智謀あふれるリーダーの条件

智謀のリーダーシップ

 「知識・情報を実践において智慧に変える。そして、『現在の立場においてなすべき仕事とは何なのか』という問いに答えを出せる人」を「智謀のリーダー」と定義。

 智慧を得るためには、まずは情報が必要だが、それを正しく分析しなくては意味がない。例えば、日中のGDP差は2倍だが、鉄鋼生産量は中国が日本の16倍です。これは、中国の高層マンション建設や車の生産が増えたことに加え、船舶を造り海洋戦略を強化していると読める。 

 このように、「情報において異常性をチェックし、相手が考えていることを見る」ことが大事であり、ビジネスの世界でも情報から同業他社の戦略を分析することで有利に仕事が進められる。

参考

    大川隆法 未来への羅針盤 No.242

参考

 「智謀」は、「アイデア」と言い換えてもいいかもしれません。

 皆さんは、アイデアとは、「ボーッとしていれば湧いてくる」「夢想していたら湧いてくる」、あるいは「ひらめきは天性のものだ」と思うかもしれません。しかし、私は実体験から、必ずしもそうではないと感じています。

 新しいものについて、学問的に、あるいはそうでない形でもよいので、様々に勉強して実地に使っていくのです。そのうちに疑問が湧いたり、さらに勉強すべきものが出てきたりします。これを積み重ねて、何層にも層をつくっていくなかに、アイデアをひらめくことがあります。

 知っているかどうかは大きいです。背景を知らないで、歴史上初めて発明するというのはなかなか大変なことです。歴史上初めてのことを思いつくことや、初めて思いついたことを応用して、違ったかたちにするというのはそう簡単なことでありません。

 

勉強を重ねていくこと

 新聞なども、消費税が三パーセント上がると、三パーセントぐらい読者が減るかもしれないと言われています。経営的には危ないかもしれないと言われているわけであり、何か”智謀”を発揮しなければ生き残れない可能性はあります。

 一体、何を考えるべきか ということですが、今のところ、産経新聞や読売新聞は幸福の科学の考え方に近寄ってきています。昔よりもっと歯切れがいいです。物事について、自信を持ってはっきり意見を言っています。

 今日の読売新聞も、書いてあることを見たら、幸福実現党の党首が言っていたこととよく似ていたので、「あれ? おかしいなあ」と思いました。うちのことを勉強されすぎているんじゃないか、と思うほどそっくりのことを書いていたのです。日本が国防の危機に直面していても何も反応しないことについて、「外敵に追われたダチョウが、頭だけを砂に突っ込んで隠れているようなものだ」と党首がよく言っていたのですが、同じことを書いてあったので、「あれ? どこかで聞いたような話だな」と思いました。

 マスコミは、当会の主張を勉強してそれを発信で使っています。当会の寛容なところかどうか分かりませんが、いいところというのは、勝手に引用しても誰も文句を言わないところです。非常に引用のしがいがあるのです。信者は喜ぶし、私の本を読んでいない人は何のことか分からないので、初めてのことのように見えるということで、たくさん使われています。

 とにかく、まずは「知ろうとする努力」が大事です。人間と動物との違いとは何でしょうか。体力面では、一般的には人間は動物に敵わないことが多いでしょう。小さい動物を別にすれば、大きな馬や牛と力比べをしても、たいてい勝てません。

 やはり”頭の勝負”なのです。現代は、勉強が基本であることは間違いありません。ですから、その中身が問題です。それを積み重ねるのは、毎日の自主的な努力だと思うのです。

 

まず正攻法で勝てる訓練を

 「兵は詭道なり」といって、人を騙したり惑わすような、予想外のことをやるという兵法もあります。奇襲をかけるなど、少人数で戦う場合の戦い方として詭道はありますが、基本的には正道を重ねて、まともに正攻法で勝てる訓練をすることです。ギリギリのとき、どうしても仕方がないときに変化形を使うことになります。

 野球でも、直球が投げられて初めて変化球が効いてきます。直球を投げられない投手で、「全部カーブが来る」と分かっているのでは駄目なのです。直球を投げられる投手が、カーブやシュートなど、いろいろな球種を入れるとバリエーションが出て、打者が打ちづらくなります。

