地獄の種類

 病気のときに高熱に浮かされて見る夢のなかでは、命を狙われて追いかけられたり、穴に落ちたり、事故に遭ったりすることがありますが、そうしたとき、実は地獄の世界を垣間見ているといいます。

 南極や北極のように寒くて暗い寒冷地獄や、昔話に出てくるような、木の葉っぱが全部カミソリになっていて体がズタズタに切り裂かれる刀葉林(とうようりん)の地獄だけでなく、現代人が赴く地獄は現代的な姿をしています。

 病院のベッドで点滴につながれ、何度も手術を繰り返され体を刻まれていく地獄や、学校の先生の姿をした鬼に何度も試験に落とされ、延々としごかれる地獄も存在します。

 非常に厳しい事実であるが、実際に地獄界は存在しており、心の波動に応じて、上段階から下段階までさまざまな段階がある。

 地獄は決して罪や罰のためだけにあるのではなく、それぞれの人が心の傾向性に合わせて赴く世界であって、地獄にいる人たちは、仏の心に反した思いと行いを現実に出して生きていたことに関して、深い反省を要求されている。

 人間の魂は転生輪廻というかたちで地上に生まれ変わってくるが、地獄界からは決して生まれ変わってくることはない。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『霊的世界のほんとうの話。』で以下のように説かれました。

「しかしながら、実際に地獄界は存在しています。それは非常に厳しい事実ですが、そういう世界が現にあるのです。地獄界は、地上世界に極めて近い世界だと思ってよいでしょう。地獄界にいる住人たちは、もちろん、肉体はすでになく、この世のものではありませんが、まだ地上への執着を非常に強く持っていて、どうしても魂として純化できないでいる人たちなのです。つまり、「この世界の人々は、まだまだ霊として十分に目覚めていない」と言ってよいでしょう。現に地獄にいる人たちの話を聞いてみても、自分が死んだことすら知らない人が大部分です。なかには、自分が死んだことを知っている人もいますが、「どのようにしたらよいのか。自分たちは、今、どこにいるのか。何をなせばよいのか。何が違っていたのか」ということを分からない人が大部分なのです。この地獄世界にも、心の波動に応じた、さまざまな段階があります。上段階から下段階までがあるのです。例えば、比較的上層の世界には、闘争や破壊を中心に生きた者たちが行く阿修羅地獄や、男女の道を誤った者たちが行く色情地獄などが存在しています。また、詐欺、殺人、傷害、強盗などを行った者たち、いわゆる犯罪人たちの行く世界がありますが、それも程度に応じて段階が違っています。地獄の最下層のほうには無間(むけん)地獄があり、そこには、思想的に、あるいは宗教的に人々を間違わせ、狂わせた人々が行っています。霊の世界は、殺人などの肉体的な間違いや物質関係での間違いよりも、「人の心を狂わせる」という罪を最大の罪としています。さらに、主として無間地獄を中心に発生した、魔界というものがあります。これは、地獄の魔王たち、サタンたちが住んでいる世界です。ただ、肝心なことは、「地獄は決して罪や罰のためだけにあるのではない」ということです。「地獄は、それぞれの人が心の傾向性に合わせて赴く世界である」という事実があります。すなわち、その人の心が粗雑な波動を出し、いわば重い沈殿物を有しているがために、どうしても上のほうに上がっていくことができずに、底のほうに沈んでいくのです。これが物理学的な理由ですが、これを道徳的に見るならば、「各人が、自分の良心に照らして、自分の生前の思いと行いを反省し、そして、自分自身が許せなくなると、地獄世界に行って、さらなる魂の修行をする」ということになるわけです。ここで、忘れてはならないポイントが一つあります。それは、「人間の魂は転生輪廻というかたちで地上に生まれ変わってくるが、地獄界からは決して生まれ変わってくることはない」という事実です。いずれにしても、地獄にいる人たちは、仏の心に反した思いと行いを現実に出して生きていたわけであり、その点に関して、深い反省を要求されているのだと言えましょう。」

 

等活地獄(とうかつじごく)

