社会保障の考え方

 社会保障をどう考えるかは、人間の本質をどう見るかという「人間観」の問題と深く関わっている。その意味で、実はきわめて宗教的なテーマでもある。

 近代社会保障が生まれた背景には、一つは欧米諸国のキリスト教的人間観がある。キリスト教の博愛の精神は、マザー・テレサの活動のように確かに素晴らしい面もある。だが、その根底にある人間観は、神の手によらねば救われない罪深き存在という、消極的で弱々しいものである。

 もう一つが、マルクスに始まる社会主義的・唯物論的人間観である。そのユートピア思想や弱者救済の精神はよいとしても、富める者から奪って貧しい者に分配することが権利であり、正義であるという理論の奥底には、富者への嫉妬心や闘争心がある。この嫉妬心が、抑圧的な〝貧しさの平等〟を生んだことは、旧ソ連の崩壊によって証明済みです。

 一方、幸福の科学が拠って立つ仏教的精神によれば、人間の本質は神の子、仏の子であり、仏に向かって限りなく成長していく性質(仏性)を備えた、善なる力強い存在である。

救われる立場ではなく、一人ひとりが自らを救っていける立場にある

 その可能性が万人に与えられている点にこそ真の平等があり、ここから「個人の自助努力という基本姿勢が導かれる。

 そして、そうした人間が自らが仏の子であることを示すために必要なのは、権利を主張してエゴイスティックに争うことではない。仏の属性である「智慧と慈悲」を、自らの自由性において発揮すること、しかも、それを権利ではなく聖なる義務として行うことである。社会保障の分野でいえば、智慧とは自由な創意工夫から生まれる新たなシステムやサービス、あるいはマネジメントであり、慈悲とは共生の思想や利他の心、西洋的に言えばノブレス・オブリージの精神などから生まれる寄付行為などである。

 こうした人間観へのシフトによって新たな繁栄の社会が出現するとき、医療や介護、年金の問題は、これまでとはまったく違った形で解決をみることでしょう。必要なのは、私たち国民の自己イメージの転換であり、マインドの転換ではないでしょうか。

 幸福実現党の社会保障制度は、自助努力の精神を基盤に、必要なところに保障が行き渡る政策です。これは家族というものを一つの自然なセーフティネットと定め、関係が薄れつつある家族の絆を深める制度でもある。それは決して、昔返りを勧めるわけではなく、本来の家族のあり方を基盤に、諸外国とは異なる社会保障で人々の幸福追求を支えるという、日本から世界に発信していくモデルケースの一つとすべき考え方なのです。

参考

 本来あるべき社会保障とは、事情があって身寄りがない人には生活保護を与えます。基本的には、家族や親族の絆を見直し、身内で支え合える社会を作ることです。

 現代のように核家族、少子・高齢化が進んでいると、例えば親の面倒を子供が見るにしても、経済的負担は大きく国の社会保障に頼らざるを得なくなる。しかし、子供が3人、4人と増えれば、一人あたりの負担は軽減できます。一定条件さえ満たせば、国が高齢者を見るよりも、家族で助け合った方が経済的負担は軽くなるのです。

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