繁栄思考

『繁栄』を肯定するところから繁栄は始まる

 「繁栄思考」のお教えは、長期不況に苦しむこの日本を救う、思想としての力が明らかにあります。

 無限の富を引き寄せる。繁栄の神に愛される。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『繁栄思考』の まえがき で以下のように説かれました。

「この世の中には、成功し、富を築く人たちを罪人視する風潮が蔓延している。いわゆる、バケツから逃げ出そうとするカニがいると、下のカニがハサミで引きずりおろす、例の傾向だ。バケツからの脱出に成功したカニが、その脱出成功法を他のカニに伝授し、次々と仲間を引き上げる文化を創り出したらどうなるか。次から次へと成功者が数珠つなぎで出てくることだろう。  私は、『チャンスの平等』には賛成である。そこには自由からの繁栄がある。しかし、嫉妬心の合理化である『結果の平等』には必ずしも賛成しない。汗を流し、智恵を絞って成功した者が呪われ、なまけ者が得をする世の中を創ることは、著しく社会のモラルを引き下げる。『格差是正』の美名のもとにマルクスの亡霊を復活させるのはやめよう。『良い格差』は他の人々を勇気づけ、社会にやる気と活力を与える。『繁栄』を肯定するところから繁栄は始まるのだ。」

 思想戦として、地球全体を不幸にしていこうとする「貧乏神思想」に対し、「繁栄思考」でもって戦いたいと考えている。

 世の中の人々は、「心の力」というものを、あまりにも小さく捉えすぎているが、人間は、自分が思っている以上の力を本当は持っている。

 成功した人たちは、みな、「どうしたら自分を大きくしていくことができるか」ということを考え、そして、「それができる」と信じている。

 大川隆法総裁は、『繁栄思考』で以下のように説かれました。

「今の日本および世界の国々の状況を見ると、この「繁栄思考」という考え方が必要なのではないかと思います。日本を含め、地球全体を不幸にしていこうとする思想が、今、また頭をもたげてきているように思われるので、私としては、「思想戦で戦わざるをえない」という気持ちが強く出てきています。要するに、「貧乏神思想」に対して、私は「繁栄思考」でもって戦いたいと考えているのです。世の中の人々は、「心の力」というものを、あまりにも小さく捉えすぎています。「気持ちの問題」とか、「ちょっとした気分の問題」とか、その程度に考えていることが多いようです。しかし、そのように思っているうちは、その人が、まだ、「この世的な人間」であることを意味しています。つまり、自分自身を、「この世の三次元世界、物質世界のなかに生きている肉体人間である」と認識している割合が、七、八十パーセント以上あるわけです。そういう人は、たとえ信仰を持っていたとしても、「霊的な自己」というものを、まだ十パーセントか二十パーセント、あるいは三十パーセントぐらいしか理解していない可能性が高いのです。この「霊的な自己」を認識している割合が五十パーセントを超えると、人生が変わってきますし、周りにも、今までと違った現象が起きてくるようになります。それは、その人の世界観が変わってきたことを意味しているのです。私は、つくづく思うのですが、人間は、自分が思っている以上の力を本当は持っているのです。  その力を抑えているのは、実は、この世での生活を繰り返していくなかで周りから教え込まれた、「不可能思考」とでも言うべきものです。すなわち、「そういうことは、やっても駄目だ」「無理だ」「限界がある」という、「限定思考」のようなものを教えられ、慣らされてきた結果、それが、自分のなかに、だんだん熏習(しみ込んで残存すること)されてきて、「小さな自己」になってしまっていることが多いのです。これは、親の教育によって、そうなった場合もあるでしょうし、学校の教師から、そのように教えられた場合もあるでしょう。また、社会に出てから、友人や会社の同僚、上司等から教わって、そうなった場合もあるでしょう。特に、この日本という国には、「出る杭は打たれる」という風潮があるため、大きく考えることがなかなかできない傾向があります。「バブル」という言葉もあるように、大きな考えを持つことを、何か異常なこと、尊大で身分不相応なことだと考えがちなのです。ただ、私が見てきたかぎり、成功した人たちは、みな、「どうしたら自分を大きくしていくことができるか」ということを考え、そして、「それができる」と信じていました。そうした人たちのみが、現実に成功を体現してきたように思うのです。」

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