 それと一緒で、まずは「直球」を投げる練習をしなければいけません。正攻法でやるべきこと、自分の仕事に合っていること、やらなければならないことについて、勉強をキチッとやることが大事です。

 例えば、人に献本しようとしても何にしても、話題が必要です。その時に、幸福の科学学園のチアダンス部が世界大会に進出した記事のコピーなどを持っていき、「こうなっているんですよ」と見せながら献本すれば、相手への説得力が二倍以上になるのは確実です。

 何にもなしに抽象的に話して、「学園もできて、すごいんですよ」と言っても、「へえ」と言われるだけです。でも、「新聞に広告が載っているでしょう?」「パンフレットに載っているでしょう?」などと現物を見せれば、説得力が増します。このように当たり前の努力をするのが一つです。

 

カエサルにみる「智謀」

 もう一つは、当たり前の努力をするなかで、誰もが考えたことがないことを発明することです。それができれば、それは素晴らしいことであって、一つの作戦です。

 今まで、他の業種ではありえても、宗教界ではかつて使われたことがない兵法を思いつくことができたら、他のところが真似してくるまでは独創的なアイデアとして使えるでしょう。

 幸福の科学はかなり手の内を見せている団体ですけれども、兵法として見えない部分があれば、勝てるところがあります。史上初めてというのは、けっこう歴史に遺ります。

 例えば、『ガリア戦記』などにカエサルの戦いが載っています。昨日、私はカエサルの戦い方を少し勉強していたのです。

 ローマ軍が現在のイタリアからヨーロッパのほうに遠征していくわけですが、今のフランスに当たるガリア地方で戦いが起きるわけです。

 対するガリア軍は、八万人が要塞に立て籠もります。それをローマ軍が五万人で取り囲み、さらに、そのローマ兵の外側に、ガリア軍の援軍二十五万人が到着します。そこには騎兵も数千騎ついていました。

 ですから、「ローマ軍五万 対 ガリア軍三十数万の戦い」になったわけです。これは、常識的にはローマの負けでしょう。内側には要塞があって八万人おり、外側には二十五万人以上がいる。挟み撃ちです。普通なら九十九パーセント、ローマ軍は粉砕されて、一人も生き残ることはできないはずです。

 そのとき、カエサルは何をしたかというと、ガリア軍の援軍が到着する前に、八万人のガリア兵が立て籠もっている要塞の外側に堀や防壁、土手のようなものをつくって、グルッと周りを囲っていたのです。

 これは、相手にとっては、まったく驚くべき奇襲です。要塞に立て籠もっている外側に土手をつくって、外から入れないように囲ってしまい、自分たちは、相手の兵がどこに集中して動こうとしているかが全部分かるように、火の見櫓のような高い櫓を幾つか建て、上から見ながら周りを囲っていました。

 これは、ガリア軍に対する補給を断つためにやったのです。外側から食糧補給をしなければ、中の人は籠もっていられませんので、補給を完璧に断ってしまったわけです。

 カエサルの戦いにより、外の援軍が敗走すると、要塞の中の八万人は「もう勝てない」ということで降伏し、ローマ軍はわずか五万人で三十数万人を降してガリアを平定したのです。 このような兵法を使う人もいます。

 

塹壕戦を発明したムハンマド

 宗教でいえば、ムハンマドの戦いもあります。

 ムハンマドがメッカで敗れて、メジナに逃れてくる時に、史上初の「塹壕戦」を発明したのです。私も何度か話したことがありますけれども、ヘルメスの霊的な指導があったようです。

 塹壕戦と言えば、今はよく使われる方法ですが、地上戦で弾が当たらないように、幅一メートルから二メートルぐらいの溝を掘って、溝から出て撃ち、そして隠れるのです。もちろん、溝に敵の弾が落ちてくると被害が出ますが、溝の外側に落ちれば、塹壕の中にいる人は安全です。

 ムハンマドは史上初めて塹壕戦で戦い、これまた、十倍のメッカ軍を破ったと言われています。これにより、ムハンマドは最終的に勝つことになりました。さらに弓矢も使ったらしいのです。こうした兵法によって勝ち、宗教指導者として天下統一をしてしまった人もいるのです。

