障害者の意味

 日本の障害者数は約700万人で、これは全人口の6.4%です。16人に1人の割合ということになる。

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 肉体の機能に障害があっても、内面では豊かな精神活動を行っている。話せないからといって、言葉を持たないわけではない。障害者の支援者の中には「そう考えたほうが実感に近い」と言う人も少なくないという。

 

「障害があっても、魂は健全」

 障害者に「人格はあって当然」と考えます。彼らにも心があり、まわりで起きたことを感じ取っているし、『思い描く』という創造活動をしています。その思いを、言葉として引き出す支援方法も、障害児支援の世界にはあります。そして、障害とは、「肉体に宿っている魂と、肉体とが連動して動かないことだ」と考えます。a1660_000026

 「人間の魂は神の分け御霊」という人間観を持つことが、障害者やその周りの方々が幸福に生きるために必要だと考えます。

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 周囲の人々の障害者への見方を変えると、本人の行動が変わる例も珍しくないという。「障害者はこちらの言っていることが何も分からない」「幼児くらいの知能しかない」という目で見ることは、障害者本人の自尊心を傷つけ、実態と合わない支援を押し付けることになりかねない。

 最初は不幸の種と見えていた我が子の障害が、幸福の種に変わっていったという方も数多くおられる。

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「障害者の生きる意味は何か」

 その明確な答えは宗教の中にある。幸福の科学大川隆法総裁は、「人間の本質は魂であり、障害があっても、魂は完全」と説いている。経典『愛と障害者と悪魔の働きについて―「相模原障害者施設」殺傷事件―』のあとがきには

「障害者は、人間に、足るを知り、幸福とは何かを教える、魂の教師の役割を持っている。また不当な、劣等感・失敗感・挫折感により、神への信仰を見失った、競争社会のすさんだ人々を、救済する役割も障害者たちには与えられている。そして彼らの中には現実の天使も身を隠して潜んでいる」

 「障害者として生きることは不幸」という考えは、現代社会に広がっていると言えよう。例えば、妊娠した場合の遺伝子検査で、胎児が障害者になる確率が高ければ、約96%の妊婦が中絶を選ぶという。障害を持って生まれれば、本人や家族は苦労するかもしれない。もし、中絶をしてしまえば、「生まれてから殺されるか、生まれる前に殺されるか」の違いでしかないのも事実ですが。

 ほとんど議論されていないが、宗教的な観点から言えば、障害を持って生まれることには、必ず意味がある。人は生まれる前に、人生計画を立てて生まれてくる。実はその際、あえて障害を持って生まれることを選択する人がいる。

障害者に生まれたのは?

 ある人は、愛の大切さや、五体満足であることの幸福を伝えるため、自らの意志で障害のある人生を選択する人もいる。またある人は、過去世で人を傷つけるなどのカルマを抱え、それを解消するために障害者として生まれる。

 こうした霊的な真実からみると、障害者は決して不幸を選んで生まれたわけではない。

 「障害者をどうとらえるか」ということは、この世に生きるすべての人に関係がある。自分や家族が、事故や病気で突然、障害者になることがないとは言えないからです。また、高齢になって身体機能が衰えたり、認知症を患うことがあれば、一人で生活するのは難しい。

 競争社会で認められるか否か、という物差しだけでしか自分を捉えられず、自分自身の存在価値を見失う人も少なくない。「愛」や「魂の救済」の本当の価値を、障害者はその姿で教えてくれている。

 幸福の科学グループでは、母体の宗教法人の教えをバックボーンにして、各種団体が障害者や不登校児などの支援を行っている。これらの活動の背景にあるのは、この世とあの世を貫く幸福を得るための「霊的人生観」である。

 これは、人間の本質は魂であり、この世は魂を磨く修行の場であり、生まれ変わりをくり返す中で、さまざまな経験をして問題や試練にぶつかるが、それはすべて各人の魂を鍛えるために存在するという真理である。

 つまり、障害を持ったり、不登校やいじめに遭ったり、罪を犯すなどのつらい人生を送っていたとしても、それはすべて「人生の問題集」であり、そうした問題に積極的に立ち向かっていくときに未来は開かれていく。

