特殊相対性理論

 すべての運動は相対的なものであり、われわれは物体の運動について、それがある特定のもの(たとえば地球)に対してある速度をもっていると言えるにすぎない。われわれは地球上を動くし、地球はその軸を中心として自転し、さらに太陽の周りを公転している。太陽と太陽系は銀河系内で回っており、銀河系もまた他の銀河に対して動いている。(地球は秒速460mで自転し、秒速30kmで太陽を巡っている。最近の観測では、太陽系の宇宙黒体放射に対する速度は、秒速600kmキロメートルにも上る。)

 運動というものは、特定の何かに対する関係としての運動だけが問題となりうるのであり、宇宙のなかに静止した、絶対的な運動を測定するための基準というようなものを想定することはできない(絶対静止空間や絶対運動というようなものを扱うことができない)。また、光の速度はすべての観測者にとって秒速約30万kmと常に一定である。走っている車の中から鉄砲を撃てば、弾丸は車の走る速度と弾丸の発射速度とを合成した速度をもつであろうが、光はそうではない。観測者と光を発する物体とが互いに近づいたり離れたりしていても、光は光源の運動状態とは無関係な一つの定まった速さをもって進む。

 1905年に発表された「特殊相対性理論」は、重力の影響を考えない特殊な環境下において、「時間の進み方や空間の大きさは『絶対的』なものではなく、観測者の置かれた状況によって変わる『相対的』なものである」とする物理理論です。

 「特殊相対性理論」は、エーテルの存在を証明しようとした、マイケルトン・モーレーの実験の失敗から始まる。ニュートンの慣性の法則によれば、移動している電車の中で、ボールを投げると、電車の速度分速くなる。「地球は太陽の回りを30km/秒のスピードで移動している。光を地球の進行方向と垂直方向に当てた光の速度のズレがおこる。」との理論により、それを測定する装置を作って実験してみたが、うまくいかなかった。

 この失敗に、多くの学者は従来の法則と折り合いをつけようと様々な議論をぶつけ合った。しかし、アインシュタインは、「とにかく実験結果が違うのだから、物理学の法則自体を変えてしまえ」とした。

 ローレンツがどの慣性系でもマクスウェル方程式が変わらない変換(ローレンツ変換)を提唱したが、この変換の根拠が明らかではなかった。アインシュタインは、特殊相対性理論の構築にあたり、二つの原理を要請しました。

1 自然法則は全ての慣性系において同等である。

2 真空中において、光の速度は光源の速度に依らず一定である。

 すなわち、「相対性原理」「光速度不変の原理」です。

 

1 「相対性原理」

 「相対性原理」とは、「慣性系では、すべての物理法則が同じように起こる」という原理です。例えば、地面に立ってボールを上に向かって投げても、動いている電車の中でボールを上に向かって投げても、同じようにボールは手元に落ちてきます。これは、どちらの場合でもボールには同じ物理法則が働くからです。

 絶対静止空間は存在しない、エーテルも存在しないとした。ところが、マクスウェル方程式は、ガリレイ変換で形が大きく変わってしまう。つまり、ガリレイ変換は相対性原理と矛盾してしまう。このため、ガリレイ変換に代わる新たな変換を考える必要があった。

 

2 「光速度不変の原理」

  光速度は不変である

 「止まっている人から見ても、光速に近い速さで移動している人から見ても、光の速さは等しく秒速30万kmで進んでいる」という原理です。例えば、秒速20万kmで進む宇宙船で光を追いかけたとしても、宇宙船から見た光の速さは「30万-20万=秒速10万km」とはならず、止まっている人が見た場合と同じように、秒速30万kmで進むのです。不思議ですが、実験的に確認されている事実です。

