インパール作戦は補給を軽視

 戦局が悪化しつつあった1944年。日本軍は、米英ソなどによる中国国民党軍への補給路「援蒋ルート」の遮断という目的を達成するため、その拠点だったインド北東部の都市インパールの攻略を目指しました。

 3つの師団からなる総勢約9万人の日本軍は、1944年3月、最大470kmの行程を踏破する作戦を開始。第31師団はビルマ(現ミャンマー)のコヒマに向けて進撃し、残りの2個師団は3方向よりインパールを目指します。

 ところが、作戦が順調だったのは最初だけで、険しい道のりによってなかなか思うように行軍できません。作戦も、雨季に入る前に終わらせるべく 3週間という短期決戦を予定し、兵士にはわずかな食糧しかなく、食糧といっても荷物を運ばせた後の牛を食べるような計画でした(ジンギスカン作戦)。

 対するイギリスは、空から食糧や武器を輸送し、「持久戦」で日本軍を追い詰める作戦に出ます。日本軍は、次第に補給が充実するイギリスに押され、武器弾薬も尽きつつあったことから、現地の将兵からは作戦変更を求める声が出ます。

 牟田口中将はこれを拒否し進撃を厳命。これに対し、コヒマを目指した第31師団の佐藤幸徳中将が、5月末司令部の命令に反し突然撤退を開始します。これは明確な軍規違反ですが、佐藤中将は補給がないことを理由に兵を引いたのです。

 その後も、日本軍の損害が拡大し続け、牟田口中将は、7月作戦中止を命令。退却戦に入った将兵は、感染病のマラリアや飢えに苦しむだけでなく、イギリス軍の猛攻撃を受け、相次いで命を落とします。退却路に沿って並ぶおびただしい数の遺体は「白骨街道」と呼ばれる有様で、日本軍は機能不全に陥ります。

 NHKの番組によると、戦死した日本兵のうち約6割が撤退中だったことが戦没者名簿によって判明しました。この退却の模様については、「みんなひどい下痢で動けなかった。葉っぱでお尻を拭いてあげた。世話をしている兵士が毎日死ぬので怖かった」「転ばないうちは、歩いているうちはハゲタカもかかってこねえけど、転んでしまえばダメだ。いきなり襲いかかってくる」などという、元日本兵の声を紹介しています。

 日本軍は、この戦いで約3万人の戦死者を出しますが、イギリスも多くの兵がマラリアにかかったことで、戦傷者は約2万5千人を数えました。

 作戦の敗因は「補給の軽視」。牟田口中将はそれを知りながら、部下に無理強いさせた無能な将軍と評されています。

 

インパール作戦は国際公約だった

 では、なぜ、そのような「無謀」な作戦が実行されたのでしょうか。

 注目すべきことは、この作戦の目的が援蒋ルートの遮断という軍事目的の他に、インド独立のための戦いであったのです。

 作戦遂行の数ヵ月前の1943年11月、アジアの独立国代表が東京に集まり、「大東亜会議」が開かれます。この会議の席上で、ビルマのウー・バー・モウ首相は、「我々多くの者が長い間さまよい、救いを求めて与えられなかった荒野から我々を救い出してくれたのは、東洋の指導者国家日本であります」「自由なるインドなくして自由なるアジアは存在しない」などと発言。

 自由インド政府首班のチャンドラ・ボーズは、「他国は、あるいは英国と講和ができるかもしれませんが、インドとしては絶対に英国と講和はできない」「(大東亜宣言が)全世界の被抑圧民族の憲章たらんことを祈る」と熱弁を振るいました。

  『大東亜戦争は植民地解放戦争』と位置付ける東条英機首相は、「日本は、いよいよインド独立のため、全幅の協力をする決意」と応じ、日本がインド独立のために戦うことを国際公約したのです。それがインパール作戦につながりました。

 

牟田口中将は作戦をどう見るのか?

 無謀な戦いと評されているインパール作戦。この作戦の真実をひも解く鍵となるのは、『インパール作戦の真実 牟田口廉也司令官の霊言』です。牟田口中将の霊は、補給について以下のように述べています。

 「確かに、ビルマあたりであれば農村地帯であるから、『食糧は自分たちで補給をつけろ』って、日本の、まあ、東京が言いたくなるのは分かるし、海から輸送船で送ったって、どうせ撃沈されるぐらいのことなので。もう、1944年にもなれば、制海権・制空権とも、ほとんど厳しくなっていたのでね。『私のこの作戦で勝たないかぎり、もうあとはないな』というのは、私は思っていたから。」

 牟田口中将が背水の陣で戦わざるをえなかったことが分かります。さらに続けて、「戦は難しいんだけど、とにかく、今までの日本の戦いも、別に、勝てる戦いではなかったんで、計算上はね。計算だけすれば、勝てる戦いじゃなかったものを、まあ、神風なのか、神のご加護なのか、あるいは、軍人たちが本当に英雄だったのか知らないけど、苦難を乗り越えて日本の発展・興隆を導いてきたんで、われら愚将、ほんとに立場がない状態だがなあ。もっと優秀な、乃木さんだったら、アラカン山脈を越えられたんだろうか。うーん、分からんなあ。」と述べ、自身に落ち度があったことを認めます。ただ、作戦については「インドを解放する目的があった」とし、戦後のプロパガンダや左翼メディアの洗脳を問題視しました。

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