現代にも奇跡は起こる

 様々な病気を治したイエス、ルルドの泉の奇跡など、人類の歴史は、にわかには信じがたい話で溢れている。しかし、そうした話をつぶさに見ていくと、どうやら奇跡には一つの法則があることに気付く。その法則を知れば、あなたのもとにも、奇跡はきっと起きる。

 「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」

 キリスト教の聖典である新約聖書の中でも、一番有名な奇跡は、イエスが死者ラザロを蘇らせた話でしょう。イエスは、ラザロの姉妹を冒頭の言葉で諭し、神への祈りの言葉の後に、叫んだ。「ラザロよ、出てきなさい」。そうすると、墓の中から、死んだ時のままの姿で、包帯のラザロは蘇り、墓の中から姿を現したのだった。死からすでに4日が経過していた。

 

信じることが奇跡の条件なのか

 ラザロの例以外にも、新約聖書には驚くべき奇跡のストーリーがいくつも登場する。12年間も出血が止まらずに苦しんでいた女は、イエスの神秘的な力の噂を聞き、彼なら自分の病気を治してくれるかもしれないと思った。人々が救世主と呼ぶイエスと直接話すのは畏れ多いが、「この方の服にでも触れれば癒していただける」と信じたその女は、群集に囲まれたイエスの着物に手を伸ばす。そして、イエスの服に触れただけで、この女の病気は瞬時に癒えてしまった。

 こうした奇跡のストーリーは聖書の時代だけでなく、今日でも報告されている。東日本大震災では日本も大津波に見舞われたが、インドでもある村を津波が避けたという話が伝わっている。

 2004年のスマトラ沖地震にともなう大津波では、インド洋沿岸部の広い地域が被害を受けた。しかし、その中で、ヒンドゥー教の神々の一柱であるムルガ神を信仰するインドのティルチェンドル村では、津波がムルガ神を祀った寺院周辺を避けるようにして、侵入しなかったという。

 こうした奇跡が起きる理由は何でしょうか。一つ言えるのは、イエスの服に触れた女も、ティルチェンドル村の人々も、神や救世主の力を信じ、奇跡が起きることを信じていたという。信じるということが、奇跡を起こす条件なのでしょうか。

 

「神の業」が奇跡を起こしているのか

 一方で、信じることの他にも、奇跡を起こすための条件はありそうです。

 新約聖書の例を再び引けば、イエスはある時、生まれつき目の見えない人の目を見えるようにした。イエスの弟子が「この人の目が見えないのは、誰の罪のせいか」と聞いたが、イエスの答えは「神の業がこの人に現れるためである」というものだった。

 近代の例としては、フランスのルルドの泉がある。この泉では、聖母マリアが目撃されたとされ、その水を飲んだ人々が不治の病から立ち直るとして知られている。

 ノーベル医学・生理学賞を受賞したアレクシス・カレル医師(1873~1944)は、この泉を訪れた際に、実際に目の前で病人が治るのを目撃した。カレル氏が著書『人間 この未知なるもの』で、奇跡の目撃体験を紹介し、ルルドの泉は世界的に有名になったのである。

 実際には、ルルドの泉でも、奇跡はめったに起こらない。しかし、カレル氏が泉を訪れた時には、ちょうど目の前で奇跡が起こり、彼の著作によってルルドの名は世界的に広まった。

 なぜカレル氏は奇跡を目撃することになったのか。イエスの言う「神の業」という言葉を借りるとすれば、神仏と呼ばれる存在が、あたかもそのタイミングを選んで奇跡を起こしたようにも思える。この世に奇跡が起きることを高名なカレル氏の筆によって証明するために、この世を超えた世界にある存在がはたらきかけて、奇跡を起こしたとは考えられないでしょうか。

 

信じる力と実証者としての役割

 人々の運命を転回させる奇跡は、どういう仕組みで起こるのでしょうか。

 奇跡の起きるメカニズムについて、幸福の科学大川隆法総裁は、『奇跡のガン克服法』の中で、「すべての人に奇跡が起きるわけではありません。『信仰心を強く持っている』ということと、『奇跡を起こすに足る人である』ということ、この条件が重なった時に奇跡が起きます」と述べている。

 まず、「信じる力」というのが奇跡の起きる第一条件のようである。とはいえ「信仰による奇跡」は、現代の人々には何とも迷信がかった話だととらえられがちである。しかし、量子論など最先端の物理学は、次元を超えた祈りの力さえも、解明しようとしている。

