「徴用工問題」とは

 「徴用工問題」については、そもそも歴史の真実を確認する必要があります。

 まず、日本政府が朝鮮人を強制的に徴用し、奴隷労働させたという事実はありません。実際には、自らの意志で日本に出稼ぎに来ていた人がほとんどでした。

 「国民徴用令」が発令された1939年から4年間、朝鮮では「募集」による徴用が行われました。この間、実際に徴用されたのは約15万人。

 徴用とは関係なく出稼ぎのために日本に来た人は約44万人でした。

 また、日本に来ることを望む朝鮮人は多く、約2万人もの人が不正渡航者として、「強制連行」どころか「強制送還」されているのです。

 終戦時には、在日朝鮮人は約200万人まで増加。そのうち徴用者は約32万人、軍人や軍属は約11万人とされています。

 徴用者や軍人・軍属を除くと、約160万人の朝鮮人が何らかの理由で日本に暮らしていました。

 では、その人々は何をしていたのでしょうか。それが、まさに「出稼ぎ」なのです。(西岡力著『日韓「歴史問題」の真実』参照)

 

「徴用者」は奴隷扱いされていたわけではない

 1944年9月には、朝鮮でも「国民徴用令」が施行され、実際に徴用された朝鮮人もいました。

 当時の朝鮮徴用者の中には、徴用者の部屋の広さは畳二十畳(10人部屋)で、清潔な寝具が用意されているなどの様子を、手記に残している人もいます。(西岡力「朝鮮人戦時動員の関する研究(2)」参照)

 つまり、朝鮮人が差別され、劣悪な環境で働かされたわけではないのです。

 

「徴用工」の問題は既に賠償済み

 これまで日本は、1965年の「日韓請求権協定」で徴用工問題は解決済みと主張してきました。

 1962年の日韓国交正常化の際、韓国の李承晩大統領は、日本に対して「対日請求要綱」を提出しています。

 そこに載っている徴用工に関する請求には、徴用者への未払い賃金、徴用によって怪我等をした場合の補償などが含まれていますが、これらは「日韓請求権協定」によって全て解決済みなのです。

 また、「協定についての合意された議事録」の中で、この協定については「いかなる主張もなしえないこととなることが確認された」と記されています。

 

文在寅大統領も「全て解決」に同意済み

 また、盧武鉉政権が2005年に発足させた「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」は「65年韓日請求権協定の効力の範囲問題」に対する見解を表明しています。

 そこでは、「徴用工」に対する補償問題は日本の責任ではなく、韓国政府に責任があるとも記されています。

 驚くべきことに、同委員会には、現在の大統領である文在寅氏も所属していました。

 文大統領は、徴用工への賠償は韓国政府の責任とすることに同意したのに、日本政府に責任を求めているのです。  韓国側の主張には正当性がありません。

 

国際広報力が弱い日本

 日本は国際社会に歴史の真実を訴えなければなりません。

 2015年に韓国で公開された映画「軍艦島」の内容が嘘であることに対抗し、「軍艦島」の元島民が「真実の歴史を追求する端島島民の会」という団体を作りました。

 同団体は、You Tubeに、元島民による証言動画を日本語と、韓国語・英語字幕で更新しています。

 しかし、民間が声を上げているのに、日本政府は歴史の真実を国際社会に訴えていません。韓国が主張している「徴用工」自体が嘘であることを訴え、真実を世界に伝えなければなりません。

(参照) 西岡力著『日韓「歴史問題」の真実』PHP研究所 西岡力「朝鮮人戦時動員に関する研究(2)、手記の検討」『歴史認識問題研究第3号』所収 崔 碩栄著『韓国が「反日国家」である本当の理由』彩図社 松木國俊著『日本が忘れ韓国が隠したがる本当は素晴らしかった韓国の歴史』ハート出版 飛鳥新社『月刊Hanadaセレクション 韓国、二つの嘘 徴用工と従軍慰安婦』

 日本に戦前から住んでいる在日韓国人は、果たして「強制徴用されてきた人々の子孫」なのでしょうか。その歴史を振り返ってみます。

 「在日韓国人」と一言で言っても、日本に来るタイミングによって少し違いがあります。「1945年以前、日本統治下の朝鮮半島から日本に来て、そのまま日本で生活している人」は「オールドカマー」と呼ばれ、「大韓民国の建国後に生まれて、日本に移住してきた人」である「ニューカマー」と区別されています。