 二つの物体に働く力はどれだけの速さで伝わるのでしょうか。瞬時に伝わるのか、それとも,ある程度の時間がかかって伝わるのか。前者を『遠隔作用』、後者を『近接作用』という。マクスウェルの電磁気学(マクスウェル方程式)では、電磁気力は光速で伝わるという事が分かった。光速は無限ではないので『近接作用』である。一方、ニュートンの万有引力の法則では、力は瞬時に伝わるので『遠隔作用』である。力の伝わる速さに最大値がある事と相対性原理を一緒に考えると、「全ての慣性系において、力の伝わる速さの最大値が同じ」という事になる。ニュートン力学において、ガリレイ変換では相対性原理を満たし、かつ、力の伝わる速さは無限大であった。では、日常生活 でガリレイ変換を用いて困らないのはなぜか。光速は非常に速いので、日常生活では「光速が無限に速い」と考えても計算結果が大きくずれないからである。

 光を真空中を進む粒子とし、その速度を全ての観測者にとって常に秒速30万kmとした。

 秒速1万kmの宇宙船から光を進行方向に照射したら秒速30万kmの光になるのがニュートンの考えである。秒速1万kmの状態から照射しても30万kmなのがアインシュタインの考え。それが「光速度不変の原理」である。「物理の法則は観測者がどんな状態にいても同じ方程式があてはまらないといけない」という立場で力学を書き換えた。

 仮に縦長の箱のような「光時計」というものがあるとします。これは底と蓋に鏡があり、その間を光が行き来することで時間を計る時計です。底の鏡には光源があり、そこから発射された光が蓋の鏡に届くまでが1秒です。

 光速に近い速さで移動する宇宙船内にいる人と、地上にいる人が、それぞれ光時計で1秒を計ると、「相対性原理」によってどちらも同じ物理現象が起こるので、底から蓋まで、1秒の時間が等しく経過します。

 しかし、地上で止まっている人から、移動している宇宙船内の光時計を見るとすると、底の光源から発射された光が蓋の鏡に到達するまでに、光時計を乗せた宇宙船ははるか長い距離を進んでいるため、光の軌跡は斜めに進むように見えるはずです。光時計の高さより、斜めに進んだ光の軌跡の方が明らかに長いことになります。しかし、「光速度不変の原理」によると、光の速さは地上と同じく秒速30万kmのため、地上の光時計が1秒経過していても、宇宙船内の光時計では光が蓋に達しておらず、1秒が経過していないことになるのです。つまり、地上の観測者から見ると、宇宙船内の時間は遅れていることになります。

 「光の速さで進む宇宙船に乗った人は、地球に戻ってきても年をとらない」ことを「ウラシマ効果」と言います。光の速さは1秒間に地球を7周半するので、宇宙船にとっては1秒でも、地球上にいる人間からしたら7.5日の時計が進んでいる。「時間が縮んで」いるのです。

 このように、時間は相対的なものだと考えたアインシュタインは、さらに、空間も時間とともに伸び縮みすること、光速に近づくほどに物の質量が増大することを加え、「特殊相対性理論」を示したのです。

 

 特殊相対性理論は、以上の二つの公理を出発点として、いくつかの方程式を導き出し、ニュートン力学では説明できなかった現象を説明しただけではなく、われわれの日常の経験に反するような、信じがたいいくつかの全く新しい予言を行ないました。そして、それらの理論が実験で証明されたのです。

1 二つのものがお互いに運動している場合には、一方からみた他方にあるすべてのものが、その運動の方向に縮小しているように見える

    式1 長さの公式

    L´= L×スクリーンショット (48)

 「式1」において、L’はAがBを測ったときのみかけの長さ、LはBの本来の長さ、vは相対速度で、cは光速である。AとBがお互いに速度vで動いている場合にAがBの長さを測ると、Bの長さが減っているように観測されるのである。BがAを測っても結果は同じである。そこでは相対速度が問題なのであって、離れていくか近づいていくかは問題ではない。相対速度がゼロ(v=0)のときは、見かけの長さは本来の長さに等しい(L’=L)が、vが光速cに近づいていくにつれ、見かけの長さL’の値は小さくなっていく。c が光速度(秒速30万)の2乗という非常に大きな数字であるため、短縮の効果(v2/c2の値)は、相対速度vが光速よりかなり遅い日常の運動では、観測できるような値にはならず、ある程度光速に近いときにのみ観測しうる結果が生じる。

