ヘルメス思想

 エル・カンターレは、神秘思想と合理的思想の両面をもっている。それは、この地球での生命活動についての基本的な考え方がそこにあるからです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『神秘の法』で以下のように説かれました。

「ヘルメス思想は、宗教だけではなく、近代科学の基礎も成しています。ヘルメス思想のなかには、「宇宙というものは、太陽を中心にして、その周りを天体が回っているのだ」という、太陽中心の思想があります。ところが、この世の実証的な科学においては、過去、長いあいだ、地球中心の天動説が採られていました。天体を観察した人たちのほとんどは、「地球が中心で、地球の周りを天体が回っている」と考えていたのです。それに対して、コペルニクス(1473~1543)は地動説を唱えましたが、その底流にはヘルメス思想が流れています。ニュートン(1643~1727)も、底流ではヘルメス思想の影響をそうとう受けています。  また、近代において、「人体には血管があり、血液が人体を循環している」ということが、ハーベイ(1578~1657)によって発見されましたが、それ以前に、セルベトス(1511~1553)は、ヘルメス思想の「円環的時間概念」の影響を受けて、血液の肺循環説を唱えています。このように、近代科学は、意外に、この霊界思想の影響を受けているのです。 西洋の自然科学というと、人々は、すぐにアリストテレスを思い浮かべ、「アリストテレスが祖となって自然科学ができ、それが近代科学につながった」と考えがちです。しかし、アリストテレスは、言葉による論理的な実証には非常に情熱を注ぎましたが、数学的証明は好きではない人でした。そのため、アリストテレスの影響を受けた思想の流れのなかでは、現代のような、数学に裏付けられた自然科学の発展はなかったのです。そういう自然科学はヘルメス思想のほうから出てきています。エジプトのヘルメス思想は、ギリシャにも入って、ピタゴラスなど、ギリシャの数学者たちにも、かなり影響を与えています。ヘルメス思想は、オカルトといえばオカルトなのですが、現代の科学にも、かなり大きな影響を与えていて、それとも親和性があります。まことに不思議な感じがしますが、ヘルメス思想は、この両面性を持っているのです。あるいは、釈尊も、心の世界における悟り、魔との対決などを取り上げてみると、神秘思想家であることは間違いないのですが、彼は、神秘思想家であると共に、合理的な思想もかなり持っていました。この世的にきちんと合理的な、“前捌き”のうまい思想も持っていたのです。これが、エル・カンターレの持っている二面性、両義性なのです。なぜ、こういう二面性、両義性を持っているのかというと、この地球での生命活動そのものについての基本的な考え方が、そこにあるからです。「地上での生命活動そのものを有意義ならしめよう」という思いがあるため、この世においても、ある程度の実現可能性のある思想が出てくるのですが、それに足をすくわれて、あの世を完全に否定する動きにならないように、その反面として、必ず、神秘的なもの、オカルト的なものを出しているのです。ときどき、霊現象や奇跡など、神秘的な現象をいろいろ起こして、人々の理性に揺らぎを与えるわけです。」

 

 ヘルメス文書で説かれているヘルメス思想はどのような内容なのでしょうか。

 ヘルメス思想はとても霊的な思想で、中心概念は「この世とあの世の転生輪廻」です。

 ヘルメス思想の主な特徴は、以下のようなものです。

 高次な智慧と認識力を得るため、人間は転生輪廻を繰り返す。

 人間の心は、神の心と同じ性質を持つ。

 霊界と地上界は互いに影響し合う。

 ミクロコスモス(小宇宙)の構造は、マクロコスモス(大宇宙)の構造と一致する。

 究極の神のエネルギーが分光して、多様な個性の神として現れる。

 

 アレクサンドリアの繁栄の元になった

 アレクサンドロス大王は東方遠征し、紀元前331年にエジプトにアレクサンドリアという都市を建設しました。それ以降、アレクサンドリアはヘレニズム時代の最も文明・文化の発達した都市となりました。そこにあったかの有名なアレクサンドリア大図書館などで、ヘルメス思想は新プラトン主義の哲学とともに広く学ばれ、多くの天才を生み出しました。

 2世紀のアレクサンドリアには、重要なヘルメス文書は42巻あったと言われています。しかし、4世紀から5世紀にかけてのキリスト教徒による弾圧で、その大部分が失われました。現存するヘルメス文書の多くは、前1世紀から3世紀にギリシャ語に翻訳されたものと考えられています。

 5世紀前半、アレクサンドリアでキリスト教徒による異教徒への弾圧がさらに激しくなると、学者や思想家はヘルメス文書を持って各地に逃れます。その結果、ヘルメス思想はイスラム世界に広がりました。さらに、イスラム教国だったスペインやイスラム世界へ遠征していた十字軍兵などを通じてヨーロッパにも広がっていきました。

 

ルネサンスの底流に流れるヘルメス思想

 1460年、フィレンツェ共和国の大富豪コシモ・デ・メディチは、東ローマ帝国から「ヘルメス文書」を入手するとすぐにラテン語に翻訳させました。グーテンベルグの発明した活版印刷技術により、貴族や権力者階級だけでなく、商人や起業家、画家や詩人など幅広い階級層にヘルメス思想は広がりました。これにより、ルネサンス運動は加速されました。

