なぜ日本軍は太平洋戦争で負けたのか 振り返るべきは「敗戦した原因」

 日本が戦った先の大戦は、侵略戦争ではなく自存自衛の戦いでした。南京大虐殺や従軍慰安婦などのウソの歴史に対して、反省をしても意味はありません。

 反省するのであれば、「なぜ日本は負けたのか」を考えるべきでしょう。

 

聖徳太子以来の国体に背いた

 先の大戦における日本の敗戦の原因は、聖徳太子以来の国体に背いたことにある。

聖徳太子以来、仏教と神道が融和しながらこの国を運営してきたのに、明治以降は国家神道となり、仏教に対しては、「廃仏毀釈」(お寺や仏像を打ち壊すこと)を始めた。

 そのように仏を軽んじた祟りが、敗戦のもとになったのであり、日本の神々の驕りが少し戒められたのだと見るべきである

 幸福の科学大川隆法総裁は、『救世の法』で次のように説かれました。

「宗教が尊敬を勝ち得ていない理由としては、やはり、先の大戦における敗戦が大きいでしょう。ただ、「先の大戦における日本の敗戦の原因は、結局、聖徳太子以来の国体に背いたことにある」と、私は思うのです。聖徳太子以来、仏教と神道が融和しながら、この国を運営してきました。「外側は神道、中身の教義は仏教」というかたちで、助け合ってやってきたのに、明治以降は国家神道となり、ほかの宗教は弾圧されました。明治維新では、天皇を押し立てて革命を起こしたため、日本の国を、もう一段、一神教風にしたかったのでしょう。天皇を「現人神」にし、仏教に対しては、「廃仏毀釈」と言って、仏を廃し、お寺や仏像を打ち壊すことを始めました。そのように仏を軽んじた“祟り”が、やはり、第二次大戦の敗戦のもとになったのではないかと思います。他の宗教への寛容の姿勢を失わなければ、あそこまで、ひどくて醜い間違いはなかっただろうと思うのです。日本神道を一神教として立てて、ほかの宗教を排除しようとしたことの“祟り”が、先の敗戦の原因であり、日本の神々の驕りが少し戒められたのだと見るべきです。」

 

日本軍は兵站を軽視した

 日本軍が太平洋戦争で負けた最大の要因の一つは、兵站の確保が十分でなかった点です。

 兵站とは、戦場に部隊を移動させる際に発生する軍事業務のことです。例えば、物資の配給や整備、兵員の展開などが挙げられます。

 太平洋戦争に突入した日本軍は、南方作戦(東南アジア)で次々と勝利を収め、大規模な支配領域を得ます。広大な地域を守り続けるには、それだけの海上輸送が必要。ところが、アメリカが日本の輸送船を沈めることを優先した結果、アメリカと戦う前に餓死してしまう日本軍の部隊が相次ぎました。

 補給線を断たれたガタルカナル島では、2~3万人の日本兵がいましたが、実際に戦える人数は8千人に過ぎなかったと言われます(多数の餓死者を出たことから、同島は餓島(がとう)と呼ばれた。)。

 そもそも、日本軍は対米戦争を短期決戦で済ませようとしたため、兵站を軽視した部分もあります。実際、開戦前の1941年、近衛文麿首相から対米戦争の見通しについて聞かれた山本五十六・連合艦隊司令長官は次のように答えました。

 「ぜひ私にやれと言われれば、1年や1年半は存分に暴れてごらんにいれます。しかし、その先のことは全く保証できません」

 このような意見は誰もが考えていました。そうであるならば、日本は和平交渉で有利な条件を引き出すために、アメリカの反攻作戦をできるだけ引き伸ばす必要がありました。ところが、日本軍は、真珠湾を攻撃した際、戦闘艦のみに攻撃を仕掛け、兵站の一つである石油の備蓄庫を攻撃しませんでした。大量に残された石油は、アメリカ機動艦隊のガソリンとなり、反攻作戦を遅らせることはできませんでした。日本軍を敗北に追い詰めた原因は、すでに開戦初日にあったのです。

インパール作戦は補給を軽視

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