 

2 速度が増すと質量が増加する。物体が観測者に対して動いているときには質量が大きくなり、その増加量は物体と観測者との相対速度による

    式2 質量の公式

     m´=    1    

        スクリーンショット (48)

 「式2」において、m’はAがBの質量を測って得る値、mはBの静止しているときの固有の質量、vは相対速度で、cは光速である。相対速度がゼロ(v=0)のときは、測定質量は静止質量に等しい(m’=m)が、vが光速cに近づいていくにつれて、質量m’の値は大きくなっていく。たとえば、原子核の周りを回る電子の速度は光速の約1/100であり、速度の変化によって観測できる程度の質量の変化が生じている。物体の質量はその速度とともに増加し、質量が増加すればエネルギーも増加する。質量の増加に伴うエネルギーの増加は、「E=mc2」の関係にある。

 速度には一定の限界があって、どんなものも光速度より早くは進めない。「式1」において、相対速度vが光速度cに限りなく近づけば、物体の長さL’はゼロになり、それは物体が消滅したことを意味し、「式2」においては、分母がゼロになり、質量m’が無限大になることを意味する。消滅した物体が無限の質量と無限のエネルギーをもつことになるのです。さらに、相対速度vが光速度cより大きくなれば、物体の長さL’は本来の長さLに虚数(負数の平方根)をかけたものになり、質量m’は本来の質量mを虚数で割ったものになる。そのような長さや質量はありえない。

 以上のことから、「光速こそが考えられる速さの限界である」ということである。いかなる物体も、光子より早く運動することはできない。

 

3 二人の観測者がお互いに一定の速度で動いている場合には、双方にとって相手の時間の経過が遅くなる

    式3 時間の公式

     t´=       

        スクリーンショット (48)

 「式3」において、t’はAがBの時計を読んだ場合の時間、tはAが自分の時計を読んだ場合の時間である。相対速度がゼロ(v=0)の場合は、両方の時計は同時間(t’=t)となる。速度が光速度cに比べて十分小さい間は、時間の遅れが問題とはならないが、相対速度が増加して光速度に近づいていくと、一方からみた他方の時間が遅れていくように見える。お互いに運動している二人の観測者にとって、時間は違った速さで流れるのである。日常の物体の場合には、時間の遅れが問題となるようなことはないが、電子のようなミクロの粒子の場合には、その速さが光速度に近い速さとなりうるので、この効果を考えることが必要になる。時間の遅れの理由は、光がある場所から他の場所へ進むのに一定の時間がかかるためである。光の速度が事実上無限大と考えられる極限の場合には、以上の効果は現われず、相対論は古典力学と等しくなる。

 観測者が物体をみるのは、物体からの光が観測者のところに届くことによってである。宇宙のすべてのできごと(たとえば超新星爆発)は、爆発の光が観測者に届くことによって観測される。相対的に動いてはいなくても、超新星との距離が違う複数の異なった位置にいる観測者は、それぞれ別の日や時刻に超新星爆発をみることになる。空間的に離れたできごとの時間の順序を知るためには、その間の距離と信号の速さを知る必要がある。一方、信号の速さを知るためには、距離と時間を知らなければならない。また、速度と時間が分かるならば、距離を計算することができる。つまり、距離と時間と速度の測定は循環するのです。こうして、空間的に離れたできごとの同時性は確認できないのであって、ただ定義できるだけである。宇宙に点々と散らばった場所において、同時性を考えることは無意味である。時間と空間とは観測者ごとに異なる相対的なものであり、離れた二点間では時間は同等ではない。したがって、一つのできごとを記述するためには、空間の三次元のほかに時間も指定しなければならない。相対論の方程式は、空間と時間の幾何学を記述しており、その解は宇宙の空間と時間の関係を数学的に記述する。時間を含んだ数学においては、時間は第4番目の次元のようになる。世界が四次元であるというのは、そのような意味においてである。時間と空間は時空と呼ばれる四次元を構成する。一方、人間は四次元を感覚的に知覚することができないから、そのような意味では、時間は空間と同じ物理的な次元ではないということもできる。

