『旧約聖書』創世記6章 ノアの世代

 創世記6章は内容的には1~8節までの洪水物語の導入部分と、9節以下の洪水物語の本体の部分とに分かれます。

1節

 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、

2節

 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。

3節

 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。

4節

 そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。

5節

 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。

6節

 主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、

7節

 「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。

8節

 しかし、ノアは主の前に恵みを得た。

9節

 ノアの系図は次のとおりである。ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。

10節

 ノアはセム、ハム、ヤペテの三人の子を生んだ。

11節

 時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。

12節

 神が地を見られると、それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからである。

13節

 そこで神はノアに言われた、「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう。

14節

 あなたは、いとすぎの木で箱舟を造り、箱舟の中にへやを設け、アスファルトでそのうちそとを塗りなさい。

15節

 その造り方は次のとおりである。すなわち箱舟の長さは三百キュビト、幅は五十キュビト、高さは三十キュビトとし、

16節

 箱舟に屋根を造り、上へ一キュビトにそれを仕上げ、また箱舟の戸口をその横に設けて、一階と二階と三階のある箱舟を造りなさい。

17節

 わたしは地の上に洪水を送って、命の息のある肉なるものを、みな天の下から滅ぼし去る。地にあるものは、みな死に絶えるであろう。

18節

 ただし、わたしはあなたと契約を結ぼう。あなたは子らと、妻と、子らの妻たちと共に箱舟にはいりなさい。

19節

 またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二つずつを箱舟に入れて、あなたと共にその命を保たせなさい。それらは雄と雌とでなければならない。

20節

 すなわち、鳥はその種類にしたがい獣はその種類にしたがい、また地のすべての這うものも、その種類にしたがって、それぞれ二つずつ、あなたのところに入れて、命を保たせなさい。

21節

 また、すべての食物となるものをとって、あなたのところにたくわえ、あなたとこれらのものとの食物としなさい」。

22節

 ノアはすべて神の命じられたようにした。

人の創造を後悔される神

 ノアの物語は、「洪水物語」とも呼ばれます。人間を創造されたことを悔やまれた神さま。しかし、ひとりの人ノアのゆえに、滅ぼしつくされることなく復興された人類の歴史の物語であります。  

 さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。これは、神の子らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり、大昔の名高い英雄たちであった。(同6章1-4節)  

 天地創造、そして人間の創造。アダムとエバがエデンの園から追放された後も、人間と神様との間は私どもが考える以上に近かったのです。神話のような物語が語られています。神様に加えて、神の子らと呼ばれるものたちがいたというのです。しかし、神の子らと、「子ら」と言う場合、それは神話でよくあるように、遺伝的に、生物学的に、神から生まれた子らと言う意味ではなく、それは神の世界に属するものたちという意味であると言われます。しかも彼らは人間の娘たちが美しいのを見て、自分の妻を人間の娘の中から選んだというのです。こうして生まれた者、ネフェリムと呼ばれる人たちがいた。英雄と呼ばれるにふさわしい力を持った人たちであったというのです。3節の神様の言葉は裁きの言葉であると言われます。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。」「永久に強まるべきではない」という言葉です。そのような人間、神の力を宿した人間は、神様の創造の業からはずれる存在なのです。「人は肉にすぎない」、滅び行く、限りある存在である。その肉にすぐない人間に神の力がとどまることは許されないのです。神様はここで人間の寿命に120年という年限を切られたのです。

 主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」しかし、ノアは主の好意を得た。(同5-8節)  

 これまでは、アダムとエバの不従順、失楽園、カインとアベルの物語のように、罪がますます広がっていることは述べられていましたが、そこでは事実だけが語られて、それがどうだ、どう考えるべきかという判断はなされてこなかったのです。しかし、ここではじめて神様ご自身の口を通してそのことが聞かれるのです。確かに神様が創造された地上では「人の悪が増し」ている。「常に悪いことばかりを心に思い計っている。」「心に思い計っている」とは何か、悪い計画を立てているという感じですが、それはもともとの言葉では「心が形作るもの」だと言います。人間の心が形作るものはすべて悪いのだとおっしゃっているのです。神様は後悔されました。そして心を痛められました。そして決心されるのです。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」