 地獄のいちばん浅いところにある、殺し合って体をバラバラにしたり、粉々にしたりする地獄です。

 等活地獄に堕ちた人は、赤鬼や青鬼のような獄卒に追いかけられて、頭を鉄杖(てつじょう)や鉄棒で叩きつぶされたり、刀で体を斬られたりして、地獄のなかで「死ぬ」のですが、どこからともなく涼風がふーっと吹いてくると、死んだ人がみんな、ふわっと生き返ります。

 「等活」とは文字どおり、「等しく活(生)きる」ということです。みんな等しく活(生)き返って、また殺し合いがはじまります。

等活地獄は「殺生の罪」(命を奪う罪)によって行く地獄です。人を殺めたりすることがどれほどの罪かということを教えるために、殺されては生き返るということをいつまでも繰り返します。

 

自殺者が行く地獄

 等活地獄によく似ているのが、自殺者が行く地獄です。自殺者のなかには、自分が死んだことも分からない人が大勢います。ビルから飛び降り自殺をした人であれば、死んでからもビルの屋上に上っては、何回も何回も飛び降りをしています。「自分はぐちゃぐちゃになって死んだ」と思ったのに、しばらくすると生き返るため、また屋上から飛び降りるのです。

 首吊り自殺をした人であれば、死んでからも、何度も何度も首を吊っています。それでも死ねないので、今度は地上に生きている人に取り憑いて、他人に首を吊らせるようなことをします。自殺者が行く地獄では、何度も何度も、死ぬ瞬間を繰り返し体験します。

 

無頼漢地獄(ぶらいかんじごく)

 ここはまだ浅い地獄で、日没後のような薄暗い世界です。無頼漢という字のごとく、やさぐれ者たちがいます。アル中、人間として無軌道な生活や破綻状態の生活をするような人など、家庭を省みない人たちです。この地獄は、肉体的なことに関する恐怖心―いつ自分の生命が奪われるかが分からないという恐怖が支配しており、「他人はみんな自分を害そうと思っている」「自分は死ぬんじゃないか。迫害されるんじゃないか」という恐怖心を持っていた人は、この世界で、怒りに燃えた人に殺される恐怖体験を繰り返します。

 『大川隆法霊言全集』第26巻では、室町時代に生きた女性・小桜姫の言葉で、この地獄の様子が語られています。

 近くには川が流れています。ちょっと悪臭のある川で、あまりいい気持ちはしません。

 それもそのはず、浅瀬には人間の死体が何体も沈んでおり、なかには片手だけ虚空に伸ばしている死体もあります。

 しかし、近付いてみると、この「死体だ」と思っていたものが、実はまだ水のなかでうごめいていることが分かりました。彼らはまだ生きているのです。

 そうこうしているうちに、川の上流のほうから、ワーッという声が上がりました。見ると、20人ぐらいの人々が、2人の男女を追い掛けて、こちらに来ます。どうやら、橋のたもとの所で2人とも捕まり、荒縄で橋のたもとに縛り付けられてしまったようです。男も女も2人とも、擦り切れて泥まみれになった着物を一枚着たきりです。男の額の傷からは血が滴(したた)り落ちています。そのとき、雷音のような声がとどろきました。追っ手のなかで、いちばん大きな男です。身長は、優に3メートルはあります。また、その腕の太いこと、小桜の太腿を2本合わせたぐらいあります。かがり火に照らし出された男のその顔は、話に聞く赤鬼そっくりです。ないのは角ぐらいで、口からは確かに牙(きば)とおぼしきものが生えております。この大男の号令で、川岸で5人の男どもが刀を研ぎはじめました。大きな青竜刀(せいりゅうとう)のような刀です。川でジャブジャブと刀を洗いながら、砥石で刀を研ぐのです。シャリン、シャリンという、とても嫌な金属音が、冷え冷えとした空気を通して伝わってきます。

 そのかわいそうな男女は、赤鬼の奴隷のように、こき使われていたのですが、とうとう2人で逃げ出して、追い掛けてきた彼らに捕まってしまったのです。

 それから、2人が青竜刀で切り刻まれて、川のなかに、死体のごとく投げ込まれたシーンは、ご想像に任せるとしましょう。

 この男女は、江戸時代のころ、村の掟(おきて)に背(そむ)いて駆け落ちし、結局は心中してしまった男女だったそうです。

 彼ら自身は、実際は、村人に追われて殺されたわけではありませんが、「追い掛けられて、村人に殺されるのではないか」という恐怖心でいっぱいだったために、その恐怖心が死後の世界でも続いており、こうしてまた、人殺しの好きな連中に捕まっているということでした。