 

伸び縮みする「相対時間」

 19世紀に入ると、オーストリアの物理学者マッハが、宇宙のあらゆる物質がなくなったら、何の変化も起こらないので、時間そのものが存在しなくなる。よって、時間は絶対的なものではなく、物質との相対的な関係で存在するという概念、「相対時間」を主張しました。これがアルベルト・アインシュタインの相対性理論に大きな影響を与えます。

 アインシュタインは、特殊相対性理論で、「時間の進み方は、観測者同士のすれ違う速度(相対速度)が小さいうちは眼に見えた時間の差とはならないが、相対速度が亜速度(光速に近い速度)になってくると、眼に見えた時間の差が現れてくるので、どんな時でも一定ではなく、観測者によって異なる」と主張したのです。

 これは、「時間は観測者ごとに存在する」ということであり、また、それまでの物理理論では概念上切り離されていた時間と空間を結びつけて、時間と空間が一体となった「時空」という概念を作り、その「時空は観測者の運動状態によって、遅れたり歪んだりして変化する」という衝撃的な理論でした。

 「止まっている人から見ると、光速で動いている人の時計が示す時間は遅れる」ということです。

 光の速度は、「光速度不変の原理」によって、止まっている人から見ても、光速に近い宇宙船に乗っている人から見ても、同じ30万Km/秒で移動しています。仮に、底と蓋の上下に鏡のある光時計が、地上で止まっている人の側にも、宇宙船に乗っている人の側にも 1つづつあって、それぞれの光時計の底の光源の鏡から出た光が蓋の鏡に到達するまで、どちらも1秒かかるとします。
宇宙船に乗っている人が、宇宙船の中で時間を計ると、止まっている時と同じ1秒の時間が等しく経過します。これは、「相対性原理」によって、宇宙船もその中の時計も同じ速さで動いているので、止まっている時と同じ物理現象が起こることによります。

 一方、地上で止まっている人が、地上から光速に近いスピードで動いている宇宙船の時計を見ると、地上で止まっている光時計よりも、宇宙船は横方向に遥か長い距離を進んでいるので、地上の光時計で1秒が経過していても、宇宙船内の光時計は1秒が経過していないという現象が現れます。このことから、「止まっている人からみると、動いている人の時間は遅れる」ということが証明されます。

 「ウラシマ効果」という言葉があります。宇宙船に乗って光速に近い速度で宇宙旅行をして数年後に地球に戻ると、亜光速の宇宙旅行中は時間の進みが遅れるので、そこは遥か未来の地球だったという話です。

 この光速に近づくと、起こる時間の縮みに、時間だけではなく、物、あるいは、空間自体も縮み、その時、質量とエネルギーが増えるということを加えたのです。

 

時計のパラドックス

 動いている時計の進み方が遅れることがある。ロケットに積まれた時計は、ロケットの外に置かれた時計よりも進み方が遅くなる。ところが、相対性原理を考えると、特別な慣性系は存在しないはずである。つまり、ロケットの乗っている人から見たら、外に置かれた時計の方が速く動いているという事になり、ロケットの外に置かれた時計の方が進みが遅いのではないだろうかという訳である。この問題は時計のパラドックスと呼ばれている。

ロケットに乗っている人が外に置かれた時計を見ると、遅れているように見える

同時刻のパラドックス

 実際に時刻を測る時には、測定する人が時計を見なければならない。例えば、ロケットの先頭と最後尾に時計があったとして、両方の時計が同時に同じ時刻を指している事を知るには、どうすればよいでしょうか。

 先頭または最後尾に居る人が時計を見ると、時計から出た光を受けるまでの時間差が生じてしまう。二つの時計から等距離のところで時計を見ないと、同時とは言えない。この事は、一つの慣性系から別の慣性系の時計を見るときも同じである。