 1章、2章で語られた天地創造の物語、これをなかったことにしようとおっしゃるのです。

 「しかし、ノアは主の好意を得た。」  

 そしてノアの物語が始まるのです。ノアに対して、神様が声をおかけになります。

 その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。ノアには三人の息子、セム、ハム、ヤフェトが生まれた。  この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。(同9-13節)  

 ノアは「神に従う無垢な人」、本来的には「義である、完全な人」であったのです。そして「ノアは神と共に歩んだ。」。エノクとノアについてこう記され、この後の人はそうは表現されなくなります。ノアには3人の息子、セム、ハム、ヤフェトが生まれました。  

 この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。(同11-13節)  

 「不法に満ちていた」とは「暴虐」に満ちていたとも訳されます。神様の目の前で、すべての生き物が堕落していたのです。神様は「終わり」を宣言します。ノアに対して、ただ宣言する。神様ご自身の決意を語るだけなのです。「すべての肉の終わりがわたしの前に来ている。」すべての生き物を滅ぼすと。神様はノアに命令するだけなのです。木から箱船を造りなさいと。  

 あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。次のようにしてそれを造りなさい。箱舟の長さを三百アンマ、幅を五十アンマ、高さを三十アンマにし、箱舟に明かり取りを造り、上から一アンマにして、それを仕上げなさい。箱舟の側面には戸口を造りなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい。見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。わたしはあなたと契約を立てる。あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。また、すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。それぞれの鳥、それぞれの家畜、それぞれの地を這うものが、二つずつあなたのところへ来て、生き延びるようにしなさい。更に、食べられる物はすべてあなたのところに集め、あなたと彼らの食糧としなさい。」ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。(同14-22節)  

 その命令は詳細にわたるものです。「ゴフェルの木」から小部屋がたくさんある箱船を造れ。内側にも外側にもタールをぬって防水しなさい。長さは300アンマ、幅50アンマ、高さ30アンマ。1アンマは約45センチと言いますから。つまり長さ135メートル、幅22.5メートル。高さ13.5メートル。窓と入り口のある3階建ての船を造りなさいと言うのです。ここではっきりと洪水の事が語られます。すべての生き物が洪水によって命を失う事になる。しかし、ただノアとその家族。そしてすべての生き物から ふたつづつ 船に乗せて生き延べるようにしなさいと言われるのです。

 そして、ノアはすべて神が命じられたとおりに果たした。(同22節)

 さて、人が地上に増えはじめ彼らに娘達が生まれたとき、神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中からすきなものを選んで、自分達の妻とした。そこで主は私の霊は永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は120年にしようと仰せられた。神の子らが人の娘達のところに入り、彼らにこどもができたころ、また地上にもネフィリムがいた。これらは昔の勇士であり、名のあるものたちであった。

 ここに出てくるのは、人の娘そして神の子ら、またその人の娘と神の子らとのこどもである、ネフィリムです。まず、人の娘ですが、アダムとエバから多くの息子と娘が生まれたことが書かれてあります。さらに、カインからも多くの息子と娘が出たはずです。そして、セツからの子孫からも出ていた。一人一人の、寿命というのは非常に長かったわけです。その間に子供達を産むというのは、何回も行われたわけであって、それによって人口が急激に増加したわけです。「そこで地上で人が増えはじめ」と書かれています。この娘達に、神の子らが自分達の妻にした、とあります。聖書では、天使たちのことを「神の子」と呼ぶことがよくあります。たとえば、ヨブ記1章6節にこのように書かれてあります。「ある日、神の子らが、主の前に来て立ったとき、サタンもきてその前に来てその中にいた。」つまり、ここに出てくる神の子ら、というのは、天使たちが人の姿をとり、娘たちと異常な性的関係をもったことが、記されているわけです。

 私たちは、天使というと霊であることを知っていますが、この霊が人の姿をととって現れるということがおこります。例えば、アブラハムに現れた3人の御使い、これもアブラハムが人と思ってもてなしました。ヘブル人の手紙にも、旅人達をもてなしなさい。もしかしたら天使をもてなしているかもしれないのですから。このように、人の姿をとって天使たちが現れ、そして、この人の娘達と異常な性的関係を結んだのです。その結果として、ネフィリム(巨人)が生まれてしまいました。

