生活保護

 生活保護は、その人が持つ資産や能力などすべてを活用しても生活できない人に対して、政府が日常の生活費、住居費、病気の治療費、出産費などについて、健康で文化的な最低限度の生活を送る上で必要な給付を行うものです。

 生活保護は憲法25条1項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」という社会権(生存権)の規定に基づき「最低限度の生活を保障し、自立を助ける福祉制度」であり、困窮している国民を救済するための「セーフティネット」です。

 参考

 生活保護の柱は2つあり、一つは「健康で文化的な最低限度の生活」を具体化する。もう一つは、支援の間に職探しや職業訓練に専念してもらい自立を促すことです。

 そもそも、病気や母子家庭などの様々な事情で自活が困難な人に「健康で文化的な最低限の生活」を保証するための制度であるが、今日の生活保護の現状を見てみると、生活保護制度が形骸化していると言わざるを得ない。

 現在の生活保護の受給者数は約212万人、受給世帯は約164万世帯(2018年1月時点の厚生労働省のデータ)。

 生活保護の予算額は年間約3.8兆円で、その約半分が医療扶助です。

 食費や被服費、光熱費など、生活扶助費の一例を挙げてみます(2018年4月の厚生労働省のデータ)。

 3人世帯(33歳、29歳、4才)の場合

  東京都では約15万8千円  地方では約13万円

  高齢者夫婦世帯(68歳、65歳)の場合

  東京都では約11万9千円  地方では約9万6千円

 母子世帯(30歳、4歳、2歳)の場合

  東京都では約18万8千円  地方では約15万8千円

 生活保護を受けている世帯のうち、約51%(83.9万世帯)が65歳以上の高齢世帯です。母子世帯は9.9万世帯(6%)、傷病・障害者世帯は43万世帯(26%)、働くことが可能な人を含むその他の世帯は26.3万世帯(16%)です(2017年2月時点)。

 生活保護を受ける高齢世帯や母子世帯などは、20年前と比較すると約2.5倍に増えています。その原因の一つは「核家族化」にあると考えられます。

 一昔前であれば、年老いた両親の面倒を子供が見たり、娘が離婚した場合は両親が生活資金を提供したり、子育てを手伝ったりしていました。

 核家族化が進み、親子間の助け合いが少なくなりました。「家族の価値観」が希薄化した結果として、多額の生活保護が必要になっているのです。

 働くことが可能な人を含むその他の世帯は、20年前と比較すると約6.3倍に増えています。これほど増加した理由は、2009年3月以降、申請基準が大幅に緩和されたことにあります。

 今の生活保護の制度はあらゆる点で常識からかけ離れ、人間の道からも外れており、「正直者が馬鹿を見る」形。制度を一度廃止し、「自立や自助努力を前提とした新たな制度」を構築し直すよう国に求めたい。

参考

 渡部昇一氏が「国民に保障する最低限度は『飢えず、凍えず、医療は痛みどめまで』にすればよい」と語っている。

 やるべきは「雇用の拡大」「最低限のセーフティネット」に切り替え、不公平感をなくすことである。

 生活保護をこのまま放置して「社会保障費としての増税」を実施すれば、「税金を払わず、税金をもらう(生活保護)」人をさらに激増させ、国を滅ぼすことになる。

 生活保護世帯という貧困層の増加について、雇用状況が改善しないことや「格差」の固定により貧富の差が広がっていることなどを原因に挙げることが多い。もちろんそうした要素もあるが、実は貧困問題には、マスコミがほとんど報道しない実態がある。生活保護世帯の多くは「夫と離婚した母子家庭」であることが多い。主たる生計者である夫の収入を放棄し、パートの収入だけで子供を養い、学校に行かせるのは難しいという問題である。つまり、現代日本の貧困問題は、「家庭というものの大切さが見失われている。家庭が壊れやすくなっている」という価値観の崩壊の問題と深く結びついている。この点を隠し、政治や経済システムという外的要因のせいで貧困層が増えているとばかりあおるような報道には、一定の疑いをもって接するべきです。