 ロケットの中央部に乗っている人には、光が同時に届かないのである。時間が相対的であるように、『同時』も相対的である。

 

 アインシュタインが相対性理論の発想をした当時、既に光の速度というのがある程度まで正確に分かっていたようで、非常に高速ではあるが、速度は無限ではないことは知られていたようです。今日で知られている光の速度は秒間約30万km(正確には299,792,458m/s)で、1秒間に地球を7周半する程の速度です。

 これを元に、アインシュタインはある思考実験を行いました。思考実験とは、実際に実験装置を使ったりするのではなく、頭の中で理論を組み立てて、イメージで結果を導き出す実験のことです。その思考実験の内容とは、いま手鏡を持って、手鏡に移っている自分の顔が、もし自分が光の速度と同じ速度で前に進んだ場合、鏡に自分の顔は映るのだろうか? というものでした。

 例えば、時速100kmで道を走っていた場合、同じ方向に後から同じく時速100kmで走っていた場合、追い抜くことは出来ないはずです。鏡に移る自分の顔も、光が鏡に当たって反射して見る事が出来るわけなので、光と同じ速度で動くと、鏡に光が追いつけずに、自分の顔が見えなくなるのでは? ということです。

 しかし、アインシュタインは、これを否定しました。光の速度で手鏡を持った自分が前に進んでいても、自分自身の顔は鏡に映るというわけです。これは常識的に考えると非常に奇妙です。時速100kmで走っている車を後から同じ速度で追いかけて、追い抜けると言っているようなものだからです。

しかし、アインシュタインはこのように考えました。光は、光の速度を持つものから見ても、静止しているものから見ても、秒速約30万kmで進むと。光の速度は、あらゆる観測者から常に一定の速度で進むというわけです。

 「それはおかしくないか どんな速度で動く人から見ても一定の速度で進んでるように見えるのならば、それぞれの観測者にとって光の位置と時間がずれるのでは?」と思われるでしょう。その通りです。我々の住むこの宇宙というのは、観測する時の速度によって位置と時間がずれるのです。具体的には、速く移動すると時間の流れが遅くなるのです。アインシュタインは、ニュートン力学の運動法則を元に、この理論を拡張する形で相対性理論へと発展させました。

 光の速度というのは、この宇宙において制限速度であり、あらゆるものはこれ以上速く動くことは出来ないということもわかりました。

しかし、この理論には大きな欠陥がありました。それは、光の速度に近い、非常に高速な状況でなければこの理論が適応できないこと、また、速度の変わるものにも適応できないことでした。

 であるから、非常に限られた特殊な条件化でしか使えない理論だったのです。特殊な条件化でのみ使える理論ということで、後に「特殊相対性理論」と呼ばれるようになったわけです。

 

 アインシュタインが特殊相対性理論を発表したのは1905年のことである。この年は「奇跡の年」として知られている。アインシュタインが ブラウン運動、光電効果、そして、特殊相対性理論という20世紀の物理学に大きな影響を与えることになる論文を相次いで発表した年です。ブラウン運動に関する一連の論文は、顕微鏡で観測される水中の花粉のランダムな運動が原子・分子の運動によって引き起こされるということを解き明かしたものです。原子の存在の証拠を示すとともに、後に確率過程と呼ばれることになる研究分野を切り開く礎となった。アインシュタインは、同じ1905年に自身の博士論文としてまとめている。光電効果の論文は、光がその振動数に比例したエネルギーを持った粒子であるという光量子仮説に基づいて、金属に光を当てると電子が飛び出す現象を説明したものである。これは、20世紀最大の物理革命の1つ、量子力学へと発展していく。アインシュタイン自身は、量子力学の考え方が気に入らず、その根本原理を覆すような仮想の実験(思考実験)を考案して、量子力学に挑戦を試みている。量子力学の成立に大きな寄与をしたマックス・ボルンにあてて、「神はサイコロを振らない」と書いたことは有名である。アインシュタインは、1921年のノーベル物理学賞を受賞しているが、その受賞理由は「理論物理学への貢献、特に光電効果の法則の発見」である。しかし、奇跡の年の研究成果として何と言っても有名なのは特殊相対性理論であろう。長さや時間が伸び縮みするといった不思議な現象の存在を示すこと、また、基本原理から理論的な推論によって積み上げられているその構造の美しさから、物理学者だけでなく広く一般にも知られている。

