして、現在において、幸福な気持ちを持っていただこう」と思うことが大事です」

 その病気はおそらく、過去の不幸な思い出をあまり反芻したくないことに原因がある。

 過去の不幸体験も、現在ただいまが幸福だったら、そのための砥石だったと言えるようになるから、いま幸福な気持ちを持てるように、周りの人たちが努力してあげる必要がある。

 周りの人たちは、その方に優しくし、感謝をすること。言葉では伝わらなくても、心のなかで感謝し、いま幸福だという気持ちを持っていただこうと思うことが大事です。

 介護疲れの理由の一つに、認知症の人に介護をしても意味がない、明るい未来が描けないと考えてしまうことが挙げられる。こうした認知症介護による不幸を減らすには、認知症の本質を理解することが必要です。

 大川隆法総裁は、認知症について次のように述べている。

「いま認知症であれば、家族に迷惑がかかりますし、本人も苦しいと思います。本人は心のなかで周りの人にお詫びをしていると思います。人間の肉体は、”機械”としての面では、いろいろなところが弱ってくるので、頭脳の機能などがうまく働かなくなることはあります。しかし、そのようになったときでも、”霊的には完璧”です。したがって、「周りが言っている悪口などが本人の魂に聞こえている可能性は高い」と思い、口を慎んだほうがよいのです(『心と体のほんとうの関係。』)

 一見、何も分かっていないかのように見える認知症の人も、魂は健常で、介護者がその人にかけた温かい言葉や愛の思いは敏感に感じ取っている。

 介護する側は、その無私な行為を通して、「与える愛、尽くす愛、奉仕とは何か」を考え、他人に対する献身の心を学ぶ機会と捉えることもできる。

 厳しい環境であったとしても、いかに明るく、朗らかに生きられるかが、本人の魂を光らせるための試練になっているという考え方もある。

 こうした認知症の本質を知り、家族のきずなで困難を乗り越え、幸福な晩年を過ごす人が増えることを望みたい。  参考

 認知症は「関係性の障害」であり、医療ができることは1割程度だと考えています。一人で料理や買い物ができなくなったなら、「一緒にやろうね」とサポートする人がいればよいわけで、たとえ物忘れがあっても、周りとの関係がよければ、介護の負担もそれほど増えないはずです。

 しかも現在、一般的に使われている認知症薬は、患者を興奮させる作用があるため、薬が効きすぎると暴れ、幻覚や徘徊がひどくなります。他にも、歩行障害、食欲不振、不整脈などの副作用も報告されています。

 超高齢社会を迎えるに当たり、増加が予想される認知症患者の支援策を講じることは大切だが、肉体面からの調査だけでは十分とは言えない。一人でも多くの人が幸福な老後を生きられるよう、認知症対策は心(魂)と体の両面から考えてほしい。

 人間は霊的な存在であり、心の作用が肉体に影響を及ぼしている。ゆえに、人を機械のように扱う今の医学にはやはり限界がある。

 医学は長らく唯物的な視点から病状を分析するのみで、心や精神が病気に与える作用を軽んじる傾向にあったが、こうした研究が増えることによって、心や霊的な視点を踏まえた医学が発展することを願いたい。

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