参考

 幸福の科学大川隆法総裁は、2009年5月、「生存権」に関する幸福実現党の考え方として以下のように説かれました。

「一過性の貧困の場合には、国家や地方公共団体による迅速な救済措置は必要。しかし、それが慢性的なものになると、必ず”怠け者大国”になるので、それは許せないと思う」「(年金問題や老人福祉も)やはり、基本的には、最後は家族が守るべき。今は、家族に面倒を見てもらうということを忘れた社会へと移行中。ここは、今後どうするか、考え方を迫られているところではないか」「怠け者や、ずるいことをした者が得をするような社会は、つくってはならない。生活保護を受ける人のお金は、税金から出ているのだから、税金を納めてくれる人が必要」

 親孝行などの道徳を学校で教えなくなり、役所による保護を手厚くした結果、日本は家族の絆も自助努力も忘れた個人主義の「怠け者大国」に成り下がろうとしている。日本人は、「自分の家族は自分で面倒を見る」という、人としての基本に立ち戻るべきです。

 生活保護法第60条には、すでに生活保護受給者の「義務」として、「能力に応じて勤労に励み、支出の節約を図るように努めなければならない」と明記されている。

 過ぎた援助は、人から自助努力の機会を奪い、政府の財政も悪化させます。生活保護は、あくまでも一時的な措置であり、「自立」が前提です。自らの力で生きることは喜びであり、その途中で社会に助けられたのなら、「恩返し」をすることも大事な生き方であるという考え方を広める必要があるでしょう。日本がさらなる繁栄を目指すなら、いま一度、自助努力の精神に立ち返り、「自分ができる新しいこと」を追求し、行動する土壌が必要でしょう。

参考

 生活保護制度は、生活困窮者にとって最低限度の生活を守る「セーフティネット」です。受給条件を見直し、働けるはずの人への支給はやめるべきです。一方で、ホームレスの人のほとんどが生活保護を受けていない実態についても見直し、「支給すべき人に支給し、支給すべきでない人には働いてもらう」という、当たり前の社会に戻すべきです。

 参考

 過ぎた援助は人から自助努力の機会を奪い、政府の財政も悪化させるからです。

 参考

 以前ありましたが、国民の血税を使って「働けるのに働かない30万人」に生活保護を与えたことは誤りだった。働けるのに「働き口がない」と言って生活保護をもらおうとする人は、「苦労して働くより、遊んで暮らしてもお金がもらえるなら、生活保護をもらったほうが楽だ」と考える。そのような人々を、「働けるように資格を取る費用をあげます」と助けたところで、働く気がないから途中で投げ出したり、自分のポケットに入れたりするのです。

 生活保護受給者は、毎月の扶助の他に、教育・医療・介護・出産・葬祭などで必要なときに扶助を受けることができる。医療費や介護費、家賃(上限あり)が無料になり、NHKの受信料、住民税、国民年金保険料も免除され、JR通勤定期運賃や光熱費も減額される。独身者でも月に10万~15万円受給することができる。

 生活保護受給額は、最低賃金よりも高いということが問題となっている。年収200万円以下の「ワーキングプア層」と呼ばれる人々よりも、生活保護の特典により、生活保護受給者の方が可処分所得が多くなる。

 現行の生活保護は、「働くことが可能な人は含まない」というのが前提の制度であるため、受給者の自立を促す仕組みはほとんどなく、むしろ自立を阻害しています。例えば、働いて収入を得ればその分だけ、生活保護費は減らされます。生活保護から抜け出すと、すべての費用を自分で支払わなければなりませんし、税金も払う必要があります。自立したとたん、経済的に苦しくなってしまうならば、本人に悪気がなくても、生活保護から抜け出せなくなっているのです。

 「働かないで生活保護を受けている方が得をする」ことがあるため、若者の生活保護受給者が増加していると考えられる。

 生活保護費を娯楽に使っている若者もいるらしい。本来働けるであろう人が生活保護を不正受給し、国のすね をかじって娯楽を楽しむ若者が増加しているのであれば、生活保護本来の目的から逸脱している。生活保護を通して、日本が「自助努力の精神のない国家」になりつつある。

 高齢者の中には、生まれた環境が貧しかったり、学歴が低くて低賃金しか得られず、やむを得ず保険料を納められなかった方が、生活保護を受けて暮らしているケースがある。しかし、ここでも驚きの事実がある。 現役時代に保険料を納めても月5万円程度の年金しかもらえない人も多いのに、生活保護なら月12万円もらえるという矛盾が生じている。 保険料を納めたが、保険料を納めていない生活保護の方以下の金額しかもらえないということ。 これでは年金を信用しない人が出ても当たり前だと思う。やはり、年金を維持するなら、少なくとも「納めた人」が「生活保護基準額」より多く年金を受け取れる制度にするべき。または、生活保護による最低限の保障だけにして、それ以上の年金はなくしてしまってもよいのではと思う。

