リーダーの徳

 株式会社であげた利益というのは、本来価値中立的なものであって、それを使う人の心、動機、その結果において善悪は決まる。

 大事なのは、その会社を率いるリーダーの心構え、器、「徳」である。

 そして、徳のあるなしは、「いかに多くの時間、みずからの利益にかかわりなく、みずからの名誉心にかかわりなく、みずからの保身にかかわりなく、他の人々への愛の思いを抱いたか。他の人々を幸福にしようとする思いでその時間を埋めていったか」、その総量で決まる。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『リーダーに贈る「必勝の戦略」』で以下のように説かれました。

「株式会社という制度は、現代の社会に非常に適合しやすい制度ではありますが、「心」がありません。これが最大の欠点です。「心がない」と言いましたが、そうした企業体に、はたして「心」というものがありうるかどうか、それを疑問視する方もいるでしょう。「心」という言葉が分かりにくいならば、「精神」と言っても、「マインド」と言ってもよいでしょう。すなわち中身です。それぞれの企業の定款には、「こういう事業をする」ということが書いてあります。そして、その目的は「利益の追求」ということになっているかもしれません。利益の追求は結構ですが、それは何のためにするのでしょうか。利潤、利益と言われるものは、本来、価値中立的なものであることを知らねばなりません。それそのものは善でも悪でもありません。それを使う人の心、動機、そして、その結果において、善悪は決まるものなのです。特に大事なのは、会社を率いる人、リーダーの心構えです。これからのリーダーは、心というものや心の世界を知らずして、リーダーたることは許されません。「いまだかつて心の修行なるものをしたことがない者は、ただちに管理職から退け」、そう私は言いたいのです。管理職に必要なのは技能だけではありません。もちろん、「仕事ができる」ということ自体も、他の人への愛であることもあるでしょう。多くの共同体への奉仕になることもあるでしょう。しかし、その多くは、みずからが報酬や成果、評価を得るためにしてきたことであり、動機において、みずからを利する方向に傾いているならば、やはり、心は不在であると言わざるをえないのです。経営者たる者の器、リーダーたる者の器、その器をつくっていくための資格条件として、「徳」という言葉が使われます。この徳という言葉は、いまでは古い言葉にもなりました。現代的には、なかなか理解されなくなっています。しかし、徳なるものは必ずあるのです。それを説明するならば、自分が生きてきた時間のなかで、自分のことより他の人の幸福のことを考えた時間のほうが遙かに多い人のことを、「徳ある人」と言うのです。みなさんが、過去数十年、考えてきたことは何ですか。その多くは、自分自身のことばかりであったのではないですか。あるいは、一日、二十四時間のうち、起きている約十六時間のなかで、考えている内容は、いったい何ですか。その内容は、ほとんど自分自身のことではないですか。自分自身のことを悩むことをもって、よしとしているのではないですか。こういう人を「徳がない」と言うのです。徳とは、確かに、つかみ出し、見せることのできるものではありませんが、「いかに多くの時間、みずからの利益にかかわりなく、みずからの名誉心にかかわりなく、みずからの保身にかかわりなく、他の人々への愛の思いを抱いたか。他の人々を幸福にしようとする思いで、その時間を埋めていったか」、この総量が徳となって表れてきます。」

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