 

餓鬼地獄(がきじごく 餓鬼道)

 現代人が非常に行きやすい地獄の一つに、「餓鬼地獄」があります。

 骸骨のように手や足、顔が痩せ細り、おなかだけがポコッと出ている姿の人が大勢いるところです。

 この地獄の人たちは、とにかく欲しくて欲しくてしかたがない気持ちでいっぱいです。「何かを自分に与えてほしい」という気持ちの表れで食べ物を欲しがりますが、いつまでも満たされることはありません。

 おなかを空かせて岩山を這い上がり、やっと見つけたおいしそうな食べ物をいざ口に入れようとした瞬間にガスになってボッと燃え上がってしまったり、喉の渇きを我慢しながら砂漠を這い回り、やっとオアシスにたどり着いて水をガバガバッと飲もうとすると、その水が蒸発してなくなってしまったりします。

 さらに、もっと気性が荒くなってくると、同じ餓鬼地獄に堕ちた他の地獄霊を食べてしまう人もいます。しかし、あの世では、実際には肉体はないので、「食べた」と思った相手がまたポコッと現れてきます。逃げられたと思って、もう一回、食べにかかっても同じで、いつまでたってもおなかは満腹になりません。

 「他人からもらいたい」「人のものをパッと取っていきたい。奪いたい」という気持ちのつよかった人は、死後、このようになります。

 「甘い汁を吸えるような話があったら、ガボッと噛みついて、自分のものにする」というような気持ちがあるかどうか。いつも満たされない気持ちで心が占められていないかどうか。そのような思いでいるならば、死後、餓鬼地獄に行くことになります。

 

色情地獄(しきじょうじごく 血の池地獄)

 阿修羅地獄の近くにある「色情地獄」は、男女関係において著しく間違った生き方をした人が行くところです。ここは有名な「血の池地獄」というところでもあり、男女の絡みを永遠に行っているのですが、その姿は非常に見苦しく、ぬかるんだ田んぼの泥沼のなかで、ミミズがたくさんかたまって戯れている姿に似ています。そこを「最高の世界だ」と思って生きている人たちが大勢いるのです。

 浮気、不倫、三角関係や不特定多数との肉体関係などの複雑な関係をつくると、お互いに嫉妬心にあおられて心は地獄になります。ここも現代人が行きやすい地獄の一つで、男女の関係で道を踏み外す傾向が非常に強かった人が赴く世界です。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『永遠の法』で以下のように説かれました。

「色情地獄においては、血の池のなかで人間がのたうちまわっています。また、餓鬼地獄においては、昔の飢饉のときに死んでいった農民たちのような、骨と皮ばかりの姿で、「食べ物が食べたい、食べたい」と言って苦しんでいる人たちがたくさんいます。それから、畜生道というところが現実にあります。そこでは人間はもはや人間の姿をしていないのです。体が馬で顔が人聞、体が牛で顔が人間、体が豚で顔が人間 こうしたものが現実に存在するのです。また、大蛇となって地獄の地面をはっているものもいます。こうしたものたちは、なぜ自分がこのような姿になったのかということが分からずにいます。それは彼らが霊の本質を知らないからです。霊の世界は、思ったことが実現する世界なのです。肉体を持っていたとき、その心が透き通しで、何もかも見通されてしまったならば、恥ずかしくて、とても人前には出られないような生き方をしていた人たちは、あの世の世界、霊の世界に還ると、心のなかをすべて見られてしまい、また、霊界では自分の思ったとおりの姿になるということを知って、愕然とするのです。地上にいるときに、人に対する妬みや恨みを持って生きていると体が蛇に変わったりするならば、人間はすぐに自分の間違いに気がつくでしょう。ところが、三次元の法則のなかで生きていると、そうしたことがないために、生前は自分の間違いを知らないでいるのです。しかし、あの世では、思ったことはすぐ実現します。たとえば、異性のことばかりに心を悩ませている人は、色情地獄に堕ち、異性ばかりを追い求めます。  また、狐のように、人をだますことぱかりに汲々としている人は、あの世では狐のような姿となります。蛇のように、しつこくしつこく人を妬み、恨んでいる人は、やはり蛇のような姿になります。これ以外にも、さまざまな動物の姿になっていきます。そして、動物霊のようになった人間霊が、地獄の苦しさから逃れるために、一時期、地獄からはい出そうとして、地上の人間に憑依するのです。憑依といっても、まったく何の関係もない人に憑依できるわけではありません。自分の心のなかに地獄をつくっている人にだけ憑依できるのです。生きている人間は心のなかにさまざまな想念の世界をつくっていますが、心のなかに地獄をつくっている人には地獄霊が入れるのです。心のなかに色情地獄をつくっている人のところには、色情地獄霊が来るし、心のなかに動物地獄、畜生道をつくっている人のところには、動物のような霊がかかってきます。

