一日一生

 「一日一生」で生きよとは、一日の枠を一生だと思って生きよということです。

 明日命があると思わず、今日ある時間を有効に使って毎日毎日を闘いと思い、毎日毎日を宝物のような時間の連続だと思って生きるということ。

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 幸福の科学大川隆法総裁は、『朝の来ない夜はない』で以下のように説かれておられます。

「本章には「一日一生で生きよ」という題を付けました。「一日一生で生きよ」とは、「一日の枠を一生だと思って生きよ」ということです。『聖書』にも、「明日は明日自ら思い煩わん。一日の苦労は一日にて足れり」という、イエスの言葉があります。やはり、その日その日を光り輝かせることが大事です。明日があると思わず、「今日、自分は何ができるか。今日、自分は、どう生きられるか」ということを問い続けることが大事なのです。私も一日一生のつもりで生きています。毎週のように全国各地の支部で説法をしていますが、「いつ死んでも悔いはない」というつもりでやっています。私の話を聴く人が百人であろうと、十万人であろうと、二十万人であろうと、私は、言うべきことを言うだけです。「ただ自分の使命を果たすのみ」という気持ちです。みなさんも、明日、命があると思わず、今日ある命、今日ある時間を有効に使ってください。「明日しよう」と思わないでください。今日やれることは今日やるのです。「明日がある」と思わないで、毎日毎日を闘いと思い、毎日毎日を宝物のような時間の連続だと思って生きてください。私も、そのつもりで生きているのです。人生は真剣勝負です。私はそう思って生きています。みなさんにも真剣勝負で日々を生きていただきたいと思います。」