LGBT について

 ひと昔前までは「誰にも言えない秘密」だった同性愛や性同一性障害。最近では”LGBT”という表現で知られるようになった。

 LGBTとは、Lesbian(レズビアン・女性同性愛者)、Gay(ゲイ・男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル・両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー・性別越境者)の各単語の頭文字を組み合わせた表現。近年では有名人が自らを LGBT と公言するなどしており、日本でも少しずつ認知が進んでいる。

東京都が「同性パートナーシップ制度」を導入へ

 同性パートナーシップ制度とは、自治体が独自の証明書を発行することによって、同性のカップルが異性間の婚姻と同じような行政・民間サービスを受けられるようにするものです。この制度は、同性間の婚姻を認める「同性婚」制度とは異なり、「婚姻は異性にだけ認める」という現在の法制を維持できます。

 東京都は、同制度によって認められる住居や医療などのサービスの詳細について検討を進めています。都内ではすでに、世田谷区や渋谷区が同制度を導入しており、都道府県では、茨城、群馬、三重、大阪、佐賀の5府県が導入しています。

 

社会に広がってよい考えか

 もちろん、LGBTの人たちに対して、社会は寛容であるべきだし、彼らに対する差別や人権侵害があってはならない。

 しかし、LGBTの是非を論じる言論が封殺されるなど、LGBTの権利が絶対視されることには歯止めが必要だろう。

 同性同士の結婚が増えていき、子供を産む人たちが少なくなれば、国が衰退し、人類の未来も危ういものとなる。

 日本人の国民性から見て、欧米のように法律を改正し、同性婚を認めるようなところまでいくことはないだろうと考えられますが、ある種の”優しさ”から、東京都に続いて全国の道府県が同性パートナーシップ制度を認める方向に進むようであれば、異常性のある世界に向かっていると言わざるを得ません。都道府県や市区町村は、パートナーシップ制度について慎重に考える必要があるでしょう。

 同性愛自体は、人類の歴史上長く存在し、完全に禁じることが難しいものであることも事実です。キリスト教圏を中心に増加する同性愛者の死後の行き先を分けるものについて、イエス・キリストの霊はこう指摘しています。

 「結局のところは、結果論的な問題になると思うのだけれども、『その同性愛的に生きた者が、ある意味で、この世的に見ても、魂の向上なり、人生の果実としてプラスのものを生み出したか』と見たときに、『単なる退廃や堕落に陥った』という結果につながることが多かったのではないかと思う」(『イエス・キリストに聞く「同性婚問題」』)

 神仏からこうした判定を受けているのであれば、性的少数者の人たちも、「神仏の眼から見て、魂は向上したと言えるか」「人生を通して、何かプラスのものを生み出したか」と自身自身に問いかけ、人生を振り返ってみることも必要なのかもしれません。

 

LGBTに対する正しい考え方

 幸福の科学大川総裁は、キリスト教に足りない宗教的真理について説明し、人々にこう訴えた。

「まず初めに神は男性と女性を創られましたが、私たちの教えでは人間の魂は男性としても女性としても生まれることができると示しています。私たちは新しい時代、現代社会を経験するために生まれ、新しい個性をつくっています。最も大切なことは、この世において肉体を持ちながら、いかに生きるべきかを学ぶことです」

 人間の本質は、肉体ではなく、神につくられた魂である というのが霊的な真実です。その魂を向上させるために、各人が男性または女性という性別を選んでこの地上に生まれ、さまざまな経験をして、再びあの世に還る。LGBTの人々の権利は一定の範囲内で認められるべきだが、すべてが認められるようになれば、国力が弱まり、社会は崩壊してしまうだろう。

 

人生の「目的」に立ち返る

 LGBTを考えるには、人間が何のために生まれてくるのかという「原点」に返る必要がある。

 転生輪廻の過程で、男性として生まれることもあれば、女性として生まれることもある。どちらの性で生まれるかというのも「人生計画」の一つであり、自分の魂経験に必要な環境を各人が自分で決めて生まれてきている。自分が今生きている性別には、魂を磨くための意味があるということです。

 過去の転生で男性に生まれたとしても、女性として転生することもあります。たとえば、男性として生まれた際に、女性を所有物のように乱暴に扱った人が、次の転生で女性として生まれ同じような経験をしてみることで、やっと他者の痛みが分かり、魂の成長に繋がることもあります。その場合、地上に生まれる前に自らが「人生計画」を立て、自分で性別を選んでいるのです。

参考

 男性の転生が多かった魂が女性として生まれれば、違和感を覚えることもあるだろう。だが、自分自身が「女性として生きることで、慈愛や調和の心を身に着けたい」と決意して選んだ結果かもしれない。だからこそ、持って生まれた性を受け入れ、与えられた人生を最大限に輝かすことが、自身の魂の向上につながる。

 LGBTが差別されてはいけないが、マイノリティを守ろうとするあまり、かえって多くの魂の成長を阻害するような論調にも気を付ける必要がある。

「(LGBTの人が全体のうち7~11%に上るという調査結果について)『そんなにあるはずがない。たいていの場合、それは”憑依霊”の問題ではないか』と思うのです。これには、『宗教としては、それまでは認めるわけにはいきません。憑依霊の人権までは認めません』ということを言っておきたいと思います。もし、それを単なる権利として認めてしまい、『どちらにでもなれる』というなら、地球での修行目的に反することになると思います」(『コロナ不況にどう立ち向かうか』)

 大川隆法総裁は、宗教的見地から厳しい見方を示しています。

日本におけるLGBTの割合は8.9%で、左利きの人と同じ

 霊査では、「たいていの場合、それは”憑依霊”の問題」であり、「強度の憑依霊として、異性の憑依霊が憑いてくると、憑いているものと行動がそっくりになる」ことが分かっている(『コロナ不況にどう立ち向かうか』)。憑依という宗教現象が、魂のオリジナルの個性と誤解されているのです。

