予言をどう捉えればよいかについて

 予言者ごとに予言内容のずれがあるのは、霊人の認識力の違いである。また、その性質上、予言にはどうしても時間的ずれが出る。

 予言が存在するのは事実なので多少は出版せざるを得ないが、この世だけにこだわってもいけないと考えられる。しかも、ノストラダムスの予言にもかかわらず、幸福の科学大川隆総裁は、未来は変えられると考えておられる。

 幸福の科学の熱心な救世運動によって、20世紀末、ノストラダムスの予言は変えられることとなったのです。

 大川隆法総裁は、著書『運命の発見 説法自由自在②』の中で以下のように説かれました。

「ノストラダムスであるとかエリヤであるとか、黙示録のヨハネであるとか何人かの予言を収録していますが、内容に多少ずれがあります。大筋においては変わらないのですが、ずれはあります。しかしそのずれを、私はずれのままで出すつもりでいます。この部分が、じつは認識力の違いなのです。認識力の違いの部分がずれになるのです。では、結果に責任が持てるかどうかですが、これは難しくて、そのときになってみないとわかりません。彼らの予想が人類の前途にある厳しい環境を予想しているので、それを世に問うことに対する悩みは深いのですが、ただ警告の書としてそういうものがひとつはあってもいいかもしれません。しかし、狼が来るぞ、こんな事が起きるぞ、と言ってまわるのが私たちの仕事ではありません。そういう環境が、環境としてもしあったとしても、そのなかでどういう心を持って生きていくか、そのように「この世とあの世を貫く幸福」を探究しているのが私たちであって、この世だけにこだわってもいけないという考え、このへんを大事にしたいと思っています。運命あるいは予言についての考え方自体も、ひとつの霊的な現象であることは事実なので、これも多少は出さざるをえないだろうと思います。ただそのときの問題点は、時間的な確定がひじょうに難しいということです。ある程度まではわかりますが、どうしてもずれが出ます。これはどうしようもありません。未来というものをどう見るか、これも認識の問題ですが、私の認識では、可変的な部分がだいぶあるように思います。変えられる部分がだいぶ残っているように思うのです。しかしノストラダムスの予言などを見ると、「運命はもう変えられない。だれも逃れることはできないのだ。」というふうに書いてありますね。彼の考えだから、それは変えられないのでしょう。高級霊であっても、ああいう予言専門でやっている人は「変えられない。」と言います。ただ救いとして、「自分は八次元領域にいるが、自分より高次の者が手直しをするときには、私の予言ははずれる。高次の者がこれを変えようとした場合にははずれるが、私の段階で認識するかぎり、未来は確定しており、動かない。」とはっきり言っています。結局、予言については、未来に関する見取り図があることは知っていてもいいでしょうが、ただ、まだまだ変えていける余地はあるのではないかと、私自身は感じています。」

「仏法真理」へ戻る