 オールドカマーの在日朝鮮人は、終戦直後には200万人いたと言われていますが、そのうち、政府が国民を工場で働かせる「徴用」によって日本に来ていたのは245人だったことが分かっています。当時は朝鮮半島も日本だったため、他の日本人と同じように徴用された人がいたのです。

 鄭大均氏の著書『在日・強制連行の神話』の紹介によれば、日本統治下の朝鮮半島からは、仕事を求めて多数の朝鮮人が日本に渡ってきており、一時は渡航制限がかかるほどでした。当時、朝鮮では人口が増えたものの雇用が増えない一方で、日本では都市や工場、鉱山に働き口が数多くあったためです。

 その中には、炭鉱での肉体労働など、過酷な待遇の仕事に就いた人も多かったのは事実ですが、あくまで働く機会を求めて、日本にやってきた人であり、国家ぐるみの「強制」ではありませんでした。

 そもそも、日韓の間の戦前の賠償は、1965年の日韓基本条約で解決済みであったはずで、2015年12月の日韓合意で蒸し返すべきものではありませんでした。しかし、文在寅氏は日韓合意すら蒸し返そうとしています。

 しかも、終戦後、日本にいた朝鮮人のうち、希望した約150万人は日本政府の手配で帰国しています。今、日本に残っているのは、あくまで日本で生活することを希望した人たちだったのです。

 

帰れなくなった韓国人、北朝鮮へ

 ただし、1952年にサンフランシスコ平和条約が発効すると、旧植民地であった朝鮮人の日本居住者は日本国籍をはく奪されました。しかし、当時は朝鮮戦争の真っただ中。韓国の大統領は、突然日本の竹島を韓国に編入した李承晩であり、日韓関係が極めて悪かったこともあり、韓国は日本にいた朝鮮人の帰還を受け入れなかったのです。

 そのため、日本政府と韓国政府は協定を結び、日本国籍を保有していた朝鮮人を「協定永住許可者(現在の特別永住者)」として、永住資格を与えました。当初、付与された国籍は便宜上「朝鮮籍」とされましたが、その後、希望者は「韓国籍」に変更できるようになりました。現在も「朝鮮籍」の特別永住者が約3万人いますが、「北朝鮮籍」とは異なります。

 大きな問題となったのが、北朝鮮への「帰国事業」です。もともと、日本に来ていたのは現在の韓国側の出身者がほとんどだったにもかかわらず、北朝鮮が「地上の楽園」であると、金日成が在日韓国人の帰国を呼びかけたのです。北朝鮮が支援する朝鮮総連の推進で、1959年から1985年までの間に約10万人が北朝鮮に渡りました。戦前に朝鮮半島で生まれた人にとって、韓国も北朝鮮も「祖国」であることは変わりがなかったからです。

 しかし、実際には、地上の楽園どころか、飢えと貧困がはびこる「地上の地獄」だったことは周知の通りです。脱北者の証言によれば、指導者に絶対忠誠しなければ反逆者として扱われたり、強制収容所に入れられ、拷問を受けた人も相当いるといいます。在日韓国人の中には、親戚が北朝鮮へ帰国してしまったため、事実上の「人質」に取られている人も少なくないのです。

 

日韓の未来志向の関係の鍵を握る「在日韓国人」

 今後、日本政府は、「日韓合意」を教訓として、強制徴用についての追加賠償を行うことは、断じて避けなければなりません。日本政府が韓国政府に「たかられる」構図が続けば、人々を苦しめる北朝鮮への対応どころではなくなってしまうからです。それは日韓両国に住む人々にとっても、何よりいまだに北朝鮮で苦しむ人々にとっても、幸福への道ではないからです。

 在日韓国人は、今や日本で生まれた3世・4世の世代に入っており、年間1万人が日本に帰化し続けています。日本の側も、血統や元の国籍によりレッテルを貼って排斥するのではなく、日本を愛し、日本人として義務を果たし、社会に貢献する人々を、新しい日本人として受け入れる器を持つ必要があるでしょう。

参考

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