「マネジメント」という世界を開拓

企業が独裁国家出現の防波堤になる

 言論の自由の前に、情報取得の自由が必要であり、それがなければ、言論の自由もない。

 今は、企業と国家とが戦う時代であり、自由の抑え込みに対して、企業が国家に対して挑戦する時代になった。

 「企業が独裁国家出現の防波堤になる」というドラッカーの予言が、今実現しつつある。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『ドラッカー霊言による「国家と経営」』でドラッカーの霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

「まあ、聴いている方々が分からないかもしれないから、今、あなたが言及されたことを、別なたとえで言いましょう。
 例えば、「中国とアメリカとが、意見が合わず、国同士で戦争をする」というようなことが古典的なパターンですよね。国としての方針が対立して、ぶつかり、戦争になる。これは古典的な対立です。
 ところが、最近は、グーグルという、インターネットの検索サービスの会社があり、そのグーグルが、検閲をめぐって中国とけんかをし、「中国から撤退する」と言っていますね。
 今は、企業と国家とがけんかをする時代です。これはアメリカと中国の戦争ではないんですね。
 企業であるグーグルが、「中国では仕事にならない。これだけ規制が多く、検閲までされる体制のなかでは、グーグルとしての企業活動はできない」と言って、中国が全体主義国家であることを告発し、政治体制を変えるように迫っているわけです。
 それは、「グーグルを使いたければ、この政治体制を壊して、変えるべきだ。もっと民主的で、言論の自由のある社会につくり変えなければ、グーグルを使うことは相成らんし、あなたがたとは付き合わないぞ」ということです。
 しかし、実際のところ、中国では、コンピュータがかなり普及しているので、中国の国民は、グーグルとの関係を引き裂かれると困りますね。
 ところが、中国政府のほうは、国家にとって具合の悪い情報が流れないように、国営テレビにも新聞にも、全部、統制をかけているのです。そのため、いろいろなところから検索をかけられ、自由に情報を取られたら、政府などのやっていることが、すべて知られてしまうわけです。
 中国国内では、例えば、どこかを政治的に占領したりしていても、善行ばかりやったように報道されています。
 だから、「言論の自由の前に、情報取得の自由が必要である。それがなければ、言論の自由もない」ということですね。
 情報を集める自由があり、それに基づいて、多様な言論が展開されます。情報を与えられずに言論の自由を与えられても、一つの情報しかなければ、それ以外には言うことがありません。これが、今の北朝鮮や中国が持っている問題ですね。
 今までは、例えば、「ダライ・ラマがアメリカ大統領と会った」という出来事があると、無視して握り潰すか、単にアメリカ政府に抗議して済ませていましたよね。
 そのように、自由というものを長々と抑え込んでいたのですが、今度は、企業が国家に対して挑戦してくる時代になったのです。
 「企業が、実は、独裁国家出現の防波堤になる」ということは、ずっと昔に私が予言したことですし、第二次世界大戦後、そうなるようにと努力したことでもありますが、今、それが現実に起きつつありますね。」
(51~55ページ)

 

「マネジメント」という世界を開拓

 ドラッカーは、全体主義を防ぐシステム的な方法として、「マネジメント」という世界を開拓した。

 企業を育て、企業に力を持たせることによって、個人と国家の間に一種の防波堤をつくることを考えた。

 企業は、利害に基づいて行動し、将来的に自分たちが経営的につまずいたり不幸になったりすることを防ごうとして公共的な動きをする。これが、全体主義が起きるのを防ぐ力になる。

