『旧約聖書』創世記第12条 アブラハムの召命

1節

その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

2節

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

3節

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。

 この約束は、とてつもなく大きな約束です。神が当初アダムに与えられた祝福を、彼個人を通して全世界にいきわたらせるというものです。実は、これは今現在に至るまで続いている約束であり、またこれから成就する約束でもあり、まだ完成していないものです。この約束が実現するのに、一つだけの条件があります。それは、「わたしが示す地へ行きなさい。」です。アブラハムは、この呼びかけに応えて旅を始めました。ですから、その後に続く約束はすべて神が無条件に与えてくださいます。これが、神が私たちに与えておられる約束の性質です。

 神の約束の一つは、「わたしはあなたを大いなる国民」とあります。バベルの塔によって、人々は偶像礼拝を行なうようになり、また言葉がばらばらになり、民族と国民に分かれ出ました。そこで、神は、まったく新たにご自分の呼びかけに応えて、ご自分を信じる国民をその中に一つ造り出そうとされているのです。他の異邦人が野生種のオリーブの木であれば、イスラエルは神によって培養された栽培種のオリーブの木です(ローマ11章)。

 次の約束は「あなたを祝福する」です。これは、アブラハム個人の生涯に成就していきます。 そして、次に、「あなたの名を大いなるものとしよう。」シヌアルの地で塔を建てていた人々

は、自分たちの力で自分の名を上げようとしていました(第11章4節)。

3節a

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。

 この原則は、アブラハム個人の生活に見ることができますが、さらにアブラハムの子孫であるイスラエル民族に続きます。エジプトの パロ がヘブル人の男の子をナイル川に投げ込みましたが、パロとその軍隊は紅海の中で溺れ死にました。ヘブル人の男の子を生かしておいた助産婦は神に祝福されました。ヨシュアの時代、イスラエル人を偵察にエリコに行かせましたが、彼らをかばったラハブはエリコの破壊を免れ、イスラエル共同体の中に入り、そしてラハブ自身がイエス・キリストの先祖となるのです。

 そして今も、その原則は続いています。イスラエル、またユダヤ人を呪った国や人は、その呪いと等しい災いを受けています。イスラエルを滅ぼそうとする動きの背後には必ず悪魔がいます。イスラエルがいなくなれば、神の選びによる救いの計画は台無しになるからです。それゆえに、この民を守るために神は、「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。」と言われたのです。

3節b

地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。

 これがアブラハムが神に召された最終的な目的です。バベルの塔によって散っていった民族の中に新しい神の民を創設し、彼らによって他の異邦の民が、元来アダムに与え、ノアにも約束されていた祝福を受け継ぐことができるようにされました。

 「聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、『あなたによってすべての国民が祝福される。』と前もって福音を告げたのです。信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。

4節

アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカラン(ハラン)を出たときは、75歳であった。

 これが信仰の姿です。信仰は、「主を信じて、その信頼のゆえに神に頼りながらついていく」ことです。ノアも箱舟について主から語られた時に、「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行なった。(第6章22節)」とあります。

 そして、もう一人、甥のロトの姿が出てきています。「ロトも彼といっしょに出かけた」とあります。ここに、とても大事なアブラハムとの違いがあります。アブラハムは神の声を自分自身で聞いて、それで応答して旅に出かけたのですが、ロトは、あくまでもアブラハムおじさんと一緒に出かけたということです。旅に出るという同じ行動を取っているのですが、アブラハムは信仰の応答として、ロトは周囲の変化に応答しているという違いがありました。

 これが後で、二人の人生に大きな違いをもたらします。最終的には、ロトは二人娘以外のすべてのものを失い、その二人娘とも近親相姦によって子孫を残すことになります。そして、アブラハムはとてつもない祝福で祝福されます。

5節

アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、カラン(ハラン)で加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地にはいった。

 カナンの地は、現在のイスラエル国がある地域です。北はレバノン、北東にはシリア、東は死海とヨルダン、そして南はエジプトに囲まれている、地中海沿いに南北に細長い土地です。

6節

アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。

 おそらく、アブラハムは、シリア方面から南下し、ヨルダン川に流れるヤボク川の渓谷を使って、ヨルダンの高地から下り、そしてヨルダン川を越えてそのまま西に向かったと思われます。「シェケム」は地理的に約束の地の真ん中にあります。後にヨシュアがここにあるゲリジム山とエバル山のところで、イスラエルに対する神の祝福と呪いを宣言させ、また、後にはイエス様がサマリヤの女にここで会います。

 当時は、ここに書いてあるとおり「カナン人」が住んでいました。そして、「モレの樫の木」とありますが、この場所でカナン人は偶像礼拝を行なっていました。アブラハムは、異教徒が住んでいる真ん中に来て、異教の慣わしが満ちているところにやってきました。けれども、彼はその慣わしを行なうことは決してしませんでした。

7節

そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。

 主が、アブラハムがウルの町で、そしてハランの地でお語りになった次に、再び現れてくださいました。ここに信仰の原則を見ることができます。神は、私たちにすでに語られていることに対して応答している時に、次の一歩を見せてくださるということです。アブラハムに対する神のご計画を、「わたしが示す地に行きなさい」という命令に従った後に、さらに見せてくださいました。

 そして、主が与えられた啓示は、「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」というものです。アブラハムに子孫が与えられます。これは単なるイスラエルの子孫が多くなるということだけでなく、アダムとエバに与えられた神の約束である「女の子孫」のこと、つまりメシヤのことを指します。

