欧米では、霊的知識が不足している

 「欧米、いわゆるキリスト教圏においては、すでに何十年も前から、臓器移植がすすめられているではないか。どうして日本だけが問題なのか」と考える人もいると思います。

 これには、現在のキリスト教における「霊肉二元論」の問題があります。キリスト教圏においては、「霊と肉とはまったく別のものである」と考えているのです。

 すなわち、欧米では、「肉体は肉体、霊体は霊体であって、両者は別のものである。霊体は神がいのちの息を吹き込んだものであるが、肉体は神が塵や土をこねてつくったものである。肉体は物質からつくられているが、霊体は神が息を吹き込んだものであり、それが魂になっているのだ」と考えています。肉体と霊体とをまったく区別して考えているのです。

 これにはデカルト的な二元論も強く影響していますが、キリスト教圏においては、「臓器をふくめ、肉体は塵から出来た物質であるが、魂はそれとは別であり、霊体と肉体はまったく関係がない」と考えているため、霊体を認めてはいても、「肉体は切ってもかまわない」というような理解をしているのです。

 しかし、これは「霊的知識の不足」と言わざるをえません。実際には、霊体と肉体とはまったく別の二元的なものではなく、かなりオーバーラップしたところがあるのです。

 仏教には「色心不二」という言葉があります。「色と心は不二である」「肉体と心は二つに分けることができず、両者は相互に影響を及ぼしあっている」ということですが、現実問題として、それが事実なのです。

 肉体における変化は霊体にも伝わりますし、逆に、霊体における変化は肉体にも伝わります。肉体が病めば、霊体にも非常に大きな苦痛が生じることがありますし、霊体が驚愕したり病んだりすると、肉体に異常な変化が表われることもあります。

 結局、キリスト教においては、未熟な理論が通用していると言わざるをえないのです。

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