 「憑依」というのは、死後、成仏できていない霊が、人間の体に入って影響を与えること。地上の人間が悩みや欲、不平不満、自殺願望など、マイナスな思いを悶々と抱えていると、それに同通する霊が引き寄せられて、意識に被ってくる。

 異性の憑依霊が憑いてくることで、憑いているものと行動がそっくりになり、男性がスカートを履いたり、色や食べ物の好みなどが変わったりするといいます。

 

色情霊や動物霊が多い

 さらに、霊査では、その憑依霊の正体として色情霊や動物霊と呼ばれるものが多いことが分かっています(『メタトロン・ヤイドロンの霊言』)。

 色情霊とは、性欲に翻弄されたまま死んだ者の霊。動物霊は文字通り、キツネやヘビなど動物の霊で、野性的・本能的な性欲が極めて強い。

 実際、同性愛などの指向を持つ人に、「性的な話題についてオープン過ぎる。関心事に占める比重が大きい」といった人が多いことが昔から指摘されてきた。これは決して事実無根の見方とは言えない。アメリカの統計では、「『この1年間で、4人以上と交際した』と答えた人が、ゲイ・レズの方が、ストレートよりも約3倍」という調査結果がある。ある地域では、「同性愛者の43%が生涯で推定500人以上、28%が1000人以上の交際経験がある」という調査もある。これらが示すのは、純粋な愛や心の結びつきではなく、色情霊の影響を受け、動物的な快楽に引っ張られている人が結構いるのではないかということです。

参考

 宗教的視点から見れば、憑依霊の人権まで認めるわけにはいきません。

 性別も今世の修行に合うものを、納得して生まれてきています。霊的真実を無視しての過剰な擁護や推進は、本当の弱者救済とは言えないでしょう。

 

カルマの刈り取りや魂修行のため過去世と性が変わることも

 一方、性的違和感などを訴える人たちの中には、「生まれる前」に要因がある人も一部いることが分かっています。「前世で女性だった人が今世 男性で生まれた」「前世で男性だった人が今世 女性で生まれた」ということは、数多く確認されている。そうしたこともあり、その性で生まれたことに対して魂レベルで「異議申し立て」をしていることがあるという。

 しかし、そこで仮に違和感、不満を感じたとしても、「今回生まれた性の中に魂修行の課題があるのだから、与えられた環境の中で花を咲かせなさい」というのが神仏の命なのだということは知っておいたほうがよいでしょう。

 現に過去世と性が違っても、今世与えられた性の中で、その性らしい個性を発揮して、立派な人生を生き切る人はたくさんいる。また、「過去世で女性を奴隷のように扱ったため、今世は逆の立場を経験させられている」というようなケースがある。

 宗教的視点を持てば、今世だけを見て全てを判断できるわけではないことが分かる。

 

生まれた環境の中に魂の修行課題がある

LGBTQが一般化する先に幸福はない

 そもそも、なぜ神は男女を分けて創られたのか。この霊的真実を知らなければ、LGBT問題は本当の意味では分かりません。

男女が分かれている理由

 人は誰もが魂修行のため、何度も生まれ変わっている。その長い転生輪廻の中で、ある時は男性に生まれ、またある時は女性に生まれ・・・と、男女両方の人生経験を積む人もいる。なぜ、人間は男女を選んで人生を送るようになっているのか。それは、「違うタイプの二種類の生き物で、お互いに協力したりしながら生活を送るほうが魂の進化になる」という、根本仏の慈悲の思いからです。

 

男女の存在があるからこそ魂修行が進む

 神仏は「この世の男性、女性の役割で、一定の修行をせよ」ということを教えている。代表的な例を挙げれば、男性は家族を守るために仕事などを通じて責任感を育んでいる。対して、女性の魂の本質は調和であり、家庭の調和がその出発点である。

 このような役割の違いをもって互いに協力し、切磋琢磨し合いながら家庭を発展させる。それが社会の調和や発展にもつながる。結婚にはそのような意味もある。

 そして、例えば今回は女性として夫を支え、子供を産み育て、家庭を調和に導くことを学んだ魂が、次の転生では男性で生まれ、責任感を持って家族を守り、仕事をして経済面でも支えるという修行を通じて魂の器を広げるということもある。

 もしも、単性生殖のように、男性しかいない中で「男性から男性が産まれる」ような世界では、人生の変化が乏しくなるため、魂としての経験量が落ちてしまう。男女の二種類がいるからこそ、修行が進むのです。

 このように、必ず理由があって性別を選んでいることを考えると、たとえ今世の性が一見不本意に思えても、「今回、生まれたそれぞれの性の中で、やるべきことをきちんとやりなさい、花を咲かせなさい」と神仏に命じられていると考えることが大切だろう。人生はわずか万日ほどであり、必要ならば別の転生において、逆の性で生まれることもできる。長い転生の過程で、魂の平等性は担保されていると考えるべきでしょう。

 「今世の性を勝手に変えてもよい」という風潮があるならば、それはある意味で「信仰心の薄れと同じものがある」と言ってもよいでしよう。

 旧約聖書の『創世記』には、「性で堕落したソドムとゴモラという二つの町が全滅した」という”史実”が記されているが、今の風潮が拡大していけば、「先に待っているものは、たぶん、あまりいいものではないだろう」という天上界の懸念(警告)も出始めている。

 性差もまた「人生の問題集」である。そう考えて、魂を最大限に磨くよう努力することが、人間として望ましい生き方ではないでしょうか。

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