 結局、地獄というのは、心の世界のなか、想念のなかにあるわけです。地獄霊が憑依するのは、生きている人間の心のなかに地獄界があるからです。そのなかに地獄霊が入り込んでくるのです。」

 

阿修羅地獄(あしゅらじごく 阿修羅道、阿修羅界)

 人を責めさいなんだり、人の悪口ばかりを言ったりしている人が行く地獄です。

 自分が不満であるために、「とにかく、悪口を言ったり、人を傷つけたりすると、スッキリする」という気持ちで悪口を言い続けているタイプの人、また、世間の悪口、政府の悪口、人の悪口を並べたて、不幸を自分以外のもののせいにして自らを正当化するような人や、言葉で人をずいぶん傷つけているようなマスコミやジャーナリズムの人もこの阿修羅地獄に行きます。

 この地獄には、昔の兵士や、過去の戦争などで殺し合った人たちもたくさんいます。

 ただ、現代では戦争が少なくなってきていることもあり、この地獄に堕ちた人たちは、お互いに非難合戦をしたりしています。

 やがて、あの世で弓矢の使い方を覚えたりして、お互いに殺し合うようになったりしますが、ここでも、殺しても殺しても相手が死なないため、永遠に相手を傷つけることを繰り返しています。これを、ほとほと嫌気がさすまで続けるのです。

 さらに、この地獄の現代的な変形として病院が出てくることもあります。

 昔は、鬼が出てきて、地獄の釜でグツグツ煮たり、鉄棒で叩き潰したり、釘を打ち込んだりすることが多かったのですが、現代では地獄も少し変わってきていて、阿修羅界のなかに病院のようなところがあるのです。そこに運び込まれて、集中治療室のようなところへ行くと、医者や看護師が出てきます。

 医者はマスクをかけていますが、口が耳まで裂けています。患者は、「やめてくれ」と言って暴れますが、ベッドに縛りつけられ、解剖されて、殺されてしまいます。

 阿修羅地獄では、残忍な殺され方を繰り返し何度も体験するようになります。なぜなら、その人の心の映像において、恐怖体験のみが展開しているからです。自分が恐れるものを引き寄せて、その映像ばかりを見るのです。

 

火焔地獄(かえんじごく)

 阿修羅地獄で止まらず、「火焔地獄」というところまで堕ちて、毎日、炎に焼かれて、阿鼻叫喚の生活を送る人々もいます。煩悩に身を焦がした人や、怒りの炎や嫉妬の炎で、人を焼き焦がした人が行く地獄です。

 短気で、すぐにカッとくる人―何かを聞くと、すぐにカッときて、逆上し、見境がつかなくなる。そして、あとで我に返ったら、いったい自分は何をしていたのか、何のために怒っていたのかがわからない―このような人が大勢います。

 「自分は短気だからだ」と説明をつけているかもしれませんが、それは必ず反作用を受けるのです。怒りの炎が、その心が、他の人を傷つけ、また、自分自身の仏の子としての本質をも傷つけているのです。

 

無間地獄(むけんじごく 孤独地獄、無意識界)

 人の悪口を言う人たちのなかでも、極端に指導力のある人が行く地獄です。

 言論人や思想家、先生、教祖など、大きな力を持って人々に影響を与えているような人、思想的に、あるいは宗教的に人々を間違わせ、狂わせた人々は、阿修羅地獄では止まらず、もっと下に行きます。地下一階ではなく、地下二階、地下三階と、もっと深いところに行くのです。

