人口減少問題 どちらを選択?

 西洋化した文明は、必ず人口の減少をもたらすのであって、日本もその問題に直面している。

 そこで、人口を増大させるために移民を受け入れて、多民族問題に悩む社会か、あるいは、八千万人ぐらいにまで人口が減っても同質性を失わないような社会をつくっていくか、いずれかの選択が必要になってくる。

 どちらを取ることも可能だが、どちらにも問題があるのです。

 幸福の科学の大川隆法総裁は、『奇跡の法』で以下のように説かれました。

「今後二十年ぐらいは、高齢人口の比率がかなり高くなる時期があるでしょうが、出産人口が少ないということは、やがてまた平準化されていって同じぐらいの数になるので、それまでの過渡期の問題だと言えます。したがって、「人口を増大させるか、あるいは、人口を縮小しながら均衡した社会をつくるか」という選択が働くことになります。しかし、これはいま始まった問題ではないのです。七十年ほど前に哲学者のバートランド・ラッセルが書いた文章を読むと、彼は、「文明が西洋化した場合には必ず人口が減る」というようなことを書き、かつ嘆いています。西洋化した文明は必ず人口の減少をもたらすというのです。それはなぜでしょうか。西洋文明は男女の平等を説きます。さらに、教育の機会均等と濃厚な教育サービスを求めます。その結果、自立した個人ができてきます。高度な教育を受け、自立した個人というものは、必ず高度な職業を求めるようになります。そうすると、家庭的なサービスをするような労働力がしだいに失われていき、そういう労働力が失われていくと、子供は少ないほうがよくなってくるのです。そのため、子供が減りはじめるというわけです。たとえば、アメリカの人々は、1800年代にはアフリカ等から奴隷をかなり「輸入」して、家事労働をさせていました。ところが、「人間は平等である」ということになり、奴隷が解放されると、それができなくなりました。そこで、次に発展途上国から移民をたくさん受け入れました。移民たちは安い給料で働いてくれるので、アメリカ人のホワイト(白人)は、自分は高い給料をもらえる職業に就き、家事労働のほうは、安い給料で働く移民に任せようとしたのです。しかし、しばらくすると、今度はマイノリティー問題、要するに少数民族の問題が起きてきました。彼らも当然ながら自立を目指すので、彼らがアメリカ社会のなかで頭角を現し、自己主張をしはじめると、彼らに白人と同じ権利を与えなければいけなくなってきます。彼らも対等の権利を要求してくるようになるのです。そういう難しい問題が出てきます。こうなると、それまでは便利であったものが、今度はそれを管理するのが大変になります。アメリカは、黒人問題の次に、移民問題で苦しむようになったのです。そういうことを考えると、今後、日本が少子化のなかで人口を増やしていくために、一つには、アメリカ型の、「収入の少ない国、発展途上国からの移民を受け入れ、労働力を増やすことによって、子供を産めるような社会にする」という方法があります。もう一つには、多少、縮小均衡ではありますが、「八千万人ぐらいにまで人口が減っても同質性を失わないような社会をつくっていく」という方法もあります。いずれにしろ、未来においては、どちらかを選ばなければいけない社会が来るでしょう。多民族問題に悩むか、あるいは、同質ではあるけれども、人口がやや減っていく状態を受け入れるか、この選択が待っているだろうと思います。どちらを取ることも可能でしょうが、どちらにも問題はあります」

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