孫子の兵法 第五章 兵勢篇

 形篇(第四章)で作り上げた態勢を活かして、軍全体の勢いによって勝利に導くことの重要性を説く

 個人の武勇や奮闘ではなく、組織としての圧倒的な力が勝利をもたらす

 

情報共有と情報伝達

『衆を治むること寡を治むるが如くするは、分数是なり。衆を闘わしむること寡を闘わしむるが如くするは、形名是なり。』

 大部隊を統率するのに、小部隊を統率しているかのように整然とさせることができるのは、部隊編成と組織運営がしっかりしているからである。大部隊を戦闘させるのに、小部隊を戦闘させているかのうように統制がとれるのは、旗を立てたり、鉦を鳴らしたり、太鼓を叩くなど、合図や通信、情報伝達がうまくいっているからである。

 多くの将兵を指揮する場合、少ない将兵を指揮しているように整然と動かすためには、部隊を少数ずつに分けて動かせばいい。多くの将兵を戦わせる場合は、少ない将兵を戦わせるように、臨機応変に動かすためには目に見える信号や耳に聞こえる信号を使えば上手くいく。つまり、多くの人員を動かすのならば、少人数の班に分けて、その班単位で指示を出せば上手くいくといいうことを言っています。

『三軍の衆、畢く敵に受えて敗るることなからしむ可き者は、奇正是なり。』

 全軍のすべての兵が、敵のどのような出方に対してもことごとく対応し、負けることのないようにできるのは、変幻自在に意表を衝く「奇法」と定石に則った「正法」の使い分けが絶妙だからである。

 必勝の条件として、正攻法はもちろんですが、状況に応じては時には変化球を投げるような柔軟な対応も必要だということです。

『兵の加うる所、石(たん)を以て卵に投ずるが如くする者は、虚実是なり。』

 攻撃を加えようとする時に、石を卵にぶつけたかのようにたやすく敵を撃破できるのは、敵の防除が手薄な「虚」に対して、充実し豊富な兵力である「実」をぶつけるからである。

 石で卵を砕くように、敵を撃破するためには、充実した戦力で敵の手薄を衝く戦法をとるのがよい。

 

分数と形名

『戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。故に、善く奇を出す者は窮まり無きこと天地の如く、竭きざること江河の如し。』

 集団で力を発揮させるために必要な4つの条件を出しました。

 1 分数

 2 形名

 3 奇正

 4 虚実

 この4つのうち、「分数」と「形名」は軍の組織に関する事で、「奇正」と「虚実」は戦略に関する事です。

 「分数」とは軍の組織・編成の事。「形名」とは軍の指揮系統の事。 この二つは、分母と分子のように お互いが影響し合うような関係なのです。

 大部隊が集団で力を発揮するためには、軍令(指揮命令系統)が確立されている事が重要です。  将軍の合図一つで、一進一退、一糸乱れぬ行動をとってもらわなければなりません。

 その軍令が確立されるためには、軍律(軍内の法律)が整っていて、手柄に対してはちゃんと賞賛し、規律を乱したら処罰するという。公正な賞罰が行われている事が必要です。軍律が整っていれば、軍の組織・編成が確立され、軍の組織・編成が確立されれば、軍令も確立されるという事です。  軍律と軍令の確立の重要性は、この章以外でも何度も登場しています。

 「奇正」とは、古代中国の軍事用語で、「正」は常識的な事を指し、「奇」はその反対、つまり、特殊な物や変った物を意味します。  2千年前の『孫臏(そんびん)兵法』という兵法書では、「形で形を制するのが正、無形で形を制するのが奇」と説明しています。

定石通りに立ち会い、奇策で状況に対応する

 戦闘においては、「正法」によって相手と対峙し、「奇法」を用いて勝利を収めるものである。だから、奇法に通じた者の打つ手は天地のように無限であり、揚子江や黄河のように(大河や海のように)尽きることがない。

『戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。故に、善く奇を出す者は窮まり無きこと天地の如く、竭きざること江河の如し。』

 相手が正で来れば、こちらは奇。相手が奇法で来れば、こちらは正法で受ける。何が正で何が奇なのかは、相手との組み合わせにもよる。  正とは目に見える動き(有形)、奇とは目に見えない動き(無形)とする解釈もある。目に見えるもの、目に見える形、目に見える兵隊の動きだけを考えていてはダメである。目には見えない背後にある因果関係、力関係、情報の流れや意図や狙い、そして士気などもある。  戦略的な意図や狙いを持って作戦を立てる。その段階ではまだ無形であり奇である。実際に動けば、それが正となり、相手にも見えるようになる。すると、相手はこちらの意図を推し測って対抗しようとする。そこではまだ形がなく奇である。しかし、それが実行に移されれば、目に見える形(正)となって、それによって こちらの動きも変わってくる。まさにこの繰り返し。正と奇は循環して尽きることがなく、その組み合わせは無限である。  相手の出方によって、正が奇になり奇が正にもなるわけだから、常識的、固定的に考えてはならない。

