ドラッカーのマーケティング論

ドラッカーのマーケティング論

 ドラッカー曰く、   

 企業の目的は「顧客の創造」である。   

 企業にとって利益の源泉は顧客である。   

 顧客を創造できなければ事業は続かない。

 この企業の目的である「顧客の創造」の中心的な役割を果たす機能が「マーケティング」である。真のマーケティングは顧客からスタートする。

 

 マーケティングは、企業の中心的な機能であり、その役割は「顧客の創造」そのものである。「顧客の創造」ということは、成果は企業の外にあるということを意味している。

 したがって、マーケティングは顧客の観点から見た全事業に関わる活動である。すなわち、企業内のそれぞれの組織において市場(顧客・非顧客)の代弁者の機能を持つことが求められる。

 マーケティングは、販売よりはるかに大きな活動であり、企業のあらゆる組織に関わる活動である。それは、一部門の専門化された活動ではない。

 「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客に必要なものは何か 顧客の価値は何か 顧客はどのように買うか」 このように問いかけることによって、顧客が求めているものをキャッチしなければならない。これが「ニーズの発見」や「ニーズの創造」に繋がっていく。 「顧客を創造」するには、「ニーズの発見」だけではなく、新たにニーズを創り出す「ニーズの創造」が大切です。

 販売は商品を売ることですが、マーケティングは「顧客の創造」につながる活動のすべてである。マーケティングは、企業にとってあまりにも基本的な活動であり、販売よりはるかに大きい活動であり、専門化されるべき活動ではなく、全事業に関わる活動である。

 マーケティングによって絞り込まれた情報に基づいて、企画・開発など商品・サービスに関わる部門は勿論のこと、生産・流通・営業・人事など全組織が夫々、且つ連携して活動しなければならない。そして、それぞれの組織において市場(顧客・非顧客)の代弁者の機能をもつことが求められる。

 消費者運動やクレームなども、単なるクレーム処理として扱うのではなく、マーケティングの視点で捉えなければならない。

 マーケティングに対する関心と責任は、企業の全領域に浸透させることが不可欠である。

 

 

「孫子の兵法」から発展したドラッカーのマーケティング

 マーケティングの中には「競争戦略」がある。いかにして競争相手に勝つか。ドラッカーが捉えるマーケティングは、「勝つべくして勝つ」という「孫子の兵法」そのものである。

 ・われわれの事業は何か

 ・顧客は誰か

 ・顧客はどこにいるか

 ・顧客は何を買うか

 ・顧客は何を価値と見るか

 ・顧客の満たされていない欲求は何か

 ・競争相手は誰(何)か

 このように、自らが置かれている環境の中で、多角的な視点で、わが社の「勝ちパターン」を見つけ出し、それをプロセスとして体系化し、具体的な組織レベルや行動レベルにまで落とし込んでいくことが本来のマーケティングある。

 具体的に、どんな商品・サービスを提供するのか、いくらで販売すべきなのか、どんな見せ方・紹介の仕方をすべきなのか、どこで販売すれば良いのか、といったことにまで落とし込んでいかなければならない。

 これらのことを体系立て、整理し、限られた経営資源で、効率良く市場に働きかけるには、どのすれば良いかなどの道筋(勝ち筋)を見出すことが必要である。

 ドラッカーは、マーケティングの理想は販売を不要にすることである。そして、マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、顧客に商品とサービスを自ら売れるようにすることであると述べている。

 顧客の心を鷲掴みにし、買いたくなるように仕向けること、これがドラッカーのいうマーケティングの本質である。ここで必要なことは、「顧客の立場」で「顧客が何を求めているのか」をキャッチし、それに合った商品やサービスを提供することです。さらに、製品発表の仕方やタイミングなどにも工夫が必要となってくる。