 史上初めて思いつくようなものがあれば、それが相手に分かるまでは勝負のポイントとなる天下分け目のようなときに大きな効果を発揮します。

 日本でも、関ヶ原の合戦では石田三成の西軍と徳川家康の東軍とが拮抗していましたけれども、数の上では西軍のほうが優勢でした。

 かたや東軍は、歴戦の強者の徳川家康が大将をやっているのに、息子が真田軍に捕まって、まだ辿り着けていないという中で合戦が始まってしまいました。

 家康は西軍の小早川秀秋が寝返ることを予想していたのですが、なかなか動かず日和見していたので、小早川軍の陣地に弾を撃ち込んでしまいました。小早川が迷っているところに大砲を撃ち込んだので慌てて旗幟を鮮明にせざるをえなくなって、寝返ることを決めたのです。最終的に、それが戦いに勝つきっかけになりました。

 そうした時々の兵法や判断は大きく影響を及ぼすところがあると思うのです。

 

勝つべくして勝つ法

 基本的には、やはり自分のやっている仕事や任された仕事などに関係があるものを勉強し続けて反芻することです。実践に移しながら反芻することが基本ではありますが、それ以外の手を思いつけば、大きな勝利をもたらすこともありえます。それについても考えてください。

 幸福の科学も、過去、何度か”奇襲”を仕掛けたことがあります。小さいものが大きくなる段階では、弱者が強者に勝つための兵法として、誰もが使ったことのないような兵法や奇襲、あるいは迂回する戦略などいろいろ使います。小さいうちはそういうかたちでもいいのですが、大きくなったら、だんだんと正々堂々の陣で、勝つべくして勝つ方向に持っていかないと駄目です。

 豊臣秀吉も最初のころは、ほとんど死ぬと思われるような危険な撤退戦でしんがりを引き受けています。あるいは、織田信長が小谷城を攻めた時、浅井家に嫁に行っていた信長の妹を数名で救いに行くなど、命懸けで怖いこともやって、手柄を立てています。

 一方、天下の太閤になったあとは、負けない戦いをやっています。敵より多い人数で、正攻法で戦って勝つ。できれば血を流さないで、相手を臣従させてしまう、という兵法です。このように、成長相応の戦い方をしていかなければいけないということです。

 戦力的に小さく、弱者のときには、人が思いつかないようなツールを考えることです。それほどメジャーな力ではない場合には、人と変わったことも上手に使いながら、印象的なこともやりながら勝つ方法があります。ある程度仲間ができてきて強くなったら、堂々とした戦い方も大事だということです。

 例えば小さい宗教だと、騙して引き込む作戦をしますけれども、あまりこれをやると評判が悪くなります。

 オウム教でも、「カレーがタダで食べられますよ」などと言って呼び込み、カレーを食べさせると、次は「ヨガをやってみませんか」とヨガに連れていき、そして順番に奥へ引っ張っていく、という方法を取っていました。

 兵法というものはありますが、それが「詐欺」や「嘘」になってしまった場合は問題があるので、気をつけたほうがいいでしょう。

 

「大きな会社の場合、部下もないまま中年まで働いている方が多いと思いますけれども、部下がいようがいまいが、自分で判断して、なすべき仕事が分かるタイプの方はリーダーなのです。軍隊を例に挙げれば、空軍で、ジェットパイロットをしている人に兵卒(最下級の軍人)はいません。みな士官以上の地位を持っています。
 部下がなくても、ある程度、高い値段のものを与えられ、自由な戦闘を任されるような場合は、リーダー的なものの考え方ができる人でなければ向いていないでしょう。
 したがって、「智謀のリーダーシップ」について言えば、「智慧の部分を磨く」「いろいろな知識・情報等を集めつつ、それを実践において体得し、智慧に変える」「経営者としての悟り、あるいは、ビジネスマンとしての悟りのようなものを身につけていきながら、『自分が現にある立場において、なすべき仕事とは何なのか』という問いに対して答えを出す」、こういう人が、「智謀のリーダー」ということになるでしょう。」
(『智慧の法』)

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