イノベーションのための7つの種

参考

手がかりとなる7つの視点

 私たちは、新しい事業や製品・サービスをつくることで、成長を続けていかなければならない。そのための手がかりとなる有益な視点が、ドラッカーがいう「イノベーションのための7つの種」である。

 この7つの種は成功しやすい順に並べられている。第1が「予期せぬもの」であり、第2が「ギャップ」、第3は「ニーズ」と続く。第4が「産業構造の変化」、第5が「人口構造の変化」、第6が「意識の変化」である。これらは、いずれも産業の外で起こることである。そして、第7が「発明発見」である。一般的に、「イノベーション」という言葉が最初に連想させる「発明発見」が最後に位置づけられている。

 

7つの種が示すもの

1)予期せぬもの

 「予期せぬ成功」「予期せぬ顧客」「予期せぬ要望」、あるいは「予期せぬ失敗」といったものである。それらを事業のまわりで探していきなさいということである。イノベーションにおいて最も重要な視点です。

2)ギャップ
 たとえば、生活者たちの置かれた環境と現在提供されているサービスのギャップである。

 不況下において多忙な生活を送るビジネスパーソンに向けて、ヘアカット以外のサービスを省き、短時間・低料金を実現した理髪店などはよく知られている。

3)ニーズ
 実需と言い換えてもよい。「必要は発明の母」という当たり前のことである。

4)産業構造の変化
 近年でいえば、ITのインパクトがきわめて大きい。ITの進化により、人手のかかっていた工場が無人化したり、金融システムが根本的に変化したりしている。

5)人口構造の変化
 近年、社会における高齢者人口の割合が高まるなか、高齢者向け市場はまだまだ未成熟である。高齢化の進行は、社会的課題であるともに、イノベーションの宝庫である。

6)意識の変化
 健康意識の高まりが、新たな健康産業を次々と生み出しつつある。ジムは花盛り、サプリメントも百花繚乱、スマホにまで健康管理の機能が組み込まれている。

7)発明発見
 ドラッカーの調べたところでは、この発明発見が最も難しく打率も低いということだった。

 

変化を利用するという意識

 ドラッカーは、日本企業はイノベーションが上手だと考えていた。彼にとってのイノベーションとは、変化を利用するための方法だった。

 「諸行無常」あるいは「万物流転」といった考え方が古くからある。変化を定められているのならば、変化に流されるのではなく、変化を利用すること、さらには変化を創り出してしまうことが、結果として最も生き方を安定させる。ドラッカーは そのように考える。

 

隠れたニーズを暗示する客

 ドラッカーのいう「イノベーションのための7つの種」のなかで、最も成功しやすいのが「予期せぬもの」という視点である。

 これに類する話は数多くあるが、「一人カラオケ」がよい例である。「カラオケは複数人で楽しく行うもの」というのは固定観念にすぎない。現に一人でカラオケ店に来る客が少なくないのであれば、事業として成立しても不思議ではない。

 違和感のある客が来たときに、それが本当の客かもしれないとの意識を持つこと。「うちでは扱っていません」と即答するのをやめることが大切である。

 

日常の些事を丹念に観察する

 変化には兆候がある。花はある日突然咲くわけではない。咲く前に必ずつぼみをつける。「予期せぬもの」を見つけ出すのは、いわば花のつぼみを丹念に見つける作業である。

 

「予期せぬ成功」を仕組み化する

 「予期せぬもの」は、たまたま発見するのではなく、日常的に見つけ出す仕組みが必要です。経営者が「予期せぬもの」の視点を持っていたとしても、その多くは現場で、顧客との接点で起こる。それが組織の上層部に伝わってくるようにするには、何らかの仕組みが必要なのである。

 

イノベーションと体系的廃棄

あえてやめたことはあるか?

 ドラッカーは、コンサルティング先の経営者に対して、「ここ半年であえてやめたことはありますか」とよく質問していたという。意味深長な問いである。

 ものごとは、始めるよりもやめるほうが はるかにエネルギーを要する。そのことについて一つの逸話がある。

 GE(ゼネラル・エレクトリック)のジャック・ウェルチがCEOになったとき、考えていたことが二つあった。一つはビジネスのグローバル化、もう一つはドラッカーに会うことだった。さっそくウェルチはドラッカーに連絡を取った。ドラッカーは、ウェルチに次のように述べたという。

 「あなたの会社は小さな電化製品から原発までじつに多様な商品群を擁している。だが、もしかりに今からすべてを一から始められるとしたら、現在の事業をすべて行うだろうか」

 もちろん、ウェルチの返答は「No」だった。すべての事業をやりたくてやっているわけではない。やむにやまれぬ経緯があって続けているだけだった。ドラッカーは続ける。

 「あなたはグローバル展開を考えているという。ならば、世界で一位か二位になれる見込みのないものはすべてやめてしまったらどうだろうか」

 これが有名な「一位二位戦略」の始まりとされている。

やめても支障のないものは何か?