 ミッションは、「何を行うべきか」とともに「何を行うべきでないか」を規定する。企業としての成果を最大にするためには、自らがミッションとするものに徹底して的を絞らなければならない。経営資源の集中である。その上で、「われわれの顧客は誰か」を見極め、「顧客にとっての価値は何か」を明らかにしていく。これがマーケティングである。

 顧客にとっての関心は、自分にとっての価値、欲求、現実である。現実の中に潜む欲求の種を探し出し、顧客ニーズに合った製品やサービスを生み出し、その顧客に価値を提供する。そのためには、顧客ターゲットを絞る必要がある。

マーケティングは、市場内のポジション、自社の強み・弱みなどを見極めること

「敵を知り、己を知る情報力」にあたる 

販売活動を不要にすることが理想

 「マーケティングの理想は、販売活動を不要にすることである」

 ドラッカーにこんな一節がある。「顧客の創造」の本質を語る至言である。では、顧客に対するときに最も大切なことは何でしょうか。「観察すること」である。顧客の目に映っているものを観察することが、顧客の期待や望むものを探る第一歩であり、コミュニケーションの源となる。それを意識的に行うことが重要である。

 ドラッカーは「見る人」であった。「観察すること」を自らの存在理由としたほどである。彼は次の2つのポイントを重視していた。

 一つは、「観察はひとつの仕事なのだ」と意識することである。予想に反して、観察は簡単な仕事ではない。というのも、人は「見たつもりになっているだけ」のことがあまりに多い。顧客が「何を求めているか」「何を価値あるものと考えているか」を見つけ出すことが観察である。

 たとえば、顧客は「いかに購入するか」という視点で観察してみるよい。「いかに」を観察するのである。顧客が購買にいたるまで、あるいは購買してからの動きなどに着眼する。

 自動車メーカーのホンダが、アメリカで成功した事例がある。ホンダは自動車の試乗に訪れる顧客を、「いかに購入するか」という視点で丹念に観察していった。その結果、わかったことがある。来店して試乗するのは主に男性だが、奥さんが「この色は嫌い」「この形がいい」というように、試乗以前の問題について発言権を持っているということである。

 このことは、まず女性に選ばれるものにしなければならないことを意味する。観察しなければ見えてこなかった事実だった。

 二つ目は、アウトサイドの目線を持ちながら、インサイドに入っていくことである。ドラッカーはそれを「アウトサイド・イン」と呼んだ。「アウトサイド・イン」は緊張を伴いながらも、質の高い観察を生む。質の高い観察は質の高いコミュニケーションの源となる。

 

マーケティングと販売活動

 ドラッカーの『マネジメント』の書には、「マーケティングと販売活動の違いは何か」という問いが出てくる。その違いは起点である。

 販売活動とは、「自分たちの売りたいもの」からスタートする。すなわち起点が「自分」である。対して、マーケティングとは、「顧客は何を求めているか」からスタートする。起点は「顧客」である。その違いが大きな差を生み出す。

誤った販売強化策

 「自分たちの売りたいもの」からスタートすると、苦労することが多い。たとえば、ある商品が最近売れなくなってきたとして、どこに原因を求めるか。

 「販売の努力や工夫が足りないからだ」と考えてしまわないだろうか。売れない時期にあっても、なかには卓越した販売スキルで売ってしまう人もいるかもしれない。それを見て、「もっと客先を回れ。電話をかけろ。気合いを入れろ」などと叱咤激励していないだろうか。

 そもそも、扱っている商品自体、今の顧客からは求められていないかもしれない。そうであれば、いくら販売強化をしたところで、根本的な解決にはならないはずである。

 売れない状況において無理な販売強化策をとれば、現場の意欲は削がれていくに違いない。「自分に実力がない」「この仕事に向いていない」などと思い悩んで、辞めてしまうことも多くなる。こうした職場では、人が定着しないのが常態になるだろう。