 大川隆法総裁は、『危機に立つ日本』で以下のように説かれました。

「ピーター・ドラッカーは、処女作を発表したころからヒトラー政権の先行きを見抜いていました。彼は、ドイツでナチスが第五党派ぐらいだったころから、「ヒトラーが天下を取ると危ない」ということをすでに見抜いていて、その後、論文で警鐘を鳴らし、いち早くロンドンに逃げています。賢いといえば、非常に賢い人でしょう。
 ドラッカーは、そういう全体主義の姿を見て、第二次大戦が終わったあと、「全体主義の台頭による世界戦争を再び起こさないためには、どうすればよいのか」ということを考えました。「やはり、個人の力だけでは、いかんともしがたい」ということで、全体主義を防ぐ、システム的な方法として、「マネジメント」という世界を開いたのです。
 つまり、「個人」と「国家」との間に、「企業」というものを介在させることを考えたわけです。大きな企業になると、一定の政治力や経済力を持ちますし、国家に代わって、失業対策もできれば、いろいろな工事もできます。また、圧力団体として政治的に力を持つこともできます。
 そのように、企業を育て、企業に力を持たせることによって、個人と国家の間に一種の防波堤をつくることを考えたのです。企業自体は民主的経営が可能なので、それによって、全体主義が二度と起きないような社会をつくろうとしたわけです。
 さらに、その企業についても、ドラッカーは、「一個人であるカリスマ経営者が大きな企業をつくることもあるが、そういうカリスマに頼ってはいけない」と言っています。「天賦の才能、カリスマ的な才能だけで、一代で大財閥をつくるような企業家もいるが、当たり外れがあるし、そうした人はまれにしか出てこないので、そういうものに頼ってはいけない」ということです。
 そして、ドラッカーは、知識や情報のレベル、あるいは技術のレベルで、マネジメントというものを体系的に学び、企業家が次々と会社を起こしていけるようにしようと努力したのです。
 その方向に則ってやれば、一定の規模の企業をつくることができます。企業家は、決してカリスマである必要はないわけです。さすがに凡人とは言えないかもしれませんが、努力する優秀な人がいれば、経営者を次々と輩出していき、大きな企業をつくっていけるのです。そして、経営者を交代させることもできます。
 それが、全体主義が起きるのを防ぐ力になるのです。企業は、自分たちの利害に基づいて行動し、将来的に、自分たちが経営的につまずいたり不幸になったりすることを防ごうとして公共的な動きをします。
 したがって、ドラッカーは、「企業こそが個人と国家との間の“緩衝材”として十分に成り立つだろう」と考え、第二次大戦のようなものを二度と起こさないための方法の一つとして、マネジメントの世界を開拓したのです。」
(75~79ページ)

 

ドラッカーのマネジメントの思想

 天才に頼らず、一定レベルの運動能力を持っている人たちが、上手に練習を積み重ねることによって、チーム力で勝っていけるシステムをつくること。

 オールマイティな能力のある人をつくることより、各人がそれぞれの才能のなかで一定以上の成果をあげ、トータルで実績をあげられる社会をつくること。

 企業経営においては、一定の才能があり努力を重ねた人を、百人や二百人程度の会社経営ぐらいできるレベルにしたいし、平均的な人、平均以下の人たちを使い切る企業が優れていると考えている。

  大川隆法総裁は、『ドラッカー霊言による「国家と経営」』で以下のように説かれました。

「天才は、才能と個人的な努力があれば出ます。
 しかし、天才に頼るのではなく、野球で言う「全員野球」「管理野球」のように、一定レベルの運動能力を持っている人たちが、上手に練習を積み重ねることによって、チーム力で勝っていけるようなシステムをつくることが、ドラッカー流なのです。
 高校野球においては、「天才的な投手の右腕一本に頼って、甲子園で優勝する」ということもあるとは思いますが、プロ野球の世界では、やはり、そうはいかなくて、どんな天才投手であっても、毎日毎日、投げていたら、腕がおかしくなってしまいますから、いろいろな投手を組み合わせて試合をします。
 今のプロ野球では、交替用の投手を何人も持っています。オーバースロー、アンダースロー、サイドスローという、投げ方の違いもあれば、直球型、変化球型という違いもあるし、先発型、ストッパー型という違いもあって、いろいろな投手がいますよね。そのような投手を組み合わせて、成果をあげていくのが、「マネジメントの思想」なのです。
 例えば、ストッパー役で、七回か八回から、あるいは九回にだけ出てくるような投手がいます。また、九回ツーアウトのときに、最後のスリーアウト目を取るのは緊張するものなので、そのときのためだけの投手だっています。それも、プロ野球では成り立つのです。
 先発型で、七回ぐらいまで長く投げられる人のほうが、才能的には、たぶん高いのだろうとは思います。しかし、プロ野球という目で見ると、「一人の打者だけを打ち取る」「左打ちの四番バッターだけを打ち取る」などということだけであっても、十分な仕事になるわけです。
 だから、私たちは、「全面的な能力、オールマイティな能力のある人や、ある分野について、ものすごく何でもできる人を数多くつくる」ということよりは、「各人が、それぞれの才能のなかで、一定以上の成果をあげ、トータルで実績をあげられるような社会をつくりたい」と考えているのです。
 企業経営においても、決して、そう悲観することはありません。「一定の才能があり、努力を重ねた人を、できれば、百人や二百人程度の会社の経営ぐらいはできるレベルにしたい」というのが私の考えですし、「いわゆる平凡な人、あるいは平均的な人を、どう使うか」ということも、大企業にとっては非常に大事なことなのです。
 何千人、何万人もの社員がいる大会社であっても、天才がそれほど数多くいることはありえないし、その場合には、「平均的な人を、どう働かせて、その人に給料以上の成果をあげてもらうか」ということも大事な仕事なのです。
 もう一つ大切なことは、平均以下の人たちも、それぞれ何らかの役割を上手に果たせるようにすること、そういう人たちを使い切ることです。これのできる企業が優れているんですね。」
(90~96ページ)