 

 この逸話のポイントは、「世界で一位と二位への特化」を促したこと、いわゆる「選択と集中」にのみあるのではない。「何を捨てるか」についての意識をウェルチに促したところにある。

 GEのような巨大企業に限ったことではない。どんな企業も、企業以外の組織も、あるいは個人でさえも、「単に昨日まで継続してきたからという理由で、今日もそれを行う」という選択をしがちである。それまで行ってきたからには、何らかの必要性があるのかもしれない。

 しかし、それらは意識して見直すべきである。本当に必要かどうかを判断して、体系的な廃棄を行うことが肝心である。

 組織は、生命体であり、自らの絶えざる刷新をしなければ、生き続けることができない。新たなプロジェクトに着手したり、新事業を起こしたりする一方で、有効性を失った過去のプロジェクトや事業を意識的に廃棄する努力が不可欠である。

 パソコンですら新しいアプリケーションを次々にインストールしているうちに動きが重くなっていく。不要なアプリケーションは、体系的に廃棄していかなければ いずれはシステム全体がもたなくなる。

 日々の活動のうち、やめたら支障のあるものはどれくらいあるのでしょうか。ウェルチに倣って考えるならば、「もし、今からすべてやり直すとしたら、今行っていることをすべて行うだろうか」。いうまでもない。答えは「No」である。

廃棄の尺度は「成果」である

 イノベーティブな活動には、必ず過去の「保守」と「廃棄」の両方が伴う。うまくいっていたものでも、時期や環境が変われば機能しなくなる。ある時期の花形製品が後に社の足を引っ張るお荷物になることはめずらしくない。

 廃棄すべきかどうかを判断する尺度は「成果」である。過去に立てた目標と現状を照合することによって、成果をあげられたかどうかを判断する。成果をあげられないものを残しておくことは、社会に対する無責任である。

 IBMは、かつてコンピュータの王者のごとき企業であった。しかし、もはやハードの製造が競争力を持たないことを悟ると、一気にハード部門を切り離して、ソフトウェアとコンサル事業に特化した。世で生き残っている企業は こうした判断を行っている。

 精彩を帯びなくなった活動がある一方で、並外れた成果をあげている活動もあるはずです。エネルギーと時間は卓越した成果をあげる活動にこそ振り向ければならない。そのための俊敏さと柔軟性を確保するためには、老廃物を輩出する必要がある。

 もちろん、短絡的な廃棄には注意が必要です。ものごとには、一見役に立たないように見えて、全体から見ると重要な役割を持つことが多くある。日本でも、景気後退期にしかるべき選別を経ることなく一律にリストラをして、業容がおかしくなるケースが相次いだ。これは「廃棄」がいかに難しい仕事であるかをよく示している。

 イノベーションというと、何かと新しい取り組みが連呼される傾向がある。しかし、イノベーションを根幹から支えているのは、この廃棄への意識にほかならない。

 

イノベーションと文明

IT革命に対する解釈

 ドラッカーは、知識社会の提唱者であり、ことのほか技術の果たす役割を重く見た。著名な技術史家メルヴィン・クランツバーグとともに、全米技術史学会を創設して初代会長に就任するなど、技術の専門家としての一面も持つ。

 ドラッカーは、産業革命の主役は鉄道であったと断言する。そして、現在、産業革命の鉄道に相当するものがインターネットである。インターネットの登場により、最も影響を受ける分野は、IT産業そのものではない。

 巨大なインパクトをはらむのが教育である。経済のように変化に俊敏に反応する分野とは異なり、教育が反応するのは緩慢である。しかし、教育は、人と社会の中心を占める要因であり、新たな技術の恩恵により無限の可能性を秘めている。

 15世紀半ば、グーテンベルクによる活版印刷の発明に始まった印刷革命は、教本を作って配布することを可能にして、教育のあり方を変えた。ドラッカーの友人で、日本でも一時もてはやされたメディア学者マーシャル・マクルーハンが最初に指摘したことであるが、ドラッカーはこれを敷衍して「ITが教育を変える」と言った。

 英語のように反復学習が効果を持つものについては、すでに多様な手法が編み出されている。たとえば、フィリピンのセブ島にいる教師と日本にいる学生をSkypeでつないだ英会話スクールが伸びている。時差の少なさや物価の相違を上手に利用した事業モデルである。ドラッカーは言う。

 「ITのおかげで、教師は、型にはまった学習、矯正のための学習、反復的な学習にその時間の大部分を投入しなくてもすむようになる」(『ポスト資本主義社会』)

印刷革命

 ドラッカーの関心を捉えた技術のなかでも別格なのが、印刷技術とそれにより生まれた印刷本である。彼は、モダンの社会を印刷技術発明の結果であると見た。

 近代社会では、知覚の働きよりも、精緻な分析や緻密な論理構成のほうが優れたものとされる。あるいは、具体的な事物よりも、認識の客観性や抽象的な理念・体系が価値ありとされる。それらの観念は、文字文化の普及の結果として立ち現れた副産物だった。ドラッカーは晩年の著作で次のように述べている。

 「印刷業では長い間何も変化がなかった。16世紀初め以降19世紀にいたるまで、印刷業ではイノベーションといえるものは何もなかった」(『ネクスト・ソサエティ』)

 印刷技術のすさまじさは、何世紀もの間さしたるイノベーションもなしに生き延びてきたところに表れている。1997年に行われた『タイム・ライフ』誌の調査では、西暦1000年から2000年までの1000年間で最も影響力を持った人物と技術として、グーテンベルクと印刷技術が第1位になっている。

地球村の到来

 

 ドラッカーは、先のマクルーハンとの交流を通じて、「活版印刷が知識とすべきものを規定した」という事実を率直に受け入れ、それを自らの技術観の礎とした。

 さらに、印刷本が教授法と表現法だけでなく、教授内容まで変え、結果として近代大学を誕生させたということも有力な仮説として認めている。『断絶の時代』には次のような表現がある。

 「今日のグローバル経済は、映画、ラジオ、テレビという新しいメディアによってつくり出された一つのパーセプションである。世界は、マーシャル・マクルーハンいうところの地球村となる」

 ここで、ドラッカーは、人間拡張の諸相としての技術に着目しているばかりか、その延長線上にあるマクルーハンの概念、「地球村」の到来さえ確かなものとして受け入れていた。

 そして、現在、その一つひとつは現実になっている。FacebookなどのSNSを「地球村」と呼ばずして何と呼べばよいのか。

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