 そこは、「無間地獄」と言われる、非常に深い地獄です。独りきりになって、他の人と全然会わないようなところに隔離されるのです。

 霊の世界は、殺人などの肉体的な間違いや物質関係での間違いよりも、「人の心を狂わせる」という罪を最大の罪としています。なぜなら、こういう人は、あまりに危険すぎるからです。

 人々を扇動し始めるようになると、周りへの悪影響が大きいので、そういう人は、もっと深い地獄にストーンと堕ちていくのです。それだけ魂の比重が重いとも言えます。

 さらに、主として無間地獄を中心に発生した、魔界というものがあります。これは、地獄の魔王たち、サタンたちが住んでいる世界です。地獄霊のなかで親分格の霊たちであり、地上で言えば、やくざの親分のような存在です。

 

土中地獄(どちゅうじごく)

 「土中地獄」は、その名のとおり、土のなかの真っ暗闇のなかに閉じ込められたまま、息も絶え絶えで窒息しかかった人が苦しんでいる地獄です。

 モグラと同じように一人ひとりが自分の穴を持っており、互いの姿を見ることができません。目の前の、わずか1メートルぐらいの空間のなかで、息をしたり、手で土を掘ったりしていますが、穴が狭いため、向きを変えることもできず、足も膝を突いたままです。

 土中地獄には現代のサラリーマンが多く、ネクタイ姿で白いワイシャツを着た人が真っ暗な穴蔵で悶え苦しんでいますが、それは「独りっきりにしてほしい」と心から願っているからです。

 「職場では、面従腹背のイエスマン。残業や、度重なる出張、単身赴任などで、家庭は、まるで氷のようで、妻や子とも口もきかない」という長年の生活に疲れ果て、「嫌な上役や部下から逃れたい」「誰とも口をききたくない」「誰もいない暗闇でじっとしていたい」という気持ちでいっぱいの人々なのです。

 自分の心が、本当は自由自在であることに気づき、独りで悩んでいることのばかばかしさに気づくまで、ここを出ることはありません。

 

すり鉢地獄(すりばちじごく)

 直径100メートルはあろうかという阿蘇山の火口のような、大きなすり鉢状の穴がある地獄です。

 すり鉢の底では熱湯が煮えたぎっており、ときおり、硫黄臭い煙が中央から立ち昇ってきます。溶岩がふつふつと湧いているようにも見えます。

 すり鉢地獄では、何千人もの人が、まるで蟻のように群れを成して、この巨大なすり鉢から逃げ出そうとして崖をよじ登っているのですが、「われ先に」と思っている人ばかりで、自分の上をよじ登っている人の足首を握っては、引きずり下ろしています。

 永遠にそれを繰り返しているので、いつまでたっても、一人もそこから抜け出すことができず、岩肌を石と共に、ごろごろと転落していきます。崖の傾斜そのものは、それほど急でもなく、みなで助け合えば、次々とこのすり鉢から逃れることができるのに、その「助け合う」ということが、何十年、何百年たっても分からないのです。

 この地獄にいるのは、生きていたときに、愛もなく他人を蹴落としてきたエゴイストたちです。大会社の重役風の人や、学者風のインテリ顔をした人たちなど、受験戦争や出世競争で他人を情け容赦なく蹴落としてきた人たちが、そのツケをここで払っているのです。

 

焦熱地獄 炎熱地獄(しょうねつじごく えんねつじごく)

 読んで字のごとく、この地獄では、大変な高熱で人々の肉体(と思われているもの)が焼けただれています。

 火山の火口のようなところから硫黄の熱風が吹き上げ、とにかく熱くて熱くて、じりじりと焼き殺されるような地獄です。さらにすごい「大焦熱地獄」もあります。ゆらゆらと陽炎(かげろう)の立ち昇る砂漠を、腰に布一枚を巻いただけで、やせて骨ばかりのようになった男女が、水を求めてさまよっています。

 この地獄を特色づけているものは、「渇望」という言葉です。人々に与えることを忘れて、「あれが欲しい」「これを手に入れたい」と、山のような欲望に振り回されて、求めることばかり考えて人生を送ってきた人々が行く世界です。物欲が強く、常に不足と不満ばかりを心に思って生きてきた人々の心が、「熱風の吹き付ける灼熱の砂漠」という心的風景をつくり出しているのです。

 

畜生道(ちくしょうどう 生地獄)

