病気になるメカニズム

 「逃げ場」をつくるために病気になろうとする想念が体の弱いところに病気をつくります。

 「信じる力によって病気が治る」ということは、それほど不思議なことではありません。人々は、「病気を治す力」はなかなか持てませんが、「病気をつくる力」なら、ほとんどの人が持っています。ガンを治す力は持てなくても、ガンをつくる力は、ほぼ全員が持っているのです。

 無理をしたり、不養生をしたり、ものすごく感情を乱して破壊的な生き方をしたりすれば、おそらくガンができるはずです。

 「体のなかにガン細胞をつくり出す」ということは、本当は難しいことです。そういう悪い方向のことならできるのですが、「ガンをなくす」という、良い方向については、なかなかできないわけです。

病気をつくることはできるのに、治せないというのはおかしなことです。

 病気を治せないのは、本当は、「病気を治す気がない」ということなのです。病気になると、自分の欲求不満や失望感、できないことの言い訳ができるわけです。要するに、「病気になれば許される」ということです。

 

病気になるには「理由」がある

 体の調子が悪くなり、病気になったときには、「自分の逃げ場をつくっていないか。病気に逃げ込む必要が自分にはあったのではないか」ということを、一度チェックしてみることが大事です。

 表面意識では、自分が病気を求めていることが分からないのですが、病気ができていく過程を第三者の目で客観的に見ると、やはり、何らかの逃げ場を欲していることが分かります。

 自分が不本意な生き方をしていたり、うまくいっていなかったり、挫折したりしている理由を説明するために、病気を必要としているのです。

 それから、勤勉で、休みを取れないタイプの人も、自分で病気をつくることがあります。

 どうしても休むことができないタイプの人、自分が休みを取ることを許せないタイプの人は、病気にでもならないと休めません。

 そのため、体のほうが病気をつくり、「休みなさい」ということを教えてくれるわけです。

 潜在意識が、実は休みを欲していて、それで病気ができてくることもあるのです。

 したがって、自分の病気を客観的に眺めてみて、「なぜ、自分はこんな病気になったのだろうか」ということを考えてみる必要があります。

 

病気を起こす想念が、「体の弱いところ」を決壊させる

 それは、ちょうど、川が氾濫するときに、堤防の弱いところが決壊するのと同じです。

 川の水が増水すると、堤防の薄いところや低いところなど、弱い部分が決壊して水が流れ出しますが、それと同じように、病気を起こす想念が出てくると、体の弱いところを探して、そこを“決壊”させようとするのです。

 そのようにして、弱いところから病気が出てくるわけですが、その部分を治しても、また次の弱い部分に出てきたりするので、川の氾濫を止める場合と同様に、根本原因のところを直していく必要があります。