 サタンは、まず人間に対して攻撃をしかけました。そして、神様と人間との関係を攻撃し打ち壊したのです。そして、神様は産めよ、増えよ、地に満ちよと言われた祝福の御計画をこのように根底から壊そうとしたのです。人類を壊してしまおうとしたのです。そこで先ほどから3章の15節にでてくる女の子孫との間にという前に、おまえと女との間に敵意をと書かれてあります。ここで敵意が置かれてしまっています。神様は、3節「私の霊は、永久には人にはとどまらないであろう。人が肉にすぎないからだ。それで、人の齢は120年にしよう。」と仰せられました。この120年というのは、そのときから120年後にさばきがあるということです。

 5節、主は地上に人の悪が増大しその心に図ることが、いつも悪い事だけに傾くのをごらんになった。それで、主は地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛めた。そして主は仰せられた。私が創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜や這うもの、空の鳥にいたるまで私はこれらを造った事を残念に思うからだ。」

 神が非常によかったと宣言された創造物、被造物は無残な姿に変わってしまいました。そこで、神は自分の創造のやりなおしをされようとしています。その前に今まで生きているものを滅ぼさなければなりません。

 しかし、ノアは主の心にかなった。これは、「しかしノアは主の恵みにかなっていた」と訳することができます。これは聖書に出てくる、最初の「恵み」ということばです。私たちが救われるのは、神の一方的な働きかけによるのです。このことを「恵み」といいますが、恵みは、「受けるに価しないものを受ける」ことを意味します。受けるに価しない神の祝福を受けるのが神の恵みです。ノアは、アダムの子孫であり他の人々と同じ罪を持つ人ですが、神の救いのみ手を握った人でした。

 ノアは正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤペテを生んだ。知は、神の前に堕落し、知は、暴虐で満ちていた。神は知をご覧になると、それは堕落していた。すべての肉なるものが地上でその道を乱していたからである。

 ノアは、主の恵みによって正しく生きたから主の心にかなったのではなく、主の『恵みにかなったから正しく生きるようになったのです。ですから、ノアは、その信仰によって正しい者とされました。そして、ノアの三人の息子達も父親の監督のもとにいたので、暴虐に満ちた時代の中で敬虔な生活を送る事ができました。

 このノアの信仰が13節以降に大きくあらわれてきます。まず、信仰は神の声から始まります。「そこで、神はノアに仰せられた。『すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに暴虐に満ちているからだ。それで今私は、彼らを地とともに滅ぼそうとしている』」神はノアに警告を与えられています。「あなたは自分のためにゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋をつくり、うちと外とをヤニで塗りなさい。それを次のようにしてつくりなさい。箱舟の長さは300キュピト(約132メートル)。その幅は50キュピト(約22メートル)。その高さは30キュピト(約13メートル)。

 この箱舟の形は、流体力学によると非常に安定していて、転覆することがほとんど不可能であることがわかります。ここに「ヤニ」が出てきますが、このヘブル語は「おおわれる」とか「贖う」という言葉と同じです。ここに初めて「贖い」の言葉が出てきます。ノアとその家族たちは、この贖いによって水による神のさばきから救い出されるのです。

 箱舟に天窓を造り、上部から1キュピト以内にそれを仕上げなさい。光と空気が入ってくるための窓です。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。これは、動物が出入りすることができるためです。「私は今、いのちの息あるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上の大水、大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない。」 こうして、神はノアとその家族が生き残るための箱舟の造り方を、細部に渡って示してくださいました。

 しかし、私は、あなたと契約を結ぼう。これば、聖書に出てくる最初の「契約」という言葉です。契約は、人に対する神の命令とその約束によって成り立っています。最初の神の命令は、14節に出てきた「箱舟を作りなさい。」というものでした。

 あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻と一緒に箱舟にはいりなさい。

 次の命令は、家族とともに箱舟にはいることです。生き残るにはしごく当たり前のことですが、家族全員が大洪水が起こるというノアの言葉を信じなければならないのです。一見簡単なようで大きな決断なのです。

 また、すべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟に連れてはいり、あなたといっしょに生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。また各種類の鳥、各種類の動物、各種類の地を はう すべてのうち、それぞれ二匹ずつが生き残るために、あなたのところに来なければならない。

 神は、ノアとその家族だけでなく、各種類の動物も生き残るようにしようとされています。ノアは、すべて神が命じられたとおりに行った。信仰は神の御声から始まりましたが、その御声を聞くことによって終わります。ただ聞くことでなく、神に信頼し、神に従う姿勢をもって聞くことが信仰の定義です。ノアはこの信仰によって正しい人と認められました。

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