カジノ法

 カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法が、2018年7月20日成立した。

 刑法の賭博開張罪にあたるカジノを合法とし、カジノや大型ホテルなどが一体となった統合型リゾート(IR)をつくるというもの。

 IRの施設数は当面全国3ヵ所までとする。ギャンブル依存症の対策として、日本人客の入場回数は週3日、月10日までに限るほか、1日あたり6000円の入場料を取るという。

 「カジノ法」について、賛成の理由として最も大きい点は経済効果である。低迷している経済を刺激してくれるのではないかとの期待がある。建設需要や雇用創出、外国人観光客などが増えることで地域振興にも寄与するという。ギャンブル依存症が増加したり、暴力団などの反社会的勢力が立ち入るなど、治安が悪化する危険性はないかなどの理由から反対の声もあった。慎重派の意見は、本当に経済効果があるのか、民間のカジノ運営業者に公営ギャンブルと同じような公益性が認められるのかというものでした。私自身、法律成立は反対でしたが・・・

 なぜ政府は賭博を禁じているのか。最高裁判例では次のような主旨で説明している。

 「勤労などの正当な理由ではなく、単なる偶然によって金品を得ようとするゲームのような行為は、国民に怠惰・浪費をさせるといった悪弊を生み、憲法で定められた『健康で文化的な社会』の前提になる勤労のよき習慣を害するだけではなく、ひどい場合は、暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し、国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらある」(最高裁判所昭和25年11月22日大法廷判決を分かりやすくしたもの)

 賭博は「人や社会に害を与える」というはっきりとした理由で禁止されている。それを「国がお墨付きを与えた」「政府の税収が増える」「カジノ事業者の利益の一部が公益事業に回される」という理由で解禁してしまうのは、筋が通っていない。いくら経済的なプラス面が強調されても、人や社会への悪影響がなくなるわけではないのですが。

 

目的がよければ手段は選ばなくてよい?

 安倍首相には、道徳的に多少問題があろうとも「政府がいろいろと口を挟まないと経済は活性化しない」などと考える共産主義的傾向がある。それが今回の法律にも現れている。

 幸福の科学大川隆法総裁は、法話「政治の論点について」において安倍首相の思想的側面から分析し、以下のように述べられた。

「政権としては、カジノ自体が目的というよりは、お金を使わせたいのだと思うのです」

「『国民がお金を使いさえすれば景気はよくなるのだ。ところが、預金を持っているのに、みな、なかなか使わない。これは、けしからん』ということで、何とかして引きずり出そうとしているわけです

 参考

 ちなみに、以前成立した「休眠預金活用法」に関しても、「『他人の懐のなかに手を突っ込んでお金を取る感じ』が、非常によく出ているのです。(中略)『いいことのために使うので構わない』という考え方なのでしょう。ただ、『結果や目的がよければ手段は選ばない』というような考え方をするのは、共産主義的な考え方なのですと評している。

 安倍首相は、「携帯電話料金が高いのは、携帯端末を安く売っているからだ」と考え、「0円携帯禁止」や「電話料金の値下げ」を携帯電話会社に求めたり、また、「企業が儲けを溜め込んでいるから経済は活性化しないのだ」と考え、企業に賃上げを要求してきた。しかし、こうした安倍首相の努力とは裏腹に、景気は一向に上向かない。価格統制や企業への口出しといった共産主義的政策はいずれ行き詰まる。携帯電話の価格を下げたいなら、電波オークションなどで携帯電話会社の参入を自由化すればよいことであるし、企業にお金を使ってもらいたいなら、消費税の減税や規制緩和を進め、自然にお金を使いたくなるような環境を整える必要がある。

 

人間の尊厳としての「勤労」

 「カジノ法」の経済効果や公益性には疑問符がつく。通常、民間業者が賭博場を開き賭博で利益を得たら、「賭博開帳図利(とり)罪」に当たり、3ヵ月以上5年以下の懲役に処せられる。そこで賭博をした人も罪となり、処罰の対象とされる。それが国が認めたら許されるというのはおかしいのではないか? さらに、カジノが各地にできることで、日本人の美徳である「勤勉さ」に大きな影響を及ぼすことが懸念される。

 「働かずに一儲けしたい」。誰もが一度は頭をよぎる考えかもしれない。カジノが合法化されれば、政府は多くの国民を堕落させる道を意図せず開いてしまうのでは。経済効果や政府の収入増加を目的としたカジノ解禁が、国民から勤勉さを奪うことにつながるなら、それは本末転倒と言えないでしょうか。

