「人生は一冊の問題集」

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「この世は仮の世であり、あの世こそ実在の世界である」

 現代的にいえば、「この世は、人間が魂の経験や学習を積むために留学している学校であり、あの世こそ魂のホームグラウンド」ということです。この観点に立てば、人生や世の中の矛盾や不合理と見えていたことも、すべて納得のいく説明がつく。

 この世を魂の学校と捉えると、一人ひとりはその学校で何を学んでいるのかということになる。

 この世の学校には必修科目と選択科目がある。代表的な必修科目は「愛とは何か」である。誰もが、親子や夫婦などの人間関係や葛藤を通し、愛の本質を学んで、あの世に還ることになっている。

 選択科目は、一人ひとりが自分に合ったカリキュラムを組んで生まれてきている。たとえば「病気を抱えて前向きに生きられるか」「経営者として会社を発展させられるか」など。人それぞれの困難やチャレンジに満ちた人生は、自分にとっての「一冊の問題集」なのです。

 問題を解くことも大事ではあるが、問題解決のための心労の時間は短ければ短いほどよい。一つの問題を解決する時間が短ければ、それだけ早く次の応用問題に移ることができるからです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、著書『奇跡の法』の中で以下のように説かれました。

「自分自身の問題を考えるに際しては、「人生の問題を抱えていない人はいない」ということを知っておく必要があります。人生において、何らの問題もないことが望ましいかといえば、それでは進歩もないのです。たとえば、子供の場合、学校での勉強も宿題もなければうれしいでしょうが、それでは成長はありません。それと同様に、大人になってからも、その人に合った人生の問題が与えられるのです。そこで、その間題をどう解決していくかということになりますが、それは、そう簡単に解ける問題ではありません。簡単に解けないからこそ悩むのであって、すぐにさらさらと解けるのであれば悩みにはなりません。問題が大きすぎたり、解くのに時間がかかりすぎたりして、その間題を受け止めかねて心労するわけです。しかし、その心労の時間は短ければ短いほどよいのです。問題を解くことも大事ですが、早く解決してしまえば、次の間題に取りかかることができます。それは、その分だけ自分が発展することを意味します。一つの問題にあまり長くかかわりすぎると、ほんとうは次の間題を解くチャンスがあったにもかかわらず、最初の問題だけで人生が終わってしまうこともあります。たとえば、事業を起こして三十歳で倒産し、その倒産の事実を一生のあいだ引きずって、それで終わりということもあります。「倒産」という問題だけで人生が終わってしまうのです。倒産するたびに七転八起で頑張って、「三回倒産したけれども、四回目には成功して大金持ちになった」ということもあるかもしれませんが、そのような人は一つの問題だけで一生を終わっているわけです。一つの問題を解決する時間が短ければ、それだけ早く次の応用問題に移ることができるのです。そのような考え方が大事です。」

 自分自身を客観的な眼でよくよく見てみると、他の人と比べると優っているところとか、極端に劣っているところとかがあります。それこそが、自分の人生の問題集を解くためのヒントである。そして、そのヒントを梃子にして、自分の今世の目的や使命を考えていけばよい。この真理を知って、勇ましく闘っていこうと思い立ったときに、勇気や力が沸いてきて、天上界の支援もあるのです。

 大川隆法総裁は、著書『永遠の法』の中で以下のように説かれました。

「みずからに足りないものばかりを嘆かずに、みずからに与えられているものの素晴らしさを発見し、それを武器として立ち上がっていくべきです。目は見えなくても、口が達者な人がいる。足が不自由でも、手が充分に動く人がいる。頭がよくなくても、健康な人がいる。体が不健康でも、頭がしっかりしている人がいる。人とくらべて、自分の足りないところばかりを嘆いたり恨んだりする前に、自分に与えられているものは何かを考えて、その長所を徹底的に伸ばしていくべきではないでしょうか。そのなかに、みなさんの人生の問題集に与えられた一つのヒントがあるのです。一人ひとりの人生というものは、なぞであり問題集であるのですが、この問題集には必ずヒントがあります。自分自身を第三者の目で眺めたとき、他の人より優っているところがあるはずです。あるいは逆に、他の人より極端に劣っている面もあるはずです。このように、性格や才能、肉体的な問題を他の人とくらべて、異常に突出したり、あるいは異常に窪んだりしている部分があれば、それが取りも直さず、その人の人生の問題集を解くためのヒントになっているのです。そして、そうした課題がなぜ与えられているのかに対して、積極的に答えていこうとすることが大切です。そこには、今回の人生修行の目的の一つが明確に現われているからです。身体的ハンディ、精神的ハンディ、能力的ハンディなど、いろいろなものがあるでしょうが、そこに、その人の今世の人生における目的と使命が明らかにされているのです。こうしたことを自覚したときが、すなわち、「導きのとき」なのです。自分の運命を自覚し、それと勇ましく闘っていこうと思い立ったとき、勇気と力が湧いてきます。そのときには、あの世にいる高級諸霊が、あるいは本人の守護霊や指導霊が、大いなる力を投げかけてくれるのです。したがって、まず、みずからの問題集に潜んでいるヒントを見抜くことです。そのヒントによって問題を解こうとしたとき、必ずや大いなる高級霊たちの力を得ることができるはずです。」