 

「もしドラ」大ヒットにドラッカー本人は

 量産はできない天才に頼った経営でなく、秀才ないしは一定レベルの能力を持った人たちでやっていける「チーム型経営」をしなければならない。

 それぞれの役割に合わせて、上手な使い方をしていくことがマネジメントであり、人を長所で使っていくことが大事である。

 そのためには、みなが努力して嫉妬心のコントロールをすること。また、成功していく人に対する祝福の思いを持つ努力をすることも大切である。

 総裁は、『ザ・ネクスト・フロンティア 公開霊言ドラッカー&アダム・スミス』で、ドラッカー本人の霊の言葉(「霊言」)を次のように伝えておられます。

「うん。まあ、「もしドラ」ということで、「ドラッカーのマネジメントを入れたら、みな、全国優勝できる」というのであれば、全国優勝できる学校が三千校ぐらい出たり、一万校ぐらい出たりするかもしれない。まあ、そうはなりませんけれどもね。ただ、現状よりもよい成果をあげることは可能だと思うのです。
 私が一貫して言っていることは、「天才はいるけれども、量産はできないのだ」ということです。
 だから、天才に頼った経営は、あまりしてはいけない。秀才、ないしは一定レベルの能力を持った人、技術や知識を持った人は、ある程度つくれますので、そういう人たちでやっていけるような「チーム型経営」を上手にしていかなければなりません。
 野球でいえば、九回まで一人で投げ切れる投手は偉いと思います。しかし、それは高校野球などではありえても、プロ野球ではほとんどありません。そういう人は長くもたないし、たいてい肩を壊してしまいますからね。まあ、優れた人が先発でも、五回とか七回とかで終わりです。そのあと、中継ぎがあって、最後、ストッパーが出てきます。
 最後の最後である九回のツーアウトから出てくる投手もいます。九回ツーアウトから三球だけ投げるために出てくるような人だっているわけです。いい球を三球投げるぐらいの人はいるわけだし、あるいは、中継ぎとして、一回か二回だけもたせるぐらいの素質の人はたくさんいるわけなんですよ。
 だから、高校野球等でベスト8に入るぐらいの投手であれば、プロとして超一流までは行けなくても、一イニングや二イニングぐらいは投げられるようになります。もちろん、全国優勝するような投手のなかには、プロになっても先発で投げ切るような天才型もたまにいます。
 しかし、そればかりを求めてはいけないのです。「それぞれの役割に合わせて、上手な使い方をしていくことがマネジメントなのだ」ということですね。
 そういう意味で、特に大事なことは、その人のいちばん使える長所のところに光を当てていくことです。「この人のいちばんの強みは何か」ということで、人の組み合わせをつくっていかなければなりません。弱点ばかりを見ているような人や、波風が立つことばかりを恐れている人は駄目です。「人を長所で使っていくことが大事だ」ということですね。
 やはり、最大の長所を使うことが、その人にいちばん合った使い方なのです。それは、「長所を使わせないようにする、マネジメントあるいは組織の動きというものがあるならば、考え方を変えるべきだ」ということですね。
 そのためには、みな、宗教的な勉強をして、努力して嫉妬心のコントロールをしなければいけません。また、成功していく人に対する祝福の思いを持つための努力をすることも大事だと思いますね。
 「全般的に、平均してみれば平凡な能力でも、何かで光っているところがある人は使う」ということを徹底したほうが総合力は上がりますね。」
(117~122ページ)

 

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