賃金・退職金 損害賠償請求権との相殺

賃金・退職金 使用者が労働者に対して有する債権と相殺できるか

  労働者のミスなどにより発生した損害に対する賠償請求権と賃金債権とを、使用者が一方的に相殺することはできません。

 ただし、労働者の同意がある場合には、賃金債権を相殺することができるとされています。

 では、使用者が労働者に対して有する損害賠償請求権を理由として賃金の控除をすることは、「全額払いの原則」に反するのでしょうか。

 使用者が弁償金の支払いを請求する権利と、労働者が賃金の支払いを求める権利を、同じ金額でもって互いに消滅させることを、法律的には「相殺」といいます。学説は、相殺は、民法に根拠があることなどを理由に、労働者が不注意などによって使用者に損害を与え、使用者がそれを原因とする損害賠償請求権を持つ場合には、賃金との相殺も許されるとする説と、賃金は労働者にとって重要な生活保障手段であるなどの観点から、損害賠償請求権との相殺は許されないとする説とが対立しているようです。この点、最高裁は、「労働者の賃金は、労働者の生活を支える重要な財源で、日常必要とするものであるから、・・・使用者が労働者に対して有する債権をもって相殺することも許されないとの趣旨を包含するものと解するのが相当である。このことは、その債権が不法行為を原因としたものであっても変わりはない。」と判示し、使用者による一方的な相殺は許されないという見解をとっています(日本勧業経済会事件・最大判昭36.5.31など)。

 

同意がある場合は相殺も可能

 「使用者による一方的な相殺」は許されないとのことですが、相殺について労働者の同意がある場合は、どうなのでしょうか。

 学説では、労働者の真に『自由な意思』に基づいた同意があったことを確定することは困難である」ことなどを理由に、否定的に解する立場がありますが、判例は、使用者が労働者の同意を得て行う相殺については、労働者の完全な自由意思に基づいたものであると認めるに足りる合理的理由が客観的に存在することを要件として、全額払いの原則に反しないと解釈しています(日新製鋼事件・最二小判平2.11.26)。

 以上の判例の立場に立てば、賃金控除協定に損害賠償額を控除できる旨の規定があるか、これがない場合は、相殺について労働者の同意があれば、賃金との相殺は可能となります。従業員本人と話し合いの上,相殺について同意を得る際,「本人の真意に基づく同意」がなされたことを証明するためにも、その旨を書面に残しておくことが望ましいでしょう。

 労働者に対して、威圧的な態度に出たり、脅迫まがいの言動をもって、同意することを無理強いするなどといったことがないように十分に注意しましょう。相殺ができるとして、相殺額(賃金から控除する額)に限度はないのでしょうか。労働者の同意に基づく場合には(本人が納得しているのですから)限度はありません。これに対して、賃金控除協定に基づいて労働者の意思に関係なく相殺する場合は、賃金額の4分の3(ただし、その額が政令で定める額(現在は21万円)を超えるときは21万円。ただし、退職金についてはこれは適用されず、額が多くなっても、常に4分の3です)については、控除できないこととされています(民法第510条、民事執行法第152条参照)。原則として、賃金額の4分の1を超えて控除することはできないということです。

 前借金との相殺 労働基準法第24条第1項において、「賃金の全額払いの原則」が定められていますが、これとは別に、同法第17条は、前借金と賃金とを相殺することを禁止しています。 この趣旨は、金銭の貸し借りの関係と労働契約の関係を完全に分離することにより、金銭を貸していることを理由にその身分を拘束するという弊害を防ごうというものです。

 ただし、「労働することを条件としない前貸の債権との相殺」は認められており、行政解釈によって、「使用者が労働組合との労働協約の締結あるいは労働者からの申し出に基づき、生活必需品の購入等のための生活資金を貸し付け、その後、この貸付金を賃金より分割控除する場合においても、貸付の原因、期間、金額、金利の有無等を総合的に判断して労働することが条件となっていないことが極めて明白な場合には、労働基準法第17条の規定は適用されない。」とされています。前借金との相殺を別途定めることの意味は、前借金相殺に関しては例外を許さないという点と、罰則がより重い(労働基準法第119条,第120条)という点にあります。

 

従業員が退職 会社の従業員貸付と退職金を相殺 

 無条件に相殺することは許されません。

 退職金も労働基準法上の賃金ですから、労働基準法の賃金の支払に関する原則の一つである全額払いの原則(法24条)の適用があります。

 従って、従業員貸付の貸付金と退職金とを相殺するためには、労働基準法24条に定める労使協定があることが必要になります。また、相殺するためには、双方の債権について期限が到来していなければなりませんので、会社と従業員との貸付契約において、退職時に期限の利益を喪失し(退職時に残金全額を返済する)、返済は退職金と相殺する旨の約定を締結しておく必要があります。

 では、労使協定が無い場合はどうでしょうか。

 判例は、その場合でも労働者の同意を得てなされた相殺で、その同意が労働者の自由意思に基づくものと認められるような事情がある場合に、相殺を認めています。

・日新製鋼事件(最高裁 平成2.11.26)
 使用者が労働者の同意を得て相殺により賃金を控除することは、右同意が労働者の自由意思に基づいてなされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときには本条の全額払いの原則に違反しない。労働者が会社や銀行等から住宅資金の貸付けを受けるに当たり、退職時には退職金等から融資残債務を一括返済し、銀行等への返済については会社に対して返済手続を委任する約定をし、会社がこれに基づいて、自己貸付金の残金一括返済請求権、及び右委任に基づく銀行等の貸付金の残金一括返済のための返済費用前払請求権(民法649条)をもって退職金債権等と相殺した場合に、返済の手続等を労働者が自発的に依頼し、右貸付が低利かつ相当長期の分割弁済を予定しており、その利子の一部を会社が負担するような措置がとられているときには、労働者の相殺の同意はその自由意思に基づくものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在したものといえる。

 民法は、退職金および労働者が受けるべき最後の6ヵ月の賃金債権に限り、「先取特権を有する債権」とし、他の債権者に対して優先して支払いを受ける権利を保障し、また、商法でも、民法と同様に雇用関係に基づいて発生する労働者の債権すべてについて、会社の総財産の上に、先取特権を認めています。しかし、これらの定めは、倒産した会社に財産がある場合のことで、実際には倒産と同時に財産はなくなっている(債務超過)ものと思われますので、特殊な場合を除いて、これらの法律が適用されることはないものと思われます。 

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