宇宙即我

 「宇宙即我」というのが最終的な悟りであるかのように教えを説いている宗教家もいますが、幸福の科学大川隆法総裁は、その悟りには三段階がある、さらにその上の境地もある、と説いておられるわけです。

 大川隆法総裁は、『悟りの極致とは何か』で以下のように説かれました。

「過去、「宇宙即我」という体験をされた方が何人かいます。そのことについても、すでに何度か触れています。そして、この宇宙即我の境涯にも三段階あると述べています。第一段階の宇宙即我は、狭義の太陽界、すなわち如来界の上段階で得る宇宙即我です。それは、ソクラテスのような如来や、あるいは日本神道系では天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)という方がかつて経験したものです。彼らの宇宙即我というのは、肉体をこの地上に置きながら、魂がこの肉体を離れ、限りなく上昇し、拡大して、地球というものを眼下に見下ろし、地球が小さな球のように見える、という意味での宇宙即我でした。そして、この上なる第二段階の宇宙即我として、「銀河即我」という境地があります。この銀河即我という境地は、自分の意識が銀河系の大きさまで広がって、地球が小さな細胞に見える境地です。さらにこの上にある第三段階の宇宙即我は、どういう境地であるかと言うと、大宇宙というものがひとつの生きもののように見える境地なのです。これは、みなさんが小さな小さなミクロ人間となって、自分の人体に入っている姿を考えてみれば、想像するのもそう難しくないでしょう。ウィルスのような姿となって自分の肉体のなかに入りこみ、自己を観察したならば、どのように見えるか。それは巨大な宇宙空間でありながら、それぞれの機能を持った部分部分が寄り集まっているわけです。この第三段階の宇宙即我の境地に到達しますと、たとえば我々が「銀河」と呼んでいる部分(本当は、銀河と言われるものは非常に数多く存在するのですが)、地球から見た銀河と言われている部分などほ、ひとつの心臓のように見えます。明らかに心臓のように見えるのです。そして、「太陽系」という太陽を中心とする惑星群などは、一本の動脈のように見えてきます。宇宙の中心部から神のエネルギー、光というものが送り出され、銀河という心臓をとおり、さらに太陽系のほうに力強く送り出されて、太陽を中心として地球や金星やその他の惑星につながる大動脈を流れてゆく姿が見えるのです。こうした宇宙即我のさらに上の境地として、「神即我」と言われる境地があります。この神即我の境地になりますと、もう少し認識が進んできます。第三段階の宇宙即我では、この大宇宙が神の体として、心臓や内臓や、あるいはさまざまの血管のように見えていたものが、さらに視野を高めてゆくと、もはや、この我々が見ているところの大宇宙そのものが、ひとつの球体に見えてきます。それは球体なのです。小さな球のように見えます。そして、こうした球体がさらに大きな大宇宙のなかにいくつも浮かんでいるのが見えます。この球体をつくっているものは十三次元宇宙と呼ばれている世界です。この十三次元宇宙というものを、さらに高次元の十四次元以降の世界から見ると、本当の球です。球のようになって浮かんでいるのです。」

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