四正道

 「四正道」とは、幸福の科学の基本教義である「正しき心の探究」を具体化したものです。

 四つの道とは、「愛」「知」「反省」「発展」です。

 この四つの道が幸福になるための方法でもあります。

 「愛」とは「与える愛」です。「奪う愛」は不幸を生みますが、与える愛は幸福を生み出します。

 「知」とは、「知は力なり」と言うように、「知識」を得ることは幸福の基になります。「仏法真理を知ること」は「知」の中でもとても重要なものです。あの世の知識がないと、あの世に還ったときに困ってしまうからです。そのため、どうすれば、天国に戻れるか、どうすれば、地獄に行かないで済むか、ということを生きているうちに知る必要があります。

 「反省」をすることで、魂は成長することができます。そして、反省することで、過去の罪が軽くなり、または消すことができ、天国に行くこともできます。

 「発展」の教えとは、この世にユートピアを創りましょうという教えです。仏法真理を心の中のものだけとせずに、実際に社会を善くしていきましょう、それが多くの人への「愛」になるのです。

 このように、「愛」を広げるためには、どうしても「発展」が必要になってきます。「発展」のためには「反省」しなければなりません。反省するためには仏法真理知識やこの世の知識も必要です。「知」を深めるためには、人々の「愛」が必要です。なぜなら、知識は善にも悪にもなるため、不幸を生み出す原因にもなりかねないからです。

 このように、「愛」「知」「反省」「発展」の四つの道はそれぞれ関連しあい、循環する関係にあります。

 しかし、出発点はやはり「愛」であり、他の人々への愛なくば、「知」も「反省」も「発展」も不毛なものになってしまいます。

 幸福の科学大川隆法総裁は、著書『幸福の法』の中で以下のように説かれました。

「私は、この「正しき心の探究」の具体化として、「幸福の原理」を説きました。「正しき心の探究とは、どういうことか」という問いに対しては、「それは幸福の原理の探究なのだ」ということです。幸福の原理とは、「これを中心的に追究し、努力すれば、人は幸福になれる」という原理です。そして、この幸福の原理は、独立した原理ではなく、他の原理をなかに包摂した考え方なのです。そのなかの一番目が「愛の原理」、二番目が「知の原理」、三番目が「反省の原理」、四番目が「発展の原理」です。  もちろん、それ以外の原理についても私は話をしていますし、人間を幸福にする方法はたくさんあり、溢れてはいるのですが、幸福の原理を要約すれば、「愛」「知」「反省」「発展」の四つの原理になるのです。これを私は「現代的四正道」と呼んでいます。四正道(ししょうどう)と言ってもよいのですが、言葉の響きがよくないので、四正道(よんしょうどう)と言っています。 「この四つを守っていきましょう。この四つの原理を常に念頭に置いて、正しき心の探究に努めていれば、大きく道を踏み外すことなく、まず天上界には還れるでしょう。それから、光の天使になるための修行ができることになるでしょう」という趣旨で説いたのです。  したがって、当会の信者には、「仏性の探究」とも言うべき「正しき心の探究」をしつつ、具体的目標としては、幸福の原理である「愛・知・反省・発展」の四原理の探究を、日々、実践していただきたいのです。幸福の科学の基本的な教えは何かといえば、次のようなことになります。 「幸福の科学は、信者各自に対して、正しき心の探究を求めています。そして、正しき心の探究の具体化、実践編として、幸福の原理を唱導しています。その幸福の原理は四つの原理に分かれています。その四つとは、愛の原理、知の原理、反省の原理、発展の原理です。これを守れば、幸福の科学の信者としては合格です。これを忘れずに、いつも念頭に置いて、教学をし、反省や祈りをし、伝道活動等をし、あるいは、会社生活等、社会人としての生活をすれば、大きく外れることはないし、信者として、日々、精進していると言えるでしょう」  こういう組み立てをしたのです。」

「幸福の科学では、みなさまに「愛」と「知」と「反省」「発展」という四つの正しい道、「現代の四正道」をお教えしておりますが、(中略)この四正道の最初に出てくる「愛」という考えは、便宜的に最初に出てくるのではありません。重要度があって、必然的に最初に出てきているのです。私は「まず愛あれ」とみなさまにお教えしています。幸福の科学の教えは、非常に多岐にわたり、膨大な知識が必要である、知識の吸収が必要であると考えておられる方も多いでしょう。しかし、この四正道の順序をよく見ていただきたいのです。「まず愛あれ。愛ある人となれ。愛の溢れる人となれ」と、私は言っています。出発点の愛は、「与える愛」です。この出発点においては、難しいことを要求していません。幸福にならんとして集いきたったみなさまは、おそらくは何らかの愛を与えられんとして集いきたったみなさまでもあろうと思います。そのみなさまに、まず私は、「違う。そうではない。愛は与えるところから始まってゆくのだ」とお教えしています。もし、これから後の教えが難しいのならば、忘れていただいて結構です。そうした方は、自分の人生のなかで、この「愛」という言葉に出会い、「愛は与えるところに始まるのだ」ということ、この一点をつかみとって生きていただければ、それでも結構です。「愛を与えること」をまず知ることが、人間として、この地上でプラスの人生を生きるための出発点なのです。」(著書『信仰と愛』)