対峙する時は正攻法で、勝つ時は奇襲で

『終わりて復た始まるは、日月是れなり。死して復た生ずるは、四時是れなり。声は五に過ぎざるも、五声の変は勝げて聴く可からざるなり。色は五に過ぎざるも、五色の変は勝げて観る可からざるなり。味は五に過ぎざるも、五味の変は勝げて嘗む可からざるなり。戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝げて窮む可からざるなり。奇正の還りて相い生ずるは、環の端なきが如し。孰か能く之を窮めんや。』

 終わってはまた始まる。尽きることがないのは、太陽が昇っては沈み、月が満ちては欠けるようなものである。死んではまた生き返り、果てることがないのは、四季の移り変わりのようなものである。

 音(音階)は、宮・商・角・徴・羽の5つに過ぎないが、それらを組み合わせた調べは無限であり、すべての音楽を聴き尽くすことはできない。色は、白・黒・青・赤・黄の5つに過ぎないが、それが混じり合って生まれる色の変化は無限であり、すべての色を見尽くすことはできない。

 味覚は、酸:すっぱさ・辛:からさ・醎:しおからさ・甘:あまさ・苦:にがみ の5つしかないが、その組み合わせによる変化は無限であり、すべてを味わい尽くすことはできない。これらと同様に、戦い方には「奇法」と「正法」があるに過ぎないが、その奇と正の組み合わせは無限であって窮め尽くせるものではない。正から奇が生まれ、奇から正が循環しながら生まれる様は、まるで丸い輪に端(終点)がないようなものである。誰がそのすべてを窮めることができるでしょうか。

 

勢いに乗る

 『兵勢篇』では、「奇・正」の使い分けとともに、勢いに乗ることの重要性も説いています。

 水の流れが激しくて岩石をも漂わせるのは、その水に勢いがあるからである。猛禽が急降下して一撃で獲物を打ち砕くのは、絶妙のタイミングだからである。したがって、戦上手は、その戦闘に投入する勢いを大きく険しくし、その勢いを放出するが、一瞬の間に集中させる。勢いを蓄えるのは、弩(弓)の弦を一杯に引くようなものであり、節(タイミング)とは、その引き金を引く時のようなものである。

『激水の疾くして、石を漂わすに至る者は勢なり。鷙鳥の撃ちて毀折に至る者は、節なり。是の故に善く戦う者は、其の勢は険にして、其の節は短なり。勢は弩を彍るが如く、節は機を発するが如し。』

 激しい流れが、重い石をまるで軽石のように浮遊させて押し流すことができるのは、勢いがあるからである(水自体に岩を動かす力があるわけではない)。

 猛禽(もうきん)が急降下して、一撃で獲物の骨をうち砕くことができるのは、節目だから。であるから、戦いの巧者は、戦うタイミングまで限度いっぱいまで勢いをためておいて、その力を一気に放出して短期で決着をつける。例えば、勢いを蓄えるのは、弓(弩)の玄をいっぱいに張るようなもので、節目は瞬間に引き金をひくようなものであると言っています。

 戦いの中では、時には「勢い」が必要なことがあります。孫子は、力をためるだけ貯めておき、そしてタイミングを見計らって一気にその力を解き放つことが勝利を呼び込むコツだと言っています。

 孫子は、その言葉の中で度々「節」という言葉を用いています。これは、いわゆる「節目」のこと。孫子は静から動への転換期を意味する言葉として使っています。もしあなたが、これから新しい仕事に取りかかろうとしていたら、まずそれをできるだけの資料や情報が手元にあるかどうかを確認しましょう。そして、条件が整ったことを確認したなら、その力を一気に注ぎ込めば、大概の仕事は上手くいくはず。ただし、大切なのはタイミングです。力と時のバランスを見失わないこと。それが勝利の鍵となるという。

『紛々(ふんぷん)紜々(うんうん)として闘いに乱れて、乱すべからず。渾々(こんこん)沌々として、形円くして敗るべからず。』

 雑然といりまじっていて、しかも乱すことはできない。始めも終わりもなくつながっていて捉えどころがなく、破ることができない。

 せっかくパワーを蓄積していても、それをダラダラと長期間に渡って放出させたのでは、効果が薄い。逆に、短期間に一気に集中して動こうとしても、蓄えられたエネルギーが少なければ大したことにはならないという意味です。