顧客のところに行って聞く

 一方、「マーケティング」の考え方を実践する会社は、ある商品が最近売れなくなってきたときに、どこに原因を求めるか。

言うまでもなく、マーケティングの原点に戻ってくるはずである。扱っている商品やサービスは、本当に顧客が求めているものなのかどうか、今の顧客が求めているものなのかどうか。あらためて顧客のニーズを確認し、商品やサービスに反映させていく取り組みがなされるに違いない。

 「顧客のことは、自分たちが誰よりもよく知っている」と思い込んでしまうと、外に出ない、顧客の声も聞かないといったことになりかねない。「顧客の求める価値は、顧客自身がいちばんよく知っている」と考えるべきである。

 とくに、経営者は、外に出て、見て、聞くことを仕事の中に組み込まなければならない。経営者の頭の中に、自身が現場にいたころの顧客や市場についての記憶が滞留していると、そのイメージをもとに意思決定してしまうということが起こりうる。

 意思決定は、今の現実を見て行わなければならない。ドラッカーが「経営者ほど意識して外に出て、現在の生きた顧客の声を聞かなければならない」と強調するのはそのためである。

流通チャネルの重要性 流通チャネルが製品を決定する

 ドラッカーは、「流通チャネルは、製品そのものよりも重要なことが少なくない」と意味深長な発言をしている。市場に関わる問題の多くは流通チャネルに関わるものである。

 製品は企業活動の一部である。しかし、流通チャネルは企業の一部ではない。社会という外なる世界との接点であって、事業の外延である。

 流通チャネルは顧客と製造者を結ぶものである。製品は、流通チャネルを通じて顧客に選好され、購入されたとき、はじめて価値に変換される。いかに有力な製品といえども、流通チャネルにぶら下がっているだけの有象無象に過ぎないともいえる。

 さらなる問題は、流通チャネルは企業がコントロールできない点にある。流通チャネルは与件である。製品をつくる企業のほうが、これに合わせなければならない。流通チャネルが製品を決定する。未来における産業の帰趨は、いかに新たな流通チャネルにふさわしい製品を創造できるかにかかっているといっても過言ではない。

顧客としての流通チャネル

 流通チャネルは、単なる取引先ではない。顧客でもある。製品や販売についての考え方が、顧客としての流通チャネルに適合していなければ、顧客としての流通チャネルに買ってもらえない。

 たとえば、書店とコンビニでは、消費者のニーズがまったく異なるのは当然である。大衆向けのコンテンツを手掛ける出版社は、流通チャネルがビジネスそのものであることをよく知っている。一方、知的に洗練された書物を手掛けながら、そうした事実を軽視している出版社もある。

 市場もまた、流通チャネルと同様の配慮が必要である。市場は顧客そのものであるとも考えられる。ときには、生産者側にとって好ましくない現実をも明らかにしてくれる。

いかに顧客に到達するか

 考えるべきは、顧客への到達のしかたでである。「顧客はどこにいるか」「いかに顧客に到達するか」「顧客に到達するルートはどのようなものか」。これは顧客としての流通チャネルそのものである。

 たとえば、一般の個人宅のセキュリティを提供する企業にとって、顧客はどのような人々だろうか。富裕層かそれに近い人々と考えてよいだろう。では、そのような人たちへ到達するルート、いわば流通チャネルはどんなものだろうか。あるセキュリティ企業は、外車のディーラーに目をつけたという。外車を購入する人々は、比較的裕福なことが多い。セキュリティにも関心が高いことが想像される。そのような考え方で、外車のディーラーの協力を得ながら、セキュリティのニーズを探していくということが行われたという。これは「顧客はどこにいるか」「いかに顧客に到達するか」という問いへの答えでもある。

 さらに大切なのは、「顧客から自分たちがどう見えているか」である。顧客の側からどう見えているか、反対から見てみる。顧客から自分たちに到達しやすいルートがあるかどうか。

 インターネットの影響が巨大なのはまさにそこであろう。ネットの世界は、はかりしれず巨大な流通チャネルである。それは、企業からという以上に、顧客から到達しやすいルートができたことを意味する。