 ここにいる人たちは、もはや人間の姿をしていません。顔だけは人間で、体は、馬であったり、牛であったり、鳥であったり、蛇であったり、豚であったりと、さまざまです。

 それぞれ自分の心性に合った動物の姿をしています。なかには、空を飛ぶコウモリのようになって、洞穴に逆さにぶら下がっている人もいます。猜疑心の強い人は蛇のような姿、欲望を抑えきれない人は犬のような姿、人を騙しつづけてきた人は狐のような姿になって、畜生地獄をつくっているのです。

 ここにいるのは、「心のなかは外からは見えないから、どのような思いを持っていてもかまわない」と思って生きていた人々です。肉体を持っていたとき、その心が透き通しで、何もかも見通されてしまったならば、恥ずかしくて、とても人前には出られないような生き方をしていた人たちは、あの世の世界に還ると、心のなかをすべて見られてしまい、また、自分の心のままの姿になるということを知って、がく然とするのです。

 そして、彼らの大部分は、何百年もこの地獄にいるうちに、自分をその動物そのものだと思い込んでしまいます。これが、実は、「動物霊の憑依」と言われている事実の真相なのです。

 自分を蛇だと思い込んでいる地獄霊、自分を狐だと思い込んでいる地獄霊が、生きている人間に憑依しては、人間を苦しめているのです。霊能者が「現象」を行うときに、蛇のように身をくねらせる霊や、狐のまねをする霊が人間の言葉でしゃべったりするのは、それが、ほとんど、畜生地獄に堕ちた人間霊だからです。

 

黒縄地獄(こくじょうじごく)

 深いところにある地獄に、「黒縄地獄」というところがあります。

 ここでは、焼けた鉄板のようなところに寝かされて、焼けた鉄のような黒い縄で印をつけられるのです。四方に刻みをつけられて、そしてそのとおりに、焼けるなかで体を切られていくのです。

 黒い縄を使うのが昔からの伝統的なやり方だったのですが、最近は近代的になってきていて、外科医の病院の手術台のようなものが、かなり出てきはじめています。そして、天井からもまた熱い鉄のロープのようなものがぶら下がっていて、熱風が吹くたびに体のいろいろなところに焼きつける、そのような地獄です。

 

阿鼻叫喚地獄(あびきょうかんじごく) 大阿鼻叫喚地獄

 さらに深いところにある地獄として、「阿鼻叫喚地獄」があります。阿鼻叫喚、つまり泣き叫ぶような非常に苦しい地獄です。

 この阿鼻叫喚にも程度があって、「阿鼻叫喚地獄」と「大阿鼻叫喚地獄」というところがあります。

 大阿鼻叫喚地獄に堕ちる人で典型的なのは「五逆の罪」を犯した人です。「五逆」とは次の五つです。

1 父殺し

2 母殺し

3 阿羅漢以上の資格を持ったお坊さん、キリスト教的にはシスターや神父など、仏神に近いところをめざして修行している僧侶を殺すこと

4 仏陀を傷つけること

5 陀のつくった教団を混乱に陥れること(これを犯した場合を「和合僧破壊の罪」と言います。)

 この五つの罪のどれかを犯した者は、大阿鼻叫喚地獄に堕ちるのです。

 これ以外にも、修行者でありながら盗みをしたり、修行者でありながら強盗や強姦のようなことをしたり、修行者でありながら、自分が悟っていないのに悟ったと称して人びとを惑わしたような者もここに入ります。

 こうした非常に深い罪を犯した者が、大阿鼻叫喚地獄というところに入ります。ここに入った人は千年以上は絶対に出てこられません。

 そこでは、ありとあらゆる地獄の苦しみがあります。そこに入った人というのは、生皮を剥がされ、その後、焼けた土の上に寝かされて、燃えるような、銅や鉄を熔かしたようなものを体の上にかけられているのです。

 その後、金鋏(かなばさみ)のようなもので口を開けられ、そのなかに、またドロドロに熔けた銅のようなものを流し込まれ、それが肛門のほうから出てくるという、こんな恐ろしい苦しみを味わっている人もいます。

 過去、宗教を迫害してめちゃめちゃにしたような人たちが、そのような罪のなかに置かれています。こういう地獄が、深いところにあるのです。

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