病気と霊的人生観

 「病気の苦しみから逃れたい」「死ねば苦しみがなくなる」という考えから自殺しても、あの世でも決して楽にはならないことを まず知る必要があります。

 「死ねば自分がなくなる」と思っている人は、あの世で霊になっても、自分は生きていると思い込みます。また、「死ねばだれでも天国に行って楽になれる」と思っている人は、生前の心の苦しみが死後も続くことを知って驚くことでしょう。そのため、病気のまま自殺すると、本人は病気を患っていると思い込んだまま、不成仏霊になってしまうのです。そして何年、何十年と地上をさまよい、その苦しみは何倍にも増すことになります。ですから、闘病生活に耐え、自分の人生の問題に向き合う勇気を持つことが大切です。

 「『肉体は常なるものではない。肉体に執着して、これが自分だと思っても、それは無常のものなのである』 これは簡単なようでありながら、結局、仏教の基本であり中心なのです」(大川隆法著『仏陀の証明』)

 病気や事故で肉体が壊れたり、傷んだりすることはあります。そうした肉体の不完全さを受け入れることが、生きる勇気の源泉となるのです。

 霊的人生観に立ったときに、病気は、自分自身の心や人生のあり方を振り返る材料になります。

 病気というものを、単に悪しき現象と見ずに、天が自分に与えてくれた反省の材料であり、目覚めへのきっかけと考えていただきたいのです。『病の時には反省せよ』をモットーに、考え直してみようではありませんか。

 苦しみのなかにこそ、魂を磨く砥石がある。「自分が苦しい」と思う中から、他の人びとへの愛を芽生えさせることができるかどうかが問われているといえるでしょう。

 病気を理由に自殺する人の大半は、家族と同居しており、本来支えになるはずの家族の存在を、逆に疎外感をもつなどして負担に感じているケースが少なくありません。

 家族が、こうした不幸な事態を防ぐにはどうすればよいのでしょうか。家族が互いにどれだけ関心を持つかに尽きます。顔色がよくないとか、食欲がないとか、ちょっとした変化にも言葉をかけ、話を聞くという、家族として当たり前のことが大切です。

 周りの人たちの普段からの関心や優しい言葉、そして、仏法真理があればこそ、病気の苦しみに負けずに生き抜くことができるといえるでしょう。

 心の法則には、「波長同通の法則」というものがあります。似たような心の波長を持つものはお互いに引きつけ合います。愚痴を出すと心に曇りができるため、悪霊が取り憑きやすくなるのです。いつも同じ傾向、つまり、マイナスの思いを出していると、さまざまなものが取り憑いてきます。人霊だけではなく、動物霊も含めて、さまざまな憑依霊が、その人の体に巻きついてくるので、その影響によって、いろいろな病気になりやすくなります。 さらに、もっと深いところまで入ってこられると、もっと難しい病気、珍しい病気がたくさん出てきます。リウマチや膠原病など、難病・奇病と言われるものが多発してくるのです。 そういう霊がいつも憑依しているような状態になると、「幽体」と言われる部分が影響を受け、変化し始めます。幽体が変化してくると、次は、だんだん肉体のほうに影響が出てきて、病気が現れ始めます。幽体は、肉体とそっくり同じ形をしており、内臓の部分まであるので、幽体の部分が病んでくると、体にも必ず症状が出てきます。悪霊が取り憑いて、しばらくすると、その部分に病変が出てくるわけです。 例えば、胃の辺りに取り憑かれると、胃に潰瘍ができたり、胃ガンができたりしやすくなるのです。したがって、悪例に取り憑かれる原因となる、心の曇りをつくらないようにしなければなりません。

 私たちは3000グラムぐあいの体で生まれてきますが、それから何十年かたつと、生まれたときに両親からもらったものは何一つなくなっています。肉体の本質は「流れる川」のようなものであり、細胞の一つひとつが全部入れ替わっています。骨も入れ替わっているのです。頭蓋骨もそうです。内臓も全部別のものになっています。生まれた時のままではないだけではなく、現時点においても変わりつつあります。1ヵ月前と現在とでは、私たちの体は違うものになっています。大部分が入れ替わっています。1年前と比べると、ほとんどの部分がまったく別のものになっています。毎日毎日、新しい細胞ができ、古い細胞が消えています。そうすると、「生まれつき体が弱い」「生まれつきの遺伝である」など、いろいろな言い方はありますが、「生まれたときの悪い状態である」ということは、「その状態の体を、自分がいつまでもつくり続けている」ということ以外の何ものでもないのです。

 では、その変わっていく体を、いかにして維持しているのでしょうか。実は、「自分とは、こういうものである」という、自分の心がその体をつくっているのです。自己イメージが自分の体をつくっている。心のなかに悪い想念や否定的な心を持って、「自分は病気だ。不幸だ。やがて死ぬ。多くの人の同情をうけて生きていくしかない」というようなことを、ずっと思っていると、これが現実のものになってきます。体には、それにオーバーラップして、「幽体」という、非常に物質界に近い霊体がまずあり、その奥に、さまざまな霊体が多重構造で存在しているのです。そして、心から発信されてきたものを、この幽体が受け止めています。 したがって、幽体のところに異変が起きると、その異変が肉体にも起きてきます。これが病気の根源なのです。病気は、ほとんど心のところから出てきているのです。もちろんこの逆もあります。「肉体の損傷により、逆に幽体のほうに痛みが生じ、幽体が痛むことによって霊体のほうに影響が出てくる」という悪循環もあります。仏教で言われている「色心不二」、つまり、「肉体と心は一体である」とは、このことを言うのです。基本はそういうことなのです。主人公は、あくまでも心のほうなので、主人公がつくろうと思う姿に沿って幽体の姿が決まり、その健康の度合によって肉体に病変が現れてきます。そうしてみると、私たちには大きな可能性が与えられたことになります。いま病気をしているかもしれません。あるいは、将来、病気をするかもしれませんし、さらには、過去からずっと病気であったかもしれませんが、「自分の体は自分がつくりつづけてきたものである。親からもらったままではない」ということを、知らなければならないのです。

「仏法真理」へ戻る