 人はこの世に生まれてくるときに、自分だけの「人生のミッション」を果たすため、自分専用の「一冊の問題集」を作って生まれてきます。いま悩んでいる事も、限界の壁も、実は『自分の問題集』の1ページ。「人生の問題集」は人の数だけありますが、唯一共通のルールは「自分の問題集は自分の努力で必ず解ける」ということです。大川隆法総裁の教えはその問題集を解くためのヒントに満ちています。

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『人生は一冊の問題集』 オープニングメッセージ 

「人生は一冊の問題集である。」とは、まさしく至言だ。

人生修行の歳月を重ねるほどに、その意味を重く感じる。

すべては、自分自身が心にまいた種と、その育て方に原因がある。

また、自分自身と他者とのかかわり方、自分と自分を取りまく世界中との関係を、どう考え、どう行動していくかにある。

自分の努力で、自分の人生の問題集が解ける、という考え方が、縁起の理法を信ずる立場だ。

何を善と見、何を悪と見るか。

どのような行為を、仏意にかなっていると考え、どのような行為を、悪魔の所行だと思うか。

あなたは日々、選択と決断を迫られている。

その答えの集積が、あなたの人生の総決算である。

あなたは来世の採点結果を、運命ではなく、自分の努力点であると、静かに受け入れる心境を持たねばならない。

 また、大川隆法総裁は、『幸福のつかみ方』で以下のように説かれました。

「私には、看病して疲れておられるご家族のかたに、あえてムチ打つ気持ちはありません。しかし、家族に病人が出たという厳しい環境のなかで、いかに朗らかに、いかに明るく、いかに希望に燃えて生きられるかということが、あなた方の魂を光らせるための試練になっているのです。考えてみれば、ヤスリをかけられるときには、その金属は痛くて悲鳴をあげているように思われるかもしれませんが、その後にはピカピカに光るものです。また、サンドペーパーをかけられてピカピカに光っていく木もあります。木目は、ザラザラしたもので何度も何度も擦られるとき、もし人間のような気持ちがあるとすれば痛いのでしょうが、それでも、その時期を通り越してみると、みごとにピカピカに輝く、美しい素材になっていくことがあります。人生もこれと同じなのです。あらゆる苦しみや悲しみも、魂を光らせるためのヤスリだと思ったときには、どんなものでも耐えていけるのです。むしろ、そうした悲しみのときにこそ、宗教的な飛躍というものが訪れることがあります。そうしたときにこそ、人間は救いを求め、魂の領域において一段と飛躍をすることができるのです。ですから、病人が出たからといって、それを自分の不幸の言い訳にすることなく、そうした病人が出たことによって、自分が魂の修行の機会を与えられたことに感謝をし、そして、そのなかで己れの心の修行をすることです。そしてまた、病人が家庭に出たということで、与える愛、尽くす愛、奉仕とはなにかということを考えさせられもするのですから、これはまさに、他人に対する献身の心を学ぶ機会ではないかと思います。愛というものは、その基礎に忍耐と寛容を伴っているものなのです。調子のいいときだけ相手を愛する。たとえば、夫が調子がいいときだけ夫を愛する、妻が美しいときだけ妻を愛するのは簡単ですが、夫が仕事上で失敗したり、妻の美貌が衰えてきたときに、なおも愛するということはなかなか難しいことでしょう。しかし、それでも愛していこうとするその忍耐と寛容の心が、やはり愛というものを裏打ちするものだと思うのです。病人も同じです。家族として仲よくやってきた者のなかに不幸が起きたなら、それを辛抱強く見守ってやることが大事です。すべての運命を恨むことなく、すべてを自分の魂の糧として選びとっていくなかに、真なる幸福というものは光ってくると思うのです」

