医学が進歩すればするほど、いろいろな病気が出てくる

 医学が進歩すればするほど、病気の分類が増えてきて、ある病名を告げられると、いかにもそのような病気が実在するかのように思えてくる面があるし、診察を受ける側も、何らかの病名を診断してもらえると安心している。病気であることによって、今、社会的に認められるべき仕事をしていないか、尊敬されるべき立場にないことについて、家族や会社の同僚への言い訳や不満の代弁になっている。このような考え方は改めたほうがよい。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『奇跡のガン克服法』で以下のように説かれました。

「今、日本では、医学が進歩して、大勢の病人が病院で治療を受けていますが、それと同時に、ある意味で、病気の人の数も増えています。すなわち、「医学が進歩すればするほど、いろいろな病気が出てくる」という面が指摘できるのです。要するに、「研究が進めば進むほど、病気の分類が増えてきて、ある病名を告げられると、いかにも、そのような病気が実在するかのように思えてくる」ということです。病院に通って診察を受ける側の人にも、とにかく、何らかの病名を診断してもらえると、ホッとするというか、安心するような状況があります。病名を言ってもらい、「自分は、こういう病気だったのだ」と思うと、それで、「自分は、どういう分類をされるべき人間か」ということが決まるからです。別な言い方をすれば、病気であることが認定されると、「自分は、本来、こうであるべきだ」と思っているような自分でなくても構わなくなるのです。そういう意味で、お墨付というか、医者から証明書が出ているようなものだと言ってよいと思います。つまり、「何らかの病気である」ということは、「絶好調ではない。本来、自分が願うような状態ではない」ということを受け入れるための、非常に都合のよい条件になっているのです。大病院に行き、お年寄り同士が廊下ですれ違うときに話している言葉を聞くと、「どのような病気をしているか」ということで、お互いに病気自慢をしているのが現状です。また、「病気が重い」ということは、それを心配するべきである家族に対して、「私に対する愛情が足りないぞ」という警告にもなっています。そこで、私が述べたいのは次のようなことです。本来、病気になって喜ぶ人がいるはずはないのですが、現実には、病気であることによって何かを訴えている人がいるのです。その訴えとは何でしょうか。それは、自分自身が、今、社会的に認められるべき仕事をしていないか、尊敬されるべき立場にないことに関して、「病気である」ということが、家族や会社の同僚たちへの言い訳、もしくは不満の代弁になっているのです。 「おまえたちが悪いから、実は、このようになっているのだ」ということを、病気の重さで示していることがよくあります。そのことに気をつけなければいけないわけです。もちろん、「年を取り、行くべき所がないので、とりあえず病院にいる」という人も数多くいます。小さい子供は保育所や幼稚園にいますが、一定の年を取れば、「とにかく、病院にいるのが安全だ」と考え、「万一、ひどい病気になったときや死ぬときには、お世話になれるので、早めに病院にいる」という場合もよくあって、病院が、年を取った人たちの幼稚園のようになっている面もあります。ただ、私は、「一度、考え方を改めたほうがよいのではないか」と言いたいのです」

 すぐに最悪のことを言う医者の言葉に負けてはならない。

 心のマネジメントによって治せる病気はたくさんある。「自分は神の子、仏の子だ」「自分には自分自身を治す治癒力がある」ということを強く念じること。

 自分の体は、これまで自分がつくってきたのだから、その体が病気になったのであれば、今度は、「変えていこう」という意識を強く持って思い続けることで変わってくる。

  天上界にある「治癒の光」は、神仏から愛されるような生き方をする人に より降り注ぐ。素直であること、人を愛すること、他の人に優しくすること

 道を開くものは、私たち自身の精進と信仰心である。

 大川隆法総裁は、『朝の来ない夜はない』で以下のように説かれました。

「現代は病院が大流行りですが、今の病院の医療には、やりすぎている面もあるので、これからは、病院に行ったために病気になる人も出てくるでしょう。医者には、診察した患者について、考えられる最悪のことを言う傾向があるので、どうか、その言葉に負けないでください。最初に最悪のことを言っておけば、あとで悪くなっても医者には責任がありませんし、少しでもよくなれば、「腕が良い」と評価されるので、医者は、どうしても、悪いことを言いたくなるのです。しかし、食べすぎや運動不足などの不摂生だけでなく、ストレスの調整などの心のあり方も、病気の原因の半分以上を占めているので、“心のマネジメント”によって治せる病気はたくさんあります。その意味で、医者が、どんなに、「もう先がない」「一生、治らない」「一生、この薬を飲み続けなければならない」と言っても、すべてをそのとおりに受け止めてはならない面があるのです。「そんなことはない。自分は神の子、仏の子だ」「自分には自分自身を治す治癒力があるのだ」ということを、強く念じなければなりません。「自分は自分の体を治せるのだ」と、自分に暗示をかけてください。自分の体は、これまで自分がつくってきたのです。意識して、あるいは無意識に、つくってきたものなのです。その体が病気になったのであれば、どこかでうまくいかなくなったわけですから、今度は、「変えていこう」という意識を強く持って、それを思い続けることです。そうしたら変わってきます。もちろん、人間は、いつか必ず死ぬことになっているので、死ぬこと自体は避けられません。しかし、人生の大事な時期に死なないようにすることは可能です。例えば、仕事の面で大事なとき、家族にとって大事なときなどに、病気で死なないようにして、上手に生き延びることはできるのです。道を開くものは、あなた自身の精進と信仰心です。自分の心をクラッと変えて、「このままでは自分は駄目だ。病気を治さなければいけない。そのためには精進と信仰が必要だ」と思うことです。天上界には「治癒の力」「治癒の光」というものがあります。そういう光は、信仰心を持って素直に精進している人のところに降り注ぎます。はっきり言えば、学校の先生のように、少しは「えこひいき」があるのです。“かわいい子”は、やはり助けたくなるものなのです。神様も忙しいので、かわいくない子であれば、放っておくことがあります。自業自得と見た場合には、“冷たい”態度をとり、その人が死んだあとに魂を救おうとします。それは、しかたがないことです。一方、“かわいい子”であれば、神様は助けようと考えます。どうか、神様、仏様から見て、“かわいい子”になってください。神様、仏様に愛されるような生き方をすることです。それには、心の持ち方と日頃の精進が大事です。すなわち、「素直でありなさい。人を愛しなさい。他の人に優しくしなさい」ということです」

医療改革 へ

「仏法真理」へ戻る