 日本国憲法では国民の果たすべき義務として「勤労」を定めている。もちろん、憲法制定以前から、日本人は「勤労」を重んじる姿勢を持っており、諸外国が驚くほどの経済成長を遂げてきた。単に稼ぐための労働ではなく、仕事を通して社会に貢献する喜びは、人生の使命にも通じるものがある。

 各人の創造的な仕事によって、国民一人ひとりが国を形成し、さらなる発展へとつなげることこそ、「勤労」に隠された「徳」の部分ではないでしょうか。

 日本の犯罪率の低さと治安の良さは、それだけで多くの外国人にとっては魅力である。カジノを国内に建設することで外国人観光客を呼び込み、経済発展につなげようとする考え方は、日本の良さを十分に理解していないことに起因すると思われる。日本の持つ歴史や文化に着目し、新たな観光ビジネスを民間企業が主体となって展開して、経済発展していただきたい。たとえば、民泊などの規制緩和を進め、観光客を呼び込むべきです。民間企業の自由な経済活動を後押しすれば、結果として政府の収入も増えるからです。

 

ギャンブル依存症は自己責任か

 カジノについてはギャンブル依存症や多重債務者の増加、暴力団の関与による治安悪化など、各方面からデメリットも指摘されている。刹那的な楽しみや欲を満たすために客が集まる商売は、健全なサービス産業とは言えないのではないでしょうか。

 確かに、カジノ施設ができれば、経済効果の恩恵に浴する人も増え、税収も潤うでしょう。指摘される悪影響に関しては、パチンコなどと同じく各個人の自己責任と切り捨てることもできる。

 しかし、公の存在である政府や、道徳や倫理を教育する文科相が、国民の道徳や情操の部分に害を与える可能性のある賭博事業を推進することについては疑問です。

 政府が推進する事業は、「その事業がどのような社会的価値を生み出すか」という公益性の観点で是非を問う必要がある。

 先に「ギャンブル依存症対策法」が成立しているが、これは、カジノを含む統合型リゾート施設実施法(IR実施法)成立の前提となる法律です。

 この法律は、依存症を「本人や家族の日常生活に支障を生じさせ、多重債務、自殺、犯罪などの社会問題を生じさせる」と規定し、依存症患者のための医療提供体制の整備や社会復帰の支援を進める計画づくりを政府に義務付けたものです。

 刑法は賭博を禁じています。しかし、既に競馬や競輪など公営ギャンブルがあり、パチンコ店も全国各地にあります。現時点でも、日本国内で依存症経験が疑われる人が320万人にも上るとされます。IR実施法には、日本人のカジノへの入場回数を、週3回、月10回までに制限するなど、依存症対策を盛り込んでいますが、これでカジノが解禁されたら、ますます依存症患者が増える可能性があります。

 そもそも、カジノへの入場回数を制限しても、その人が別のギャンブルに依存する可能性は否定できません。刑法では、賭博場を開くことは「賭博開張図利罪」として禁止されています。カジノの設置の狙いとして、政府は投資の促進や外国人観光客の増加などによる経済成長が見込めることなどを挙げていますが、「とにかくお金を使えば経済成長する」と言っているかのようです。

 経済成長を実現するためには、「勤勉な国民が増える」方向を目指すべきです。創意工夫して働き、富を築いた人が重税を課せられることなく、きちんと報われるよう、減税政策を行うことが必要です。

 そもそも、依存症対策を何重にも張り巡らせてまで、カジノの解禁が必要なのでしょうか。依存症患者が増えれば、社会の混乱や衰退につながります。長い目で見て、経済が活性化するかは疑問がある。

 

 消費増税などの影響によって、現在、個人は消費をせず、企業は内部留保をため込むという傾向にあり、経済はさらに悪化している。国民や企業がお金を使わないのは、使わないなりの理由がある。それを解消することなしに使わせようとしても思い通りにはならない。たとえカジノができて雇用や消費が増えたとしても、それによって破産をする人やホームレスになる人があふれてしまっては逆効果です。そこには、国民を豊かにしようという気持ちが感じられない。お金を使わせようとする姿勢も、カジノ法も、株価などの経済指標を増やして自らの支持率を上げるためと見られても仕方がない。

 ほんとうに必要なのは、カジノのような単にお金を使わせようとするだけのもの(しかも本来は刑法で罪になるようなもの)ではなく、交通インフラや宇宙・航空産業などといった、人々の生活が便利に豊かになったり、産業ができたりといった未来の価値を生み出すようなものへ投資をすべきである。そして、消費減税を進めたほうが、多くの人の財布の紐が緩み、経済活性化の効果は高いはずですが。

 目先の利益にとらわれるのではなく、国民を豊かにするための政治をしていただきたい。

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