正業 「正しい仕事」

 「正しい仕事」かどうかには、二つの場面があって、二番目にあげられているのは、仕事の正しい遂行の仕方。

 その仕事をすることで、他の人々と調和を保つことができて、幸せの輪が広がっていくことが大切。

 そして、最初にあげられているのは、選んだ仕事は何か、という場面。

 その仕事が、自分の本当の実力が生かせるものであることが大切だし、それは社会を害するような目的の事業であってはならない。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『釈迦の本心』で以下のように説かれました。

「正しい仕事」という意味での「正業」において最も大切な観点は、次の二点に集約されると思います。第一点は、自分の仕事の目的が、みずからの良心、純粋なる心に反するものでないことです。それぞれの人間には、自分の生涯の仕事について、ある程度、生まれてくる前に立てた計画があります。その計画を立てる際には、「自分はこうした生き方をしていきたい」という選択があったわけです。それと現在の仕事が一致しているかどうか、確認が必要なのです。もしまったくの不一致であるならば、生活のため、金銭のためという理由だけで、その仕事を長く続けることは、精神にとって苦痛です。みずからの適性にできるだけ合った仕事をしていくことが大事なのです。これは結局、組織社会においては、適材適所という考え方にもなるでしょう。仕事上の役割というものは、単にすべてが平等であればよいというものではありません。もちろん、可能性において平等であることは必要ですが、実際の仕事の役割においても平等である必要はないのであり、適材適所という考え方が必要なのです。それが、その人を生かし、その組織をも生かす方法となるからです。

 したがって、「正しい仕事」においては、第一に、自分のほんとうの実力が生かせるような仕事であること、また、それが自分の本来の目的に反しないことが大切なのです。  第二点は、その仕事の遂行において、他の人びととの調和を保つことができ、幸せの輪が広がっていくことです。これが何にもまして大事だと思います。もちろん、仕事においては、企業と企業のあいだで利害が相反することもあるでしょう。しかしながら、そうした場合であっても、結局、企業間の競争が社会全体のためになるならば、それは是とされるのです。複数のメーカーが新製品を開発し合い、低価格の商品を発売しようとがんばることは、広い眼で見て、社会全体の発展に寄与しています。その意味では、企業同士がしのぎを削ることは必ずしも悪ではありません。ある商品の販売を一社だけが一手に引き受けると、大勢の福利厚生の妨げになることもあるため、よい方向においてしのぎを削ることは、仏法真理的に見ても是認されるのです。しかし、単に人間関係のあつれきを起こすだけであったり、有害な目的を持った事業であったりしてはなりません。できるだけ多くの人の幸せを増進するような仕事であって、しかも人間関係の調和を目指すような仕事の仕方でなくてはならないのです。現代においては、これが正業に関する大切な観点だと思います。」

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