 大川隆法総裁は、著書『未来の法』で以下のように指摘する。

「『何事もないこと』が人生の幸福ではありません。自らの前に立ち現れてくる、さまざまな事件は、すべて、みなさんの魂を試し、育てるために与えられた試練でもあるのです。『それを、どのように受け止め、どう乗り越えていくか』が試されているわけです」

「障害児の魂は健全です」「彼らは、まわりの人びとに、愛や優しさ、生きる意味を教えるために、不自由を覚悟して生まれてきた『魂の教師』です」

 障害を持っている子でも、教えればできるようになることはたくさんある。むしろ、それを伸ばしてあげないのはもったいない。

 自らの職場を、「与える愛の実践の場」として考えること。多くの人が自分の生まれた本当の意味を深く理解すれば、社会にこれまで考えもしなかったような幸福感が溢れると信じている。

 

障害があっても魂は健全

 宗教的な観点から見ると、認知症であっても魂は健全で、周りの人の考えや気持ちなどはすべて伝わっている。肉体に不具合を抱え、自分の気持ちを上手く表現できなくとも、心の中では人と同じように痛みや苦しみ、そして喜びや感謝も感じている。

 大川隆法総裁は、著書『心と体のほんとうの関係。』で次のように述べている。

「人間の肉体は、”機械”としての面では、いろいろなところが弱ってくるので、頭脳の機能などがうまく働かなくなることはあります。しかし、そのようになったときでも、”霊的には完璧”です」

 『障害児の魂は健全』という事実を受け入れると、本人だけでなく、支える家族にも勇気が湧いてきます。

 支援とは、本来、利用者の自尊心と自立心を大切にしながら、必要な部分をサポートすることだと思います。何もかもすべて看護することは、利用者が持つ能力、伸ばせる才能を奪うことになります。

 『障害を持つことを、あの世で計画して生まれてきた』という霊的な真実を知れば、現在、本人や家族、施設で働く人々も、障害に対する見方が変わると思います。多くの人が『自分は生かされている存在なのだ』ということに気づき、人生を肯定的にとらえる人が増え、社会に『幸せ』が広がっていくでしょう。

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障害を持って生まれることのスピリチュアルな背景

 人間はこの世とあの世を転生輪廻し、この世に生まれて魂修行をしている存在である。今世、障害を持って生まれてくることは、生まれる前に子供自身が立てた人生計画であることが多い。

 障害を持って生まれる理由には大きく2つある。一つは、障害を持って生きることで、過去の人生のカルマを消すためである。

ハンディを背負う子供たちへ

 大川隆法総裁は、「特別な障害や特別な病気、難病・奇病と言われるようなものが何かある場合には、カルマの問題と見て、ほぼ間違いありません」と説明されている(『じょうずな個性の伸ばし方』)。