 このような問題にぶちあたったときの考え方の基本は、生は一冊の問題集」という観点なのだということです。 

 自分の環境や性格、肉体、能力の部分で、誰が見ても他の人と極端に違うときには、そこに人生の問題集を解く鍵がある。

 過去の転生でカルマをつくっていることもあるが、それを探ってもきりがない。

 過去世がどうであろうと、人間は、今回の人生を自分に与えられた問題集として捉え、その解答の努力をしなければならない。

 大川隆法総裁は、『心と体のほんとうの関係。』で以下のように説かれました。

「自分の環境、あるいは性格的、肉体的、能力的な部分で、他の人と極端に違う部分があるときに、それを単に悩みの材料として見て、そこからの出口だけを探してはいけません。誰が見ても、明らかに悩みの材料と思われるもののなかに、実は、あなたの人生の問題集を解く鍵がある場合もあるのです。あなたの魂にとっては、「目が不自由である」ということが、何らかの進歩を促す材料なのです。足が動かない人、手のない人、目が見えない人、耳が聞こえない人など、現在、身体的な不自由を抱えている人はたくさんいます。そういう人たちのなかには、過去の転生において、何らかの肉体的なカルマをつくっている人もいます。私は、リーディング(霊査)をすれば、五千年でも一万年でも、それ以上でもさかのぼって、ある人の過去世を何代前まででも探れるのですが、それを一つひとつ探ったところで、きりがありません。過去世がどうであろうと、人間は、今回の人生を、自分に与えられた問題集として捉え、「その問題集に、どう答えていくか」ということを考えて、そのために努力しなくてはならないのですね。問題集は一人ひとり違います。ただ、その人にとって、魂の学習に合った問題集であることだけは事実です。問題から逃れることばかりを考え、「与えられた問題を解きたくない」と言うのではなく、その問題のなかに潜んでいる意味を発見してほしいのです。「目が不自由だ」というハンディがあっても、どれだけ、光った人生を生きられるか、それを工夫してほしいと思います。目の自由な人たちが見て、「あの人が、あんなに立派に生きられるのだったら、私も、もっと頑張らなくてはいけない」と思うようになれば、あなたの人生は成功です。体が不自由であっても、あの世に還ると、それは治ります。不自由なのは、この世にいる、ほんの何十年かのあいだだけです。地上では、そういう“配役”になっていても、そのなかに修行があるのです。他の人に迷惑をかけるかもしれませんが、お返しができることもあるはずです。「マイナスの面を考えずにプラスの面を見いだしていく」という努力をしてほしいのです。肉の目は見えなくても、少なくとも“心の目”は見えるはずです。心の目でもって真理を見ていくことはできるはずです。そして、口が動くなら口で、耳が聞こえるなら耳で、何らかの「プラスの人生」を生み出せるはずです。それも、あなたに与えられた問題集なのです。どうか、今世において自力で解いてみてください。その問題集の模範解答は、あの世に還ったときに必ず示されます。なぜ、そういう修行をしたかということが必ず教えられますから、それまでのあいだは、とにかく、一生懸命、自分の問題集を解いていただきたいと思います」

 「この人生の環境は生まれる前に自分で決めてきたのだ」と知ることが出発点。そして、自分の人生をしっかりと振り返って、他の人と異なるところに着目して、自分の人生の特徴をつかむこと。そうすることで、今世の自分の人生の課題が何かを発見すること。与えられているものに最大の感謝をしながら生き、間違いを犯したら素直に反省していくことです。「人生は一冊の問題集」です。

