幸福の原理

 幸福の科学は、「正しき心の探究」を求めており、その具体化、実践編として、「幸福の原理」を唱導している。

 この「幸福の原理」は、「愛の原理」、「知の原理」、「反省の原理」、「発展の原理」の四つの原理に分かれている。

 この四つの原理を常に念頭に置いて、「正しき心の探究」に努めていれば、大きく道を踏み外すことなく、天上界には還れるし、光の天使になるための修行ができることになる。

 幸福の科学大川隆法総裁は、著書『幸福の法』の中で以下のように説かれました。

「かつて二千五百年前に、インドのゴータマ・シッダールタ、釈尊が説いた八正道は、現代人には難しくて、もう、はるか彼方のことと思われていよう。  そこで私は、現代人にふさわしい、分かりやすい新しい道を探した。そして、四つの柱から成り立っている現代的四正道である「幸福の原理」を説いた。第一原理「愛の原理」、第二原理「知の原理」、第三原理「反省の原理」、第四原理「発展の原理」というかたちで、新しい取り組み方を示したのだ。おそらく、この四本柱、四つの原理をマスターして生ききることができれば、あなたがたの未来は、今世においても、来世においても、充分、光り輝いたものになるであろう。「愛」という言葉は簡単ではあるが、本来の意味における「愛」、仏陀の説く「慈悲」という意味における「愛」を、いまの時代に再現することは、とても大変なことであると感じた。また、情報社会が限りなく発展する現代において、宗教として、あえて、知の原理を説いた。このなかには、もちろん、私の本来願っている「仏法真理」という意味合いが入っている。しかし、それ以外の、いわゆる一般的な知の世界の原理をも射程には収めている。限りなく広がっていく学問の世界、情報の世界をも、じっと見据えた原理である。この教えの現代性を、きっちりと見極めていただきたい。反省の原理は、「仏教やキリスト教が何を教えんとしたか」といった、宗教の根本原理に立ち戻る教えである。もっともっと奥を学びたい方には、他の書籍や、幸福の科学のなかでの研修をお勧めする。発展の原理には、「これが宗教の内容か」と驚かれる現代性、未来性がある。これこそ、当会の一つの特徴とも言える。しかも、単に未来原理とするのみではなく、ギリシャ的精神から逆照射して、人間の生きるべきユートピア建設への道を説いたのが、この発展の原理なのだ。これを説くことによって、「いま行き詰まり感のある仏教やキリスト教、イスラム教などの未来が、どのようにあるべきか」ということさえ、指し示していると考えてよい。」

 「四正道」のうち、「愛」と「反省」は、ある程度は習慣の問題であり、習慣として身につけてしまえば、それほど努力しなくてもできるようになる。そして、この愛や反省を深めるために、「知」と「発展」が大きく影響してくる。

 幸福の科学大川隆法総裁は、著書『ユートピア創造論』の中で以下のように説かれました。

「天使になるための条件として特にあげておきたいのは、幸福の科学の基本教義である「四正道」、すなわち「愛」「知」「反省」「発展」の四つをマスター(修得)することです。四正道はきわめて優れた教えであり、この四つをマスターすれば、たいていは天使になれるのです。ただ実際には、四つのうちのいくつかは、ある程度できていても、どれかが不得意であるということが多いと思います。  たとえば、発展が好きな人は、愛や反省が不得意であることも多いようです。愛が強い人は、知が弱かったりします。知が強い人は、愛が弱くなって冷たい人間になったり、反省ができなかったりします。反省が得意な人のなかには、発展が不得意という人もいます。

 このように、四つ全部をマスターすることはきわめてむずかしいのですが、この四つは受験の必須科目のようなものだと考えてください。受験にはいろいろな科目がありますが、圧倒的に点数の低い科目があると、他の科目で高得点をあげても、なかなか合格できません。どの科目も一定のレベルまでは持っていかないとならないのです。だれでも一つぐらいは得意科目があるでしょうが、何か一科目だけよくできても、合格することは難しいのです。あと一つか二つ、得意なものを増やし、いちばん苦手なものでも、最低ラインは確保できるようにしておかなければいけません。明確な不得意科目があってはだめなのです。ただ、多くの人にとって比較的マスターしやすのは、愛と反省だと思います。その意味では、この両科目を落としてしまうと、かなり厳しいものになる可能性があります。愛と反省はそう難しいものではなく、ある程度は習慣の問題です。習慣として身につけてしまえば、それほど努力しなくてもできるようになります。そして、よい習慣を身につけたならば、次に、愛や反省を深めるにはどうすべきかという課題が出てきます。ここで、知と発展が大きく影響してくるのです。  知の部分が未発達だと、愛といっても、非常に平板な、隣人を愛するという程度の簡単な愛で終わってしまいます。ところが、知の部分が高まると、その人の認識力が上がるので、人を愛するときにも、さまざまな階層やレベルの人を愛することが可能になってきます。また、知が高まれば、他人や自分を見る目が深くなるので、反省も深まるのです。つまり、反省に深みを与えるのが知の部分なのです。よく学んだ人ほど、間違いがよく分かるということです。  それから、発展の部分を押し上げていくと、結果的には愛になることもありますし、知になることもあります。」

 幸福の科学では、幸福の原理として「愛・知・反省・発展」の四正道を掲げているが、結局、すべては「愛」に戻ってくる。

 

 大川隆法総裁は、著書『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』の中で以下のように説かれました。

「「人を愛する」とは「与える愛」ということであり、すべてはこの一点に集中してきます。幸福の科学では、幸福の原理として「愛・知・反省・発展」の四正道を掲げていますが、すべては「愛」に集まってくるのです。何のために「知」があるのかといえば、より多くの人を愛するためです。より多くのことを知ると、より多くの人のために役立つ生き方ができるのです。知らなければ、知力が弱ければ、知識が少なければ、多くの人の役に立つことはできません。いろいろなことを学び、知ることによって、自分の活動範囲が広がり、他の人への影響も大きくなっていくのです。そのために、知が大事だと言っているのです。知は愛を支えるのです。「反省」についてはどうでしょうか。なにゆえに反省があるのでしょうか。自分は与える愛の実践をしているつもりであっても、ほんとうに仏の御心にかなう愛の実践になっているかどうか、検討してみる必要があります。よいことをしているつもりで、その実、曲がっていく人はいくらでもいます。愛を与えているつもりが、いつのまにか慈悲魔になって、相手をだめにしてしまう人もいれば、最初の純粋な心を忘れ、人から認められたくてやっているのに、「自分はこんなによいことをしている」と、一生懸命に自己を正当化している人もいます。このように、出発点は健全で純粋であっても、しだいに初心を忘れ曲がっていくのが凡人の姿です。だからこそ軌道修正が必要になり、反省があるのです。反省もまた愛のためにあるわけです。さらには「発展」の教えがあります。発展もまた愛のためにあるのです。愛がその力を強くしていくとき、愛が強く現われてくるとき、愛は多くの人のあいだに浸透していくはずです。「できるだけ多くの人の役に立ちたい」「できるだけ多くの人が笑顔と歓喜に満ちた姿となるようにしたい」と思うはずです。したがって、発展のなかにふくまれているのは、愛の拡大にほかなりません。発展は愛の拡大形式です。愛がさらに大きなものとなっていく過程、愛の理想が大きくなっていくことが発展なのです。四正道は難しいと思う人もいるかもしれませんが、結局、すべては愛に戻るのです。愛というものを、もっと強くし、もっと大きくし、もっと素晴らしいものにするために、知も反省も発展もあるのです。これを知らなくてはなりません。」

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