 長年、「生活保護者の基準はどうあるべきか」が議論されている。しかし、その基準がしばしば「庶民並み」にすり替えられがちで、人間は衣食住が足りていれば十分に生きることができ、ギャンブルに行くのはもっての外と考えるのも無理はない。

 厚生労働省は、「生活保護法には、パチンコへの支出を禁じる文言がない」との立場をとっている。だが、「受給者ができること、できないこと」をすべて盛り込むことは現実的なのでしょうか。同法第60条には、すでに生活保護受給者の「義務」として、「能力に応じて勤労に励み、支出の節約を図るように努めなければならない」と明記されている。質素倹約に努める人が、ギャンブルに行くはずがないと解釈もできる。

 ギャンブル依存症によって、生活保護になる人もいる。行政側が、常習者に対して指導し、それに従わないのであれば、支給停止になってもやむを得ない。

 生活保護は、あくまでも一時的な措置であり、「自立」が前提です。自らの力で生きることは喜びであり、その途中で社会に助けられたのなら、「恩返し」をすることも大事な生き方であるという考え方を広める必要がある。

 また、社会保障の充実の名のもとに行政は無駄な仕事と人員を増やし続けている。これでは、いくら増税したところで無駄に使われるだけです。ここに社会保障の落とし穴がある。

 「働かざる者食うべからず」「他人の税金で遊んで暮らすのは恥だ」という、人としての基本を学校教育でもきちんと教えてこなかったことが根本的な原因でしょう。現代日本の唯物論教育では、「この世の数十年の一回限りの人生だから、自分の好きなように生きる方が得だ」という結論に行き着く。その結果が、他人の血税にたかっても恥じない人間を大量に生み出した。

 人としての基本を教えるのが宗教教育である「この世は修行の場であり、この世で勉強したことや働いて得た智恵は、すべて無駄にならない」「自分を育ててくれた前の世代への恩返しとして、後世の人々のために仕事をしていくことが、人間としての義務である」ということを心と体で身に着けていく。

 このような宗教教育を排除してきたことこそ、戦後日本人の大きな「忘れ物」です。最大の社会保障とは、エゴイスティックな人間ではなく、世のため人のために働きたいと考える国民を増やすことだと知るべきでしょう。

参考

 日本がさらなる繁栄を目指すなら、いま一度、自助努力の精神に立ち返り、「自分ができる新しいこと」を追求し、行動する土壌が必要かも知れない。

 政府は生活保護を始めとする社会保障政策の見直しを行い、小さな政府を目指して国の舵取りを行うべきです。生活保護に安易に走る若者も、「貧しくとも働くことで道を開く」という自助努力の精神を取り戻してほしいものです。

 一過性の貧困の場合には、国家や地方公共団体による迅速な救済措置は必要。しかし、それが慢性的なものになると、必ず”怠け者大国”になるので、それは許せないと思う。怠け者や、ずるいことをした者が得をするような社会は、つくってはならない。役所による保護を手厚くした結果、日本は家族の絆も自助努力も忘れた個人主義の「怠け者大国」に成り下がろうとしています。

 参考

 「自助努力の精神」「感謝」という宗教的価値観がなければ、「生活保護だけでは足りない」という不満や、生活保護の不正受給の問題はなくならないでしょう。「働くよりも国家に養ってもらう方が得だ」などと考える国民が増えるようでは、国家は衰退します。

参考

 人としての基本を教えるのが宗教教育である。「この世は修行の場であり、この世で勉強したことや働いて得た智恵は、すべて無駄にならない」「自分を育ててくれた前の世代への恩返しとして、後世の人々のために仕事をしていくことが、人間としての義務である」ということを心と体で身に着けていく。

 このような宗教教育を排除してきたことこそ、戦後日本人の大きな「忘れ物」です。最大の社会保障とは、エゴイスティックな人間ではなく、世のため人のために働きたいと考える国民を増やすことだと知るべきです。

