貧乏神

 あの世には、ほかの人を病気にさせたり、事故に遭わせたりして、人々を苦しめることを職業にしている霊がいる。そういう霊たちの一つとして、経済的不幸をもたらす「貧乏神」と言われる霊が現実に存在する。

 その正体は、たいていは生前自分で事業経営をし、会社が倒産して首吊りなどで自殺したり、一家が離散して人生が目茶苦茶になり、非業の最期を遂げたりした人たちである。

 貧乏神が取り憑くと、憑かれた会社は潰れたりするし、地縛霊になっていて、「そこで事業を行うと必ず潰れる」「その家を借りて商売をすると必ず潰れる」という場合もある。

 

貧乏神の正体

 大抵の場合、事業に失敗して倒産、自殺して悲業の死をとげた方。その貧乏神が地縛霊になり、土地や家にとり憑いている場合があり、その土地や建物に住んだ人が同じこと(倒産したり・・・)を繰り返すことがある。

 「波長同通の法則」が成り立つ。知らず知らず同通してることがほとんど。その源流として、自分が大人になるまでの環境で、ご両親が経済的に苦労したりして貧しかったりするとそれが美談になっている。 そういうすり込みが入っていると、無意識に同じことを繰り返す。貧乏を美化してはいけない。人生において、誰を尊敬するかっていうのは一番大事なこと。富を肯定する思想を持っていなければ、富を引き寄せることはできない。 富の本質とは、より多くの人々の役に立つ、より多くの人々から感謝されるような仕事をすること。 お金がたいして入ってないということは、世の中の役に立っていないということです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『繁栄思考』で次のように説かれました。

「貧乏神は現実にいます。私は、「世の中には悪魔や悪霊が存在する」という言い方をしていますが、あの世には、ほかの人を病気にさせたり、事故に遭わせたりして、人々を苦しめることを職業にしている霊が現実にいるのです。それは、この世に自分が生きていたときに不幸になった人です。そういう人が、死んで、あの世の霊存在になったとき、自分は幸福になれなくても、ほかの人を不幸にすることによって、気分がすっきりするというか、「ざまを見ろ」という気持ちになるのです。自分の幸福は願わないけれども、人の不幸を量産することで、自分の不幸が薄らぐような気がする。人が不幸になる姿を数多く見ると、何となく幸福になったような気になる。そういう仮想現実のなかに生きられる霊がいて、こういう霊が、実際に暗躍しています。そして、そういう霊たちの一つとして、経済的不幸をもたらす、貧乏神と言われる存在がいるのです。そういう貧乏神の正体は何であるかというと、たいていは、生前、自分で事業経営をし、会社が倒産して、首吊りなどで自殺したり、一家が離散して人生が目茶苦茶になり、非業の最期を遂げたりした人たちです。こういう人たちが、いわゆる貧乏神と化しているのです。これが取り憑くと、憑かれた会社が潰れたりします。つまり、貧乏神が、生前の知り合いなどに取り憑くと、その人の会社も、貧乏神の会社と同じように潰れたりするのです。そういうパターンはよくあります。このように、貧乏神が知り合い筋のところに行く場合もあれば、貧乏神が、ある土地に関係していて、「そこで事業を行うと必ず潰れる」「その家を借りて商売をすると必ず潰れる」という場合もあります。「事業が何代も続けて潰れる。工場をやったら潰れ、お店をやっても潰れる」という場所があります。風水か何かの話のように聞こえるかもしれませんが、貧乏神が地縛霊になっている所は現実にあるので、気をつけないといけないのです。」

 

日本は貧乏神に取り憑かれている?

「国が貧乏神に取り憑かれる場合もあります。今の日本がそうであり、日本国は貧乏神に取り憑かれている状態です」

 ではどうしたら、日本から「貧乏神」を追い出すことができるのでしょうか。大川隆法総裁は、『繁栄思考』のなかで以下のように語っています。

「国のトップが国民全体をズズズズーッと引き下げていこうとしているので、幸福の科学が下から光を当てて照らしているわけですが、下から照らすのは大変です。下から光を当て、『熱い』と言わせて追い出すのに、少し時間がかかっているのです。その貧乏神(国のトップ)を支持する人も多いため、どうしようもありません」

 貧乏神も、支持者がいなければ簡単に追い出すことができますが、支持者がいるために追い出せない。私たち国民のマインドも変えなくてはならないということです。

 そのカギが、サプライサイド経済学の「インセンティブを高め、労働生産性を高める」ことにあるのではないでしょうか。これを言い換えれば、「幸福の総量を増やし、与える側の人生を送れるようになる」ということです。

 現在の日本政府は、働き方改革と称してなるべく働かないことを奨励しているようですが、これではますます「奪う側」の人が増えてしまいます。貧乏神に取り憑かれる要因です。

 人間は、本来与えられるより与えることに喜びを見出すように創られています。「魂は本質において生産的であり創造的」なのです。サプライサイド経済学とは、生産的で創造的という魂の側面に着目した経済学だと言える。

 国家は、一人ひとりの創造性を邪魔しないような税制を組む必要があります。それがラッファー氏の提唱する フラットタックス です。また、国民の側も、大人になるまでに「奪う側」から「与える側」になることに喜びを見出し、貧乏神に取り憑かれないマインドを身に着けることが求められているのです。

 

貧乏神に憑かれると成功しない方向の判断をする

 疫病神は病気やその他諸々の悪いものを引き起こす総称。貧乏神は主として経済的なことに関わる。取り憑かれると次々とやられる。

 (土地など)何かの縁で憑かれてそうなる場合もある。事業経営は基本的に判断。判断は突き詰めると二者択一にまでいく。どっちが正しいと思うか。判断の積み重ねが経営者にある。社運をかけた判断が1年に1回ぐらいあるが、小さいレベルの判断はもっとある。判断の積み重ねが実績になって出てくる。