 ところで、アインシュタインのローレンツ変換の導出過程はローレンツやポアンカレと全く異なります。アインシュタインの解決法は、エーテルの存在も絶対静止系や絶対時間を捨てることでした。単純な二つの原理(「相対性原理」と「光速度不変の原理」)だけでローレンツ変換を導き、もはやエーテルも絶対空間も仮定せずに、ニュートン力学と電磁気学を整合性のあるものにしました。そのためにとった方法はニュートン力学の修正だったのです。しかし、電磁気学が内包する問題も抱えており、その問題をも解決するものでした。その問題とは、ファラデーの法則とローレンツ力の問題でした。電磁誘導は見る立場が変わると全く別の法則を適用しなければならないのに、同じ現象と結果を与えるというのは奇妙なことです。アインシュタインの特殊相対性理論の原論文には、このことが明確に書かれています。

 確かに、ローレンツやポアンカレは、特殊相対性理論に近いところに到達していました。しかし、ローレンツやポアンカレがマクスウェル方程式から相対性原理や光速度一定の結論を見いだしたことに対し、アインシュタインは全く逆のアプローチを取りました。電磁気学に依存しない、信じるに値する原理のみに基づいて、ローレンツ変換を導き、その上でさらに進んで、今まで深く考察されなかった 時間、質量、運動量、エネルギーといった力学概念までも見直し、ニュートン力学の修正をおこないました。これによって、電磁気学とニュートン力学の不整合が解消されたのです。また、それをマクスウェル方程式に適用することで、電磁誘導の問題も解決できたのです。

 

 特殊相対性理論においては、エーテルや絶対空間の否定です。しかし、それらの否定自体はアインシュタイン独自のアイデアではありません。ところが、光が波動であることを知りながら、光の粒子説(光量子仮説)を提案したのです。

 1905年、特殊相対性理論の元となる論文の提出と同年に、光量子仮説の論文を出していることからも、アインシュタインは本質を抉り出すためには、光が波動であるという常識を絶対視しない、並外れた発想ができることを示しています。1905年というのは物理学の歴史上、奇跡の年と呼ばれています。特殊相対性理論、光量子仮説、ブラウン運動の論文が出された年で、いずれもノーベル賞受賞級の論文だからです。その全てがアインシュタイン独自の簡単な仮説から展開されています。光量子仮説は光電効果と呼ばれる現象を理論的に説明したもので、量子力学の発端の一つとなりました。そして、発表から17年後の1922年に、仮説はコンプトンの実験によって正しさが裏付けられました。これによって、アインシュタインはノーベル賞を受賞しました。

 

双子のパラドックス

 特殊相対性理論の山場は『双子のパラドックス』である。このパラドックスは、時計のパラドックスをさらに拡張したものといえる。状況はロケットの中と外だが、もう少しひねりが加わっている。まず、地球に双子が居て、兄は地球に留まっている。地球は実際には太陽の周りを公転しているので 慣性系 とは言えないが、ここではじっとしているものと仮定する。一方、弟が地球にあるロケットに乗り宇宙へ行く。特殊相対性理論で扱える状況を考えるため、ロケットは瞬時に加速して一定の速度になり、遠くまで行くとする。このロケットは、例えば おおいぬ座 のシリウス(距離は約8.6光年)に到達したら、瞬時に方向を反転させて、地球に戻って来る。シリウスまでは光でも 8.6年かかるので、往復で 17年ほどかかる(実際は、ロケットは光より遅いので、もっと時間がかかる)。さて、このロケットが地球に戻ってきた時、兄と弟はどちらが若いのだろうか、それとも二人とも同じだけ歳を取っているのだろうか。この問題が『双子のパラドックス』である。時計のパラドックスを考えると、相手の時計の方が進み方が遅くなるので、地球に居る兄からロケットに居る弟の時計を見ることを考えると、弟の方が若いように見える。一方、ロケットに乗っている弟から地球にいる兄の時計を見ることを考えると、兄の方が若いように見える。どちらが歳を取ったかという問題については、特殊相対性理論の範囲で説明できる。兄は地球にずっと留まっている。こちらを慣性系 S とすると、兄は ct 軸上にずっといる事になる。弟はロケットに乗って旅立って行くのだが、弟のいる座標系は地球を出発して、途中で折り返して、そして地球に戻って来る間を考えると、一つの慣性系に留まっている訳ではないのである。