 京都大学名誉教授で、量子論に詳しい学際学者の岸根卓郎氏は、著書『見えない世界を科学する』の中で、「量子論によれば、この世のありとあらゆるものは全て人間の意識が作り出している想念の世界の産物であるから、人間の祈り(意識)によって現実を創造し、願望を実現することができる」と論じている。

 総裁は、「一つ上の世界から力が働いてくると、この世の法則がねじ曲がってきます。これによって、歴史上、多くの宗教で、さまざまな奇跡が起きました」とも述べている。

 信じる力は、ある種の物理学的法則を有しているのだとも言える。例えば、「病は気から」とも言われるが、健康な自己像を強く肯定すれば、やがてそのイメージが現実のものとなっていく。自分が幸福になるイメージを抱けば幸運がやってくるという「引き寄せの法則」にも通じる考え方である。

 世界の有名な宗教には奇跡の話がつきものだが、その宗教が偉大であればあるほど、人々の信じる力も増し、奇跡を起こす力も増すのだと言える。

 また「奇跡を起こすに足る人」という基準にあてはめれば、ルルドの泉の例も納得がいく。カレル医師の前で奇跡が臨んだ病人は、医師の筆によって奇跡の存在が世界中に知れるように、奇跡の実証者としての役割が与えられたということになる。

 奇跡を起こす一定のメカニズムがあるのだとしたら、聖書や民間伝承の世界だけでなく、奇跡は今日でもわたしたちの周りで起きているというのもうなずける。

 世界各国で精力的に活動を展開している幸福の科学では、実際に、信者の間で信仰を機縁とした様々な奇跡が起きている。

 東日本大震災では、直後に発生した津波によって、東北地方の沿岸部を中心に壊滅的な被害が発生した。その中にあって、幸福の科学の信仰を持つ人々の被災は極めて少なかった。幸福の科学の信仰を持っていて、地震や津波の難から逃れた人は何人もいる。津波が自宅周辺を避けて通ったというケースや、幸福の科学の書籍を献本された人が、津波の勢いで高台に飛ばされて助かったケースなど、奇跡的に難を逃れた例がいくつも報告されている。

 信じる力が巻き起こす奇跡は、東日本大震災のような災害時だけでなく、信じる者の祈りに応えて、毎日のように起こっている。

 幸福の科学では、病気の平癒など様々な種類の願いを実現させる、数々の祈願を全国で執り行っている。特に病気の治癒では、医師を当惑させるような奇跡のケースがいくつも報告されている。

信仰の力は細胞さえも変える。

 古今東西起こってきた奇跡のストーリーは、単なる迷信ではない。

 新約聖書に繰り返し出てくるイエスの病気治しにしても、ルルドの泉にしても、いつの時代でも変わらない、奇跡の法則の下にあった。

 まずは、信じることである。その上で、奇跡を実証する役割が与えられた人に、奇跡が臨む。それは、信じる力が現実をつくり変えてゆくということでもある。また、宗教的に言えば、信じることによってこの世を超えた世界にいる高級霊に心が通じ、彼らの治癒のパワーがはたらくということでもある。

 奇跡は古めかしい迷信などではなく、今日でも信仰ある人のもとに臨んでいる現在進行形の現象なのである。

 「よくできた偶然」や「こじつけ」と決めつけるのは簡単である。しかし、少なくとも、信じることが奇跡の第一条件だとするなら、そう決めつける人は自ら奇跡に背を向けていると言わざるをえない。検証を試みる姿勢を持つことは科学において不可欠としても、それと目の前で起きている「科学を超えた現実」を否定してかかることとは意味が違う。

 幸福の科学で起きている奇跡について、大川隆法総裁は、『真実への目覚め』の中で、「結局、幸福の科学の教えの根底には、『この世に生きている人々を一人でも多く幸福にしたい。数多くの人たちを助けたい。救いたい』という思いがあるからです。この気持ちが奇跡を呼んでいるのです」と述べている。

 多くの人々を救いたいと願う、仏神の目に見えない慈悲の力を信じる人が増えてゆくにつれて、さらに数多くの奇跡が起きるに違いない。先入観を捨てて、まずは信じてみることが、奇跡を起こすための第一歩である。

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