 貧乏神が取り憑くと、経済的に事業が成功しない方向に判断していく。始めてはいけない事業をやったり、使っていけない人を使ったり、海外に工場をつくるときも戦争が勃発する場所につくったり、これは売れると思って製造ラインをつくったら売れなくなったり、引きどきが分からないこともある。

 銀行も貧乏神に憑かれたら不良債権をたくさん出す。銀行の株価が下がりすぎている。銀行の資産が少ない。「株の値段」×「株の発行数」が銀行の値段である。不良資産を出したくなかったら、資金を貸さないようにしていく。(そうなると)復興が遅れるし、投資が鈍ってくる。銀行が貧乏神を取り除いていかないといけない。

 

「発展・繁栄は善である」という価値観を受け入れよ

 政府系の機関に金儲けに弱いタイプが座っているのが貧乏神に取り憑かれている理由です。取り憑かれている人は左翼運動をやっていた人たちである。国家破壊主義者たち。わがままな不良みたいな人たちで、親に反抗して大人になったような人たちです。どうか富をいい方向で使える人に(国のトップに)なってほしい。国がもっと貧乏になる可能性が高いとみられる。

 左翼運動もそうだし、いま環境運動やCO2削減の主張に変わったり、エコだと称して「生き物を守れ」という運動になっているが、人間の生活を圧迫していく方向でしょう。判断において「発展・繁栄は善だ」と基調として思っている人が判断していくと良い方向に判断できる。潜在的に「発展・繁栄は悪だ」と思っている人はお金を儲けられないし、会社や国が傾く。

 「発展・繁栄は善である。発展・繁栄して世のため人のためになることはいいことなのだ」という価値観を受け入れると、貧乏神が離れていく。「世間が悪い」「親が悪い」「学歴が悪い」「景気が悪い」と考えていると貧乏神が寄ってくる。「就職に失敗したから」と言っても、いろんな場所においてそれぞれの成功がある。

 あまり起きた現実に支配されないで、その中で自分で何ができるかを考えて、発展・繁栄からの光明化を考えること。そういう人には貧乏神は憑かない。

 さらに言うと、勤勉の美徳が大切。「努力即幸福」という気持ちを持っていると、貧乏神を寄せ付けない。努力できること自体幸福と思っていること。そうすればその反対のものになれるでしょう。

 

 二宮尊徳は、資本主義の権化であり、「一生懸命、勉強すると、お金も儲かるし、事業にも成功する」という考え方をして、勉強と金儲けを結びつけた人である。

 子供たちにも企業家精神を身につけさせることが非常に大事であって、これからの学校教育にとって、この二宮尊徳精神は非常に大事である。

 子供たちに事業が成功するような考え方を身につけさせたら、学校は本当に大きな貢献をしていることになるので、政府が税金を使って学校関係に投資をしても、それは実によいことである。

 大川隆法総裁は、『繁栄思考』で次のように説かれました。

「「貧乏神のささやきを受けている」と思ったら、それを聞き入れては相成りません。特に、今は教育関係者にも貧乏神が取り憑いていることが多いので、その人たちに教わると、教わったほうも貧乏になっていきます。その人たちは、そういう間違った教育を、一生懸命、やっているのです。やはり、子供たちにも企業家精神を身につけさせることが非常に大事です。しかし、先生たちが貧乏神教育を身につけていると、そういう先生に教わった人たちは、みな貧乏になっていく可能性が非常に高いのです。これでは駄目です。二宮尊徳像は、昔は、ほとんどの小学校に立っていて、私の通った小学校にもありました。二宮尊徳という人は、実は、いわゆる日教組教育と戦う性質を持っている人なのです。彼は資本主義の権化であり、「一生懸命、勉強すると、そのあと、お金も儲かるし、事業にも成功する」という考え方をして、勉強と金儲けを結びつけた人なのです。これからの学校教育にとって、この二宮尊徳精神は非常に大事です。子供たちに勉強をさせ、事業が成功するような考え方を身につけさせたら、学校は本当に大きな貢献をしていることになるので、政府が税金を使って学校関係に投資をしても、それは実によいことだと私は思います。しかし、学校に税金を投入しても、子供たちが授業を一生懸命に受けたところ、貧乏になったり、税金を払えない会社や倒産するような会社をつくったりするようでは意味がありません。そういう人を大量につくられたら、困るのです。出世したり、収入や財産が増えたりすることを、「悪だ」と教えられたら、豊かになりようがありません。あるいは、社長になったり、大企業家になったり、資本家になったりすることを、「悪だ」と教えられたら、そういう人に、なりようがないではありませんか。「社長になったら地獄に堕ちるぞ」と言われたら、社長にはなれません。「平社員のままで置いておいてください」と言うしかないのです。もし、「平社員は、みな天国へ行く。社長や重役は、みな地獄へ行く」という教えを説かれたら、地獄へ行くのは怖いので、偉くなりたい人は誰もいなくなります。そういう考え方をするのではなく、やはり、より多くの人たちに、世間のお役に立ってもらわなくてはなりません。会社的に見ても、社員をより多く雇い、その人たちに給料を払うことができて、多くの人に人生の生きがいを与えることのできる人が必要です。「この会社に勤めてよかった。仕事にやりがいがあり、生きがいがあった。会社が発展し、世の中のためになって、とてもうれしかった。よい人生を送れた」と思い、感謝する社員が数多く出てくる会社にすることができたら、その人たちの地位が上がり、重役や社長になっていくことは、よいことなのです。そういう方向に行かなくてはなりません。そうなっていくように、学校教育の段階から、企業家精神を養っていかなければならないのです。」

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