真の繁栄

 幸福の科学で言うところの「繁栄」とは、売上高がいくらかとか、資本金の規模がいくらかというような話ではない。

 真の繁栄とは、第一に、世間の人が、その人を成功したと認めること。

 第二に、その人に人格的な成長があること。

 第三に、その人が社会的に影響力を持っていること。

 第四に、その人にとって、それが後悔のない人生の支えとなっていること。つまり、自分の本来の持ち味に合った方向での成功であり、積極的に魂の進化につながるような仕事であることである。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『成功の法』で以下のように説かれました。

「私は、真の繁栄と言えるためには四つの条件が備わらなければならないと考えます。一番目の条件は、「世間の人が、その人を成功したと認める」ということです。自分で、「自分は成功した。繁栄した」と言っているだけではなく、それが、客観的指標によって、多くの人たちにも認められる必要があると思います。人の目は正確です。多くの人たちに、「やはり、それだけのものである」と認められるようなものであってほしいのです。それが真の繁栄であると思います。

 真の繁栄の二番目の条件は、主観的な立場として、「その人に人格的な成長がある」ということです。繁栄をしつづけるということは、そこに、「人格的にも発展しつづけている」という前提があるということです。会社の規模だけは大きくなっても、社長が、いつまでたっても零細企業のような発想や考え方でやっているとしたら、やがて、その会社には、どこかで曲がり角が来るでしょう。経済規模の発展相応に、その中心にいる人たちが、人物としても大きくなっていくことが必要です。

 真の繁栄と言えるための三番目の条件は、「その人が社会的に影響力を持っている」ということだと思います。繁栄ということが、単に、「お金を大判小判として金庫のなかに蓄えている」ということだけであってはいけないのです。その富なり、あるいは社会的名声なり、業界の知名度なり、いろいろなものを生かして、世の人々に対する影響力を増していくということが、真の繁栄であると思います。

 真の繁栄と言えるための四番目の条件は、「それが、その人にとって、後悔のない人生の支えとなっている」ということです。いくら利潤を手にすることができたとしても、そのなかに真に生きがいを感じられないならば、それは真の繁栄とは言えないのではないかと思います。もし、人が気づかないような仕事を見いだして、そこに経済的飛躍のチャンスがあったとしても、残念ながら、その人の魂の傾向が、その方面に向いていないのであるならば、やがて、それは繁栄ではないものになっていくでしょう。たとえば、極度に精神的な価値を求めている人が、投機的な仕事のみにおいて利益を追求していくということは、やがて、その人の人生を虚しくしていくことになるでしょう。やはり、「自分の本来の持ち味に合った方向で成功する」ということが、後悔しない人生のための前提になると思います。積極的に魂の進化につながるような仕事であることが必要だと私は思います。もし、そうでなければ、やがて、自分に向いた方向に転換していく必要があると思います。経済的成功を基盤として、次なるステップを踏み出していくほうが賢明でしょう。」

「仏法真理」へ戻る