 実際には、出発や反転では加速度が生じており、しかもその加速度は無限ではないので、出発や反転に時間がかかる。特殊相対性理論では慣性系しか扱えないので、加速度が加わるような座標系を考えるには、一般相対性理論まで考えていかなければならない。

時間が伸び縮みする

 ところで、「アインシュタインの双子のパラドックス」では、双子の一方がロケットに乗って光速に近い速度で移動し1年後に地球に帰還したとすると、地球に残った兄弟は80歳になっていると予測される。あり得なさそうな話だが、1970年代に実施された原子時計を載せた飛行機を飛ばした実験で、実際に時間が遅くなることが確認されている。

 速度や大きな質量の側で時間が遅くなるという事実は、世界が仮想現実であることを示唆している。双子のパラドックスで、ロケットに乗った兄弟は1歳しか年を取っていない。なぜなら、全ては処理サイクルの遅れに過ぎないからである。

仮想現実は仮想時間の影響下にある。コンピューターの負荷が大きすぎると、動作が重くなる。

 

速く動くと時間の流れが遅くなる

 「速く動くと、時間の流れが遅くなる」ということを説明します。ここでも思考実験を行います。

 まず、光時計というものを想像してください。この時計は、上下に鏡があり、光子(光の最小単位のこと。光の粒)が1つ、この鏡の中を往復しています。この光子がある一定数鏡を往復する(つまり299,792,458メートル)と、1秒とカウントする時計です。この時計は静止している状態では、光子は上下にしか動きませんが、この光時計を横にスライドさせるとどうでしょうか。光子は、光時計の中を常に上下に動きますので、時計自体を横に動かすと、光子は、光時計の外から見れば、ジグザグに動いているように見えるはずです。
 時計を横に動かすと、動かす速度が速いほどに光子の描くジグザグの軌道は横に平らになっていき、その分光の移動距離が伸びるので、1秒間をカウントするまでの距離が長くなるのです。このため、速く進むものほど時間の流れが遅くなるのです。

 「光という特殊なものを使っているから起こる現象ではないか?」と思うかもしれません。では、同じように正確に時間を刻むカルティエの時計と光時計を隣り合わせにおいて、これを走る電車の中に置いたとします。この2つの時計は別々の時間を刻むでしょうか? 答えは「No」です。どちらの時計も同じ時間を刻みます。カルティエの時計でも、動けば時間は遅れるのです。

 

光の速度で宇宙を旅したとすると年をとるのが遅くなる?

 例えば、私たち二人が町ですれ違った瞬間を想像してみます。1人は右から、もう1人は左から。その時に、私があなたの時計を見ると遅れて見えるし、あなたが私の時計を見ると遅れている。つまり「絶対時間」が否定される。

 未来へのタイムトラベルは、光の速度を越す乗り物があれば、数学的においてのみ到達できる。しかし、それは、自分の時間が遅く進行しただけで、到達した主観的数学的未来世界は、物理的実在は現在である。数学の中でおこりうることと物理的実在は別のものである。

 過去へのタイムトラベルは、この瞬間の星の光が過去の光であるように観測可能なだけで、物理的実在として「行ける」というところまでは物理的証明はない。タイムトラベラーがまだ生まれてない過去に戻って、親を殺したら本人は生まれないでしょう。こうしたパラドックスを引き起こすので、否定的意見も非常に多い。

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