 国民に保障する最低限度は『飢えず、凍えず、医療は痛みどめまで』にすればよい。やるべきは「雇用の拡大」と、「最低限のセーフティネット」に切り替え不公平感をなくすことです。

 生活保護をこのまま放置して「社会保障費としての増税」を実施すれば、「税金を払わず、税金をもらう(生活保護)」人をさらに激増させ、国を滅ぼすことになりかねません。

 生活保護の最大の問題点は、「一度受給者になってしまうと、そこから復帰することが困難になってしまうこと」です。

 現行制度は、働くと生活保護費が減らされる仕組みになっており、社会復帰しようと働くと、生活水準が下がってしまう可能性が高いのです。医療費は全て無料な上に、家賃、敷金礼金まで支払われます。  このような条件が揃えば、どんなに勤勉勤労をもって働いていた人であっても、一度生活保護者になってしまえば、抜け出すことができなくなってしまい、いわゆる 貧困の罠 に嵌まっていく危険性があるのです。

 

生活保護の「貧困の罠」を防ぐために

 一つは、働ける層には生活保護を認めず、「第二のセーフティネット」を充実させて、そこですべて対処するという方法。

 もう一つは、生活保護に働ける層が含まれることを認めて、その上で生活保護の制度自体を、自立を促す仕組みに改めるという方法です。

 後者の場合、「凍結貯蓄制度」が有効です。生活保護の受給者が収入を得たら、各自の口座に凍結貯蓄として積み立てていきます。すぐには使えませんが、生活保護から抜け出した時、現金で受け取れるため、自立する動機づけになります。

 生活保護に頼る人を減らすには、「国からもらえるものはもらおう」という発想でなく、「自立心やセルフ・ヘルプの精神」を社会に根付かせることが重要です。「魚を与え続ける」のではなく、「魚の釣り方を教える」ことで、自立を促すことができます。

 若くして生活保護という安易な道を選ぶ若者たちは、働くことを通して社会に貢献し生活するという健全なスタイルから逸脱してしまったら本当に病んでいきます。

 (年金問題や老人福祉も)やはり、基本的には、最後は家族が守るべき。今は、家族に面倒を見てもらうということを忘れた社会へと移行中。ここは、今後どうするか、考え方を迫られている。

 日本人は、「自分の家族は自分で面倒を見る」という、人としての基本に立ち戻るべきです。

 「ゆりかごから墓場まで」の通り、高齢になったらすべてを国が面倒を見るシステム「北欧型福祉国家」を日本人は理想化していますが、スウェーデンは自殺率も高い国です。なぜなら、人間から「生きがい」を奪うからです。

 地獄への道は善意で舗装されています。セーフティネットは必要ですが、行き過ぎた所得分配政策は、個人の自助努力の精神を崩壊させ、社会全体の効率を低下させます。これは経済学的には「クラウディングアウト効果」と呼ばれています。政府の生活保護政策を期待することによって、本来なら働ける能力を持った人が、そこに安住し、自助努力を怠って働かなくなる人々が増え、国家が機能不全に陥ってしまいます。

 サッチャー首相登場以前のイギリスでは、国民は「働くよりも国家からの福祉的給付を受けよう」と期待し、健全な勤労意欲の喪失が広がった「英国病」に陥っていました。サッチャー首相は社会福祉のあり方を大幅に見直し、多くの抵抗を受けながらも、タブーを恐れず、社会保障に果敢にメスを入れ、イギリスに「セルフヘルプ(自助努力)の精神」を取り戻し、景気を回復させ、「英国病」を克服しました。

 今後、どれだけ増税し、生活保護費に充てても、受給者も納税者も国も豊かにはなりません。今必要なのは、国家ビジョンです。今、必要な発想は「格差是正」という、社会主義的な「パイの分配」ではなく、「新たなパイを焼く」ことです。

 消費増税で富を配分することではなく、発想そのものを変え、日本経済そのものを成長させ、富そのものを増大させ、失業を減らし、貧困を無くしていくことこそ必要です。

 景気が回復し、雇用も増え、収入も増えたなら、「国に頼らなくても生きていける多くの個人」を増やすことができます。「社会保障」の多くもそこに吸収され、解決していきます。経済成長こそ全ての「解決の鍵」を握っています。

最低限度の福祉制度

生活保護はあくまでも一時的な措置

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