 大川隆法総裁は、『信仰告白の時代』で以下のように説かれました。

「両親に対しての不満もあるでしょう。しかし、その両親を知っていて生まれてきたのは、みなさん自身なのです。「親が勝手に産んだ」というのは根本的な間違いであり、必ず自分で親を選んで生まれてきています。生まれる前に、自分の親が誰かということを知っているのです。 たとえ、それが正規の生まれ方でない場合、要するに正常な夫婦のあいだに生まれなかった場合であっても、それを承知のうえで生まれてきています。その人の魂経験に必要なために、そのような計画をして、そこに生まれているのです。そこに自分にとって必要な学びがあるからです。自分が何者であって、いかなる人生計画を持っている人間であるかということは、過去を振り返ってみればよくわかります。あなたの両親は、どのような仕事をしていましたか。あなたは、どのような家に生まれましたか。それはどの地域ですか。どの時代ですか。家族はどうでしたか。近所はどうでしたか。兄弟のなかで、あなたは他の人とどのように違っていましたか。その人生の歩みを、数十年間ずっと振り返ってみると、あなたの人生の目的と使命というものが、非常にはっきりと見えてきます。それが、あなたの魂の、今回の課題なのです。それを、まず見抜かなければなりません。そして、いかなる使命であるかがよくわかったならば、いま与えられているものに最大の感謝をしながら生き、また、日々みずからが過ちを犯さないように心して、もし間違いを犯したならば反省をすることです」

 この世に生まれてきたのは、楽をするためではなく、自分の人生をもう一段、鍛え上げ、光り輝かせるためである。

 難しい問題が次々と出てくるならば、あなたはその問題に対処できる人間であることを意味している。あなたが背負えないような問題は出て来ない。

 難問が出てきたときには、「これは自分を磨くための材料かもしれない」と静かに受け止め、逃げないで闘うことである。

 大川隆法総裁は、『Think Big!』で以下のように説かれました。

「次に述べておきたいことは、「悩みや、つらさ、仕事の重みなどを、どうか積極的なものとして捉えていただきたい」ということです。あなたが、この世に生まれてきたのは、楽をするためではありません。幸福の科学が教えている人生観によれば、「自分の人生を、もう一段、鍛え上げ、光り輝かせる」という目的で生まれてきたのです。したがって、もし、あなたの前に難しい問題が次々と出てくるならば、あなたは、その問題に、対処、対応することのできる人間であることを意味しています。あなたが背負えないような問題は出てきません。結局、人生においては、どんなに悪いことが起きたとしても、最後は死ぬだけのことです。この世的な問題は、死んだら解決してしまいますが、その前に、「出てきた問題を、いかに肯定的に捉え、自分自身を伸ばす材料とするか」を考えることが大事なのです。世の中には、「自分の悩みは、とても解決できない」「難しい仕事なので、もう逃げたい」などと言って、逃げ癖のついている人がいます。それから、「潰れる」「今日も残業だ」「自分には、とても無理だ」などという言葉を、口癖のように言う人もいます。要するに、「できない」と言う口癖のある人がいるのです。実は、そういう口癖が、あなたを不幸にしていることが多いので、そういう口癖がないかどうか、点検してみてください。その口癖を出す前に、もう一度、静かに問題を受け止めてみてください。「こういう問題が自分に与えられた」「こういう仕事上の難問が与えられた」「こういう人生上の難問が与えられた」というときに、それを静かに受け止め、「どうして、こういう難問が与えられたのだろうか。これは、自分を磨くための材料かもしれない」と考えてください。「逃げないで闘う」ということを覚えていただきたいのです。」

幸福の科学では、「魂修行」「ユートピア建設」を、「人生の目的と使命」として教えられることもありますが、この理解が背景にあって、「人生は一冊の問題集」という深い悟りの言葉も出てくるわけです。

 大川隆法総裁は、『新・幸福の科学入門』で以下のように説かれました。

「人間が「死に至る病」を背負いて生きる不安定な存在だと考える実存主義哲学も、「人間は生への盲目的意志に突き動かされて生きている」とするショーペンハウアー流の厭世哲学も、私たち幸福の科学の人間観・人生観から言えば、真実はわかっていないということになります。どういう人生観を持つかは各自の自由です。しかし、人間が何のためにこの地上に生まれてくるのかといった問いに対しては、①己の魂修行をし、霊的に向上するため、②物質界というこの不自由な環境を克服して、高級霊界のようなユートピア世界をこの三次元で実現するため、という二つの目的は、すでに何人も変えることのできない神理として決まっていることなのです。私はみなさんが悟ってゆくための材料として、霊言集や理論書を続々と世に問うてゆくつもりです。みなさんはそれを踏み台として、幸福へのワン・ステップを踏み出してください。私から直接与えられた解答にたよっていては、みなさんは少しも霊的には向上しないのです。与えられた例題を通して、各自、自らの問題集を解いてみてください。そこに今世になぜ生をうけたのかという理由と、悟りという名の最大の幸福を発見されることでしょう。」

霊的人生観  

自助努力の精神