 一糸乱れることのない組織は、戦いに強いのですが、戦いが長引くと、どこかにほころびが生じて、そして、それが原因となって敗れることになります。つまり、整然とした組織は見た目にはいいかもしれませんが、少しでも崩れたら、逆に危険な状態に陥りやすいものだということを孫子は言っています。

 一糸乱れずに戦う軍隊は、確かに正攻法の場合は強く、また見た目にも美しいものです。しかし、逆にその動きに乱れが生じると、勢いも強さも一気に崩れ去ってしまいます。つまりリーダーたる者は、常に、戦いにはそういうことも起こる可能性を意識しておく必要があります。もし今、何かのプロジェクトで多くの人を率いているならば、今、上手く行っていたとしても、長く取り組んでいる間には乱れる可能性もありますから、事前にそうしたことに対応する対策をいち早く行なっておく必要があります。流れには乱れがあることを忘れないでください。

 

慢心を捨てる

『乱は治に生じ、怯は勇に生じ、弱は強に生ず。治乱は数なり。勇怯は勢なり。強弱は形なり。』

 混乱は整然と統治された状態から生まれ、臆病さは勇気の中から生まれ、弱みは強みから生まれるものである。乱れるか治まるかは、組織編制(分数)の問題である。兵士が尻ごみするか勇敢になるかは、勢いの問題である。強みとなるか弱みとなるかは、軍の置かれた態勢や軍形による。

『善く敵を動かす者は、之に形すれば敵必ず之に従い、之に予うれば敵必ず之を取る。利を以て之を動かし、を以て之を待つ。』

 巧妙に敵軍を動かす指揮官は、敵が動かざるを得ないような態勢を作って、思うように敵を動かし、敵の利益になるようなエサをちらつかせて、これを得ようとする敵をまた意のままに動かす。すなわち、相手の利によって相手を動かし、知らずに動く敵を準備して待ち受けるのである。

 戦争において愚かなリーダーは、状況を踏まえずに力ずくで勝利を得ようとします。しかし、賢い将軍は、相手をコントロールして自分にとって有利な状況にして勝利を容易に手にします。そうした謀(はかりごと)こそが大事だと孫子は言っています。

 孫子は、治乱、勇怯、強弱は、固定的なものではなく、常に入れ替わり、そして、あくまでも相対的なものであって、絶対的なものではないと指摘した。安心したり、慢心したり、油断していてはいけない。「陽極陰転」、「陰極陽転」。その時のポイントが「数」「勢」「形」である。「数」は、分数のことで、組織編制や組織運営ノウハウを言う。そして、それを動かす時の勢いが「勢」。同じ人、同じ組織でも、勢いがある時とない時ではパフォーマンスが全然違う。そして、それがプラスに働くかマイナスに働くか、強みとして生かされるか、弱みになってしまうかは、その軍形、態勢、敵味方の配置による。これが「形」である。

 そして、敵味方の駆け引きにおいて、孫子は、敵が動かざるを得ないような態勢に追い込めばそのように動くし、敵の利益になるようなエサを撒けばそれを得ようとする敵は思うように動くものだと説いた。相手の利は何かをつかむことで先回りして待てば良いのです。

 

勢いを作る

『善く戦う者は、之を勢に求め、人に責めず。故に能く人を択びて勢に任ず。勢に任ずる者の、其の人を戦わしむるや、木石を転ずるが如し。木石の性は、安ければ則ち静まり、危うければ則ち動き、方なれば則ち止まり、円なれば則ち行く。故に善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仭の山に転ずるが如き者は、勢なり。』

 戦いに巧みな指導者は、戦闘における勢いによって勝利を得ようとし、兵士の個人的な力に頼ろうとはしない。適切な人を選び出し、勢いを生むように人員配置ができるのである。戦場での勢いを巧みに利用する指導者が、兵士たちを戦わせる様は、まるで木や石を坂道に転落させるようなものである。木や石は平らな場所に安定していれば静止しているが、傾いた場所では動きやすい。方形であれば止まっているが、円形であれば動き出す。したがって、兵士たちを巧みに戦わせる勢いとは、丸い石を千仭の(高い)山から転げ落としたように仕向けることであり、これが戦いの勢いというものである。

 良い戦い方とは、兵士一人一人の行動に期待するのではなく、勢いに乗じて一瞬で力を発揮するものである。

 

兵を選ばず、自軍の勢いを操る

戦闘が開始される際の勢いを巧みに利用する 周囲が自然と盛り上がる状況を作る

兵の力よりも流れを重視せよ

参考・引用しました

「孫子・兵勢篇(第五章)」に読むビジネスリーダー

孫子の兵法

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