 障害児、すなわち、大きな障害を持つような子供が生まれてくる場合には、たいてい前世とか前々世とかに、カルマというか、何らかの原因があるということです。

 過去世をずっと辿ってみて、原因がないことは、ほとんどありません。その人の人生修行として、あるいは、人生の問題集として、「今回は、そういう人生を経験しなさい」というテーマが出され、そうなっていることが、ほとんどなのです。 さらに、その子だけではなく、みなさん自身も、過去、数千年の転生を見れば、みな一回ぐらいは、体に不具合のある人生を経験しています。 なぜかというと、たいていの場合、過去の転生で、ほかの人に害を与え、その人の体の自由を奪うような経験をしたことがあるからです。もちろん、昔は、戦争も数多くありましたので、戦争の経験がない人は、ほとんどいないでしょう。そして、たとえ、善人で、個人的に悪意を持っていなかったとしても、弓の腕がよかったら、戦争に駆り出されてしまいます。そして、相手を簡単に射抜いてしまうことでしょう。 矢が、相手の腕に当たったか、頭に当たったか、足に当たったかは分かりませんが、腕がよければ、当たってしまいます。 それで国を護れたとしても、相手を傷つけたこと自体は、いちおうカルマとして残るのです。自分の心のなかに傷が残る。 例えば、「戦国時代に、相手の頭を射抜いた」などという記憶が残ると、「どこかの転生で、償いをしたい」という気持ちが出てくるのです。そうすると、一度、脳のほうに何か障害が起きるような立場で生まれ、苦しい一生を20年ぐらい送るというような人生を計画するのです。 その20年間は、本人にとって、ものすごい苦しみだし、家族にとっても、ものすごい苦しみですが、あの世へ還って、フタを開けてみたら、「実は、昔、こんなことがあって、償いをしたかったのか。ああ、これが、今回の人生の問題集だったのか」ということに気づくことがある。 何らかの障害を持った子は、百人に1人ぐらいいると思いますが、「そういうカルマのある人は、一般的に、そのぐらいはいる」ということです。 表に出ている現象だけを見ると、「なぜだろう」と思うかもしれませんが、要するに、カルマを消すためにやっているのです。そういう人生を経験することによって、そのカルマは消え、償いが終わるわけです

 もう一つは、他の人々に「健康であることの感謝」を思い出させる奉仕行をするためです。人間は、様々な悩みを抱える一方で、五体満足であることへの「感謝の思い」を忘れがちです。また、障害のある人に接することで、弱い立場にある人を助けようという「愛の思い」も思い出すことができる。その意味で、障害のある人は「感謝」や「愛」の思いを教える教師役でもあり、「菩薩行」をしていると言える。

 その意味では、本当に反省が必要なのは、この世の肉体としてしか人間を見ることができず、人間の本質や人生の意味を見出せないことにあるだろう。どんな人にも、使命がある。障害を持って生まれた子に対しても、「人々に愛の思いを思い出させる天使役として生まれてくれた」という見方をすることで、自分や誰かを責めるのではなく、積極的で前向きな人生を送ることができるでしょう。

参考

 あらゆる人は、生まれる前に人生の計画を立て、両親や家庭環境を自ら選び、人生の目的と使命を持って生まれてくる。その中で、あえて肉体に障害を持つという厳しい人生を選ぶ人もいる。「無駄な人」や「要らない人」などいないのです。

 2013年4月に日本でも「新型出生前診断」が導入されたが、これまでに、胎児に障害がある可能性があるとされた妊婦の約96%が中絶を選択したという。「障害者がいなくなればよい」とは言わないまでも、「障害者として生まれるのは不幸」「障害児を育てたくない」という見方をしてしまいがちであることをうかがわせる結果である。

  障害者は自分で計画して生まれてくる

  障害児は不自由を覚悟して生まれてきた『魂の教師』

  障害を持って生まれたことには意味がある

  人間は生まれ変わりをくり返し魂を磨く存在

 

障害児は不自由を覚悟して生まれてきた『魂の教師』

 幸福の科学グループの障害児支援組織「ユー・アー・エンゼル! (あなたは天使!)運動」の運動方針の一節には、次のような言葉がある。

「障害児の魂は健全です」「彼らは、まわりの人びとに、愛や優しさ、生きる意味を教えるために、不自由を覚悟して生まれてきた『魂の教師』です」

 

障害と闘うことは菩薩行でもある

 大川隆法総裁は、著書『じょうずな個性の伸ばし方』の中で、次のように述べている。

「障害児として生まれること自体は、この世的に見たら不幸ですが、長い転生で見たら必ずしも不幸とは限りません。それは、意味のあることなのです」

「『カルマを清算しよう』という人生目的があって、障害児として生まれることがあります。障害児は、まわりの人に『健康のありがたさ』などを教えたり、まわりの人の性格を優しくしたりする修行もしています。障害と闘うことは菩薩行でもあるのです」

 たとえば、脳腫瘍については、幸福だったと思う期間が短かったので、自己防衛本能で思い出したくないという思い、忘れたいという思いで、脳の機能が働かなくなってしまうことで起きる。まわりの家族の人は、感謝してあげることが大事です。

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