愛の実践

 晩年に認知症になったからといって、その人生が間違っていたわけではないし、天上界に還れないわけではない。

 脳が傷んで、うまく体を動かすことができない状態になっているだけで、魂のほうは正常である。

 本人にとっては、今が不自由なだけに、あの世に還ったときの幸福感は、そうとう強いものになる。

 介護をしている家族のほうは大変だが、これに耐えることも愛の実践です。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『心と体のほんとうの関係。』(幸福の科学出版)で以下のように説かれました。

「認知症になったからといって、天上界に行けないということはありません。たぶん、脳のなかに傷んできた部分があり、魂の思いが正常に体に伝えられず、うまく体を動かすことができない状態になっているのだと思います。(中略)私の父は八十二歳で亡くなりましたが、脳の一部に腫瘍ができたため、亡くなる七カ月前ぐらいから、やや認識が不自由になった時期がありました。しかし、亡くなったときには、霊となって一日か二日のうちに俳句をつくり、私のもとへ霊的なメッセージを送ってきたのです。その俳句は、『善川三朗の霊言──帰天説法①』(大川隆法著 宗教法人幸福の科学刊)に載せてあります。このように、肉体を動かす“機械”としての脳が傷み、正常に働かなくなったとしても、魂のほうは別に何ともないのですね。正常であり、元のままなのです。父の霊的な姿は、死後、一カ月か二カ月すると、六十五歳ぐらいの姿まで若返っていきましたし、そのあとは、さらに四十代まで若返っていくという感じで、どんどん変わっていきました。(中略)年配の人を介護している人は、その人から、「足が動かない。体が寝たきりになる」「ガンで苦しい。痛い」「頭がぼけて、思いが伝えられない」「わしの頭は正常なのに、周囲の人たちがわしを気違い扱いする」など、いろいろ言われることでしょう。そのような不自由な思いを、晩年は、みな、経験します。しかし、あの世へ還ったときには、蝉が羽化するように、「うわあ、なんて身軽な感じなのだろう。なんて幸福なのだろう」というような気持ちを味わえるのですね。天国に行く人は、死んでから幸福感が出ます。地獄に行く人は違いますが、天国に行く人は幸福感を味わえるのです。いま認知症であれば、家族に迷惑がかかりますし、本人も苦しいと思います。本人は心のなかで周りの人にお詫びをしていると思います。その苦しみの期間中は家族も少し大変かもしれませんが、本人にとっては、来世、あの世に行ったときの幸福感が、そうとう強いものになるでしょう。(中略)介護をしている家族のほうには、何らかのお返しの義務のようなものがあるのかもしれませんし、「やがては自分も介護される日が来る」ということかもしれませんが、それも愛の実践です。耐えることも愛の実践なのです。また、ある人が、晩年にアルツハイマーにかかったからといって、その人の人生が間違っていたわけではないのです。人間の肉体は、“機械”としての面では、いろいろなところが弱ってくるので、頭脳の機能などがうまく働かなくなることはあります。しかし、そのようになったときでも、“霊的には完璧”です。したがって、「周りが言っている悪口などが本人の魂に聞こえている可能性は高い」と思い、口を慎んだほうがよいのです」