涅槃

 幸福の科学大川隆法総裁は、『大悟の法』で以下のように説かれました。

「心の平和の境地のことを、仏教では「涅槃(ねはん)」と呼んでいます。死後に還る高次元世界、安らいだ天国の世界も涅槃の世界(無余涅槃〔むよねはん〕という)ですが、そういう天国の世界、如来界や菩薩界などの安らぎの世界を、地上に生きていながら手に入れること、生きながらにしてその状態に入ることも涅槃なのです。これを「生身解脱(しょうじんげだつ)」といいます。生前の解脱、すなわち、肉体を持って生きながら、涅槃という安らぎの境地、ニッバーナの世界に入ることです(有余涅槃〔うよねはん〕という)。ニッバーナ、あるいはニルヴァーナとは、炎を吹き消した状態のことをいいます。この炎とは肉体煩悩のことであり、煩悩とは悪しき精神作用の総称です。悪しき精神作用とは、要するに、乱れた音楽のようなものだと思えばよいでしょう。波長の乱れたガシャガシャした音楽は、長くは聴けません。それと同じように、非常に乱れた心の状態のままではいられないのです。煩悩の炎を吹き消した、非常に静かな状態が涅槃の境地であり、そういう心を求めるものが瞑想なのです。深い瞑想に入っていくと、この世的なさざ波の部分は消え、仏神と一体の状態になります。現象としては、まず、心が安らいできて、次に、温かい光が体のなかに入ってくるのを感じます。さらに、温かい光を感じるだけでなく、輝く光そのものが見えてきます。光のかたまりが見え、光の存在が現れて、それが自己と一体になってくるのです。こういう感じがよく分かるようになります。これが、金色の仏像などで表現されている状態です。瞑想のなかで、光と一体になる感覚が現れてくるのです。ここまで来ると、かなり確立された涅槃の状態だと言えます。仏教の理論によると、この世において、そういう心の状態をつくれば、高次元世界と同通することができます。自分の現在の心の状態に応じた世界に、死後、還ることになるのです。これが仏教の理論なのです。この理論が現実にそのとおりであることは、私の長年の経験で、すでに実証済みです。ただ、高次元世界の波長を出そうとしても、普通はなかなか出せるものではありません。たとえば、楽器の演奏でも、普通の人が「世界一のバイオリニストやピアニストのような演奏をしてみよ」と言われても、それは難しいでしょう。やはり、自分としての最高レベルというものがあり、そのレベルがどの程度であるかは各人の能力によります。そして、練習を積むに従って、常に最高に近い状態が出せるようになってくるのです。心の波長も、これとよく似ています。このようなものを求めることが、涅槃を求める心なのです。」