 そして、「この地を与える」と主は言われます。つまり、イスラエルの民がこの地を所有すること、また、イエス・キリストご自身がイスラエルの地を支配されることを意味しています。確かに、これまでイスラエル人がこの地を所有していたことはありますが、すべての地ではありませんでした。これは、キリストが再び地上に来られた時に完成します。

8節

彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。

 さらに南下しました。ベテルとアイはシェケムのさらに南にあります。そこで、再び彼は主に礼拝を捧げています。セツの子孫がそうであったように、アブラハムも主の御名によって祈りました。

9節

それから、アブラムはなおも進んで、ネゲブのほうへと旅を続けた。

 ネゲブはイスラエル南部にある砂漠地帯です。彼は遊牧民として、そこに住むのはさほど苦ではなかったでしょう。彼は、約束の地の北から南まで歩き、主に与えられた土地を踏みしめました。

10節

さて、この地にはききんがあったので、アブラムはエジプトのほうにしばらく滞在するために、下って行った。この地のききんは激しかったからである。

 エジプトはさらに南にあります。ネゲブの南はシナイ半島であり、それを横切るとエジプトがあります。アブラハムはカナンの地に飢饉が襲ったので、エジプトに下りました。エジプトは砂漠の中にありますが、ナイル川のおかげで緑があり、肥沃な土地でした。その豊かさによってエジプトは大きな国になっていました。

 飢饉だからエジプトに行く、というのは人間的に考えれば当たり前のことです。家族を食べさせなければいけません。けれども、神の目からはこれは大きな失敗でした。神が、「この地をあなたに与える。」とカナンの地を与えられていたのに、エジプトに行って助けを得ようとしたからです。 

 しかし、アブラハムは、その信仰の試みに対して失敗しました。エジプトに下りました。確かに物質的な助けは得られます。けれども、霊的に大変なことが起こります 

11節

彼はエジプトに近づき、そこにはいろうとするとき、妻のサライに言った。「聞いておくれ。あなたが見目麗しい女だということを私は知っている。

12節

エジプト人は、あなたを見るようになると、この女は彼の妻だと言って、私を殺すが、あなたは生かしておくだろう。

13節

どうか、私の妹だと言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのびるだろう。

 アブラハムは、とんでもないことを妻サラにお願いしています。アブラハムは、サラが自分の妻だといえば、「じゃあこの男を殺してしまおう。そしてこの女を妻にしよう。」とエジプト人が言うだろうことを予測して、彼女に「妹」だと言っておくれと頼んでいるのです。サラは確かに腹違いの姉妹です。けれども、この状況下においては嘘です。

14節

アブラムがエジプトにはいって行くと、エジプト人は、その女が非常に美しいのを見た。

15節

パロの高官たちが彼女を見て、パロに彼女を推賞したので、彼女はパロの宮廷に召し入れられた。

 サラは、この時65歳でした。アブラハムより10歳年下です。当時は寿命が長かったので、それだけ若かったとは思いますが、かなりの美人だったようです。パロが彼女を自分のハーレムの中に入れました。

16節

パロは彼女のために、アブラムによくしてやり、それでアブラムは羊の群れ、牛の群れ、ろば、それに男女の奴隷、雌ろば、らくだ を所有するようになった。

 いわゆる結納金です。サラの父はすでに死んでいるようですから、半兄弟であるアブラハムがその結納金を受け取ったのです。このように、世の富は妥協すればすぐに手に入るかもしれません。けれども、これは後で痛手となるのです。

 まず13章で、ロトがこの富に魅惑されてしまいました。そして16章では、ここにいる女奴隷の一人ハガイによって、アブラハムは神の約束されていない子イシュマエルを生みました。富によってかえって痛々しい思いをしなければならなかったのです。

17節

しかし、主はアブラムの妻サライのことで、パロと、その家をひどい災害で痛めつけた。

 痛めつけられたのはアブラハムではなく、パロの家のほうでした。アブラハムが嘘をついて罪を犯したのですから、彼が罰を受けるべきですが、神はアブラハムを祝福すると約束されたゆえ、彼を罰することをされなかったのです。むしろ、彼の祝福が失われることのないために、パロの家を災害で痛めつけました。おそらく、パロがサラの寝床に入ることのないように、サラの胎を守るために、パロやその家の男どもにひどい病を与えたのではないかと思われます。痛くて、それで女と寝るどころではなかったではないかと思われます。

 アブラハムが行なったことは、単なる嘘というものではありません。神がアブラハムの子種によって、そしてサラの胎によって約束のキリストをもたらすと決められていたからです。それを、他の男の、しかも異邦人の子種が入ってしまうことによって、この神のご計画が台無しになってしまうという大きな危機でした。それで神はパロを呪われました。パロは意図的ではなかったにしろ、12章3節にある、「あなたをのろう者をわたしはのろう。」という神の言葉通りのことを行なっていました。神はこのようにして私たちを守ってくださいます。

18節

そこでパロはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたは私にいったい何ということをしたのか。なぜ彼女があなたの妻であることを、告げなかったのか。

19節

なぜ彼女があなたの妹だと言ったのか。だから、私は彼女を私の妻として召し入れていた。しかし、さあ今、あなたの妻を連れて行きなさい。

 まことの神を知らない不信者の人から、このように叱られるのは本当に不名誉なことです。本来なら、信仰者が不信者に正しい神のことを示さなければなりません。

20節

パロはアブラムについて部下に命じた。彼らは彼を、彼の妻と、彼のすべての所有物とともに送り出した。

 普通ならパロはアブラハムを当然のごとく殺していたでしょうが、彼はアブラハムには神がおられるという恐れがありました。それで、彼らが早く自分たちから去ってくれるようにと、分け与えた財産共々、エジプトから出してしまいました。

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