 「ルネサンス」は「再生」という意味です。ヘルメス思想の中心概念は、「再生」「復活」であり、ヘルメス思想の再発見がルネサンスの引き金となりました。アレクサンドリア最盛期と同様に、ルネサンス期においても、科学や芸術、文学、宗教などがすべて統合して研究されたのです。

 

コペルニクスやニュートンも影響を受けた

 ヘルメス思想に影響を受け、16世紀半ば頃から、コペルニクスやケプラー、ニュートンなどが近代科学を切り拓いてきました。コペルニクスは、天文学を「神へ至る道」と捉え、ある著書の最初にもヘルメス・トリスメギストスの「太陽は目に見える神である」という言葉を使っています。ニュートンは、ヘルメス思想から生まれた錬金術に関する文書や、錬金術の基本思想が記された本「エメラルド・タブレット」の英訳と解説を残しています。

 このように、表向きのキリスト教の水面下を流れる形で、ヘルメス思想は西洋文明の源流をなしています。

 そして今、トス神・ヘルメス神の生まれ変わりである大川隆法幸福の科学総裁が、二神を超える霊的な教えを多数説いています。今後、この教えを信じる人が多数現れた国に、文化・文明の高まりが興ってくるでしょう。

(『神秘の法』より)

 本当のルネサンスの原動力は何だったのか。いまだに定まった解釈はありませんが、私は、その原動力はヘルメス思想だったと考えています。

 ヘルメス思想とは、ヘルメス神の教えをまとめたものとされた一連の書籍群『ヘルメス文書』の思想のことです。この文書自体は、前3世紀頃から後3世紀頃にかけて編集されたものだとされています。

 しかし、その思想の淵源は、さらに古代に遡るものともいわれ、研究者によっては、モーセの時代よりさらに古い時代に導師ヘルメスが活躍し、その教えが残されているものだと考える人もいました。

 こうしたヘルメス思想の本当の歴史は、大川隆法著『神秘の法』などで明かされています。そこには、4300年前、ギリシャに降臨したヘルメス神が説かれた教えがもとになってヘルメス思想が継承されてきた歴史について記されています。

 ルネサンスで真に復活したのは、このヘルメス思想でした。それまでも、この思想は細々と読まれていました。例えば、ダンテもヘルメス思想家だったことは確実で、その思想に基づいて『神曲』を書いたと言われています。これがルネサンスの先駆けです。

 ヘルメス思想の研究が本格化したのは、15世紀末です。ギリシャ語で書かれていた『ヘルメス文書』が、ヨーロッパの知識人における共通語であったラテン語に翻訳され、1471年、『ピマンデル』というタイトルで、イタリアで出版されたのです。その後10年間で、50種類以上の翻訳本が発刊されました。当時、活版印刷が発明されていたため、一気にヘルメス思想がヨーロッパに広まったのです。

 ヘルメス思想は、キリスト教の思想と異質なもので、人間の尊厳や可能性を一気に引き出してくれる、希望に満ちた思想でした。その思想が、多くの人々の本来の力を目覚めさせて、ルネサンスが起きたと考えています。

 多くの日本人の方々は、ヘルメス思想という言葉を聞いたことがないと思いますが、欧米では有名で、オランダのアムステルダムには、ヘルメス思想関連の書籍を集めた図書館「ビブリオティカ・フィロソフィカ・ヘルティカ」があるくらいです。

 

ヘルメス文書

 古代エジプトの思想を形成してるのが、アトランティス時代のトスであり、古代ギリシャの時代の英雄ヘルメスでした。

 この霊界の秘儀を語ったヘルメスの教えが、現在まで「ヘルメス文書」として伝わっている、という事実こそが、今から四千年前に実在していた英雄ヘルメスが、ほんとうは何者だったのかを雄弁に語っている。

 大川隆法総裁は、『神秘の法』で以下のように説かれました。

「西洋のオカルティズムの源流を尋ねていくと、古代のエジプトやギリシャに辿り着きます。エジプトでは、「ヘルメス・トリスメギストス(三倍偉大なヘルメス)」、あるいは、「トート=ヘルメス体制」ということが、よく言われています。トートとヘルメスは別の人なのですが、エジプトの神話では、両者が一体のものとして扱われていて、なぜトートとヘルメスが一体なのか、人々にはよく分からないまま、それが現代まで伝わっています。

 幸福の科学で説かれているように、トートというのはアトランティスのトスのことであり、ヘルメスとは、ギリシャに生まれたヘルメスのことです。したがって、これは「トスとヘルメスとは一体である」ということなのです。このトートとヘルメスを合体させた神が、「ヘルメス・トリスメギストス」「三倍偉大なヘルメス」という名前で呼ばれ、ギリシャのヘルメスの思想と、アトランティスのトスの思想が合体して、古代エジプトの思想ができているのです。キリスト教以前の宗教世界である古代エジプトでは、ピラミッドがつくられ、転生輪廻が信じられていました。また、彼らは、「霊界にある天上界の姿の投影されたものが地上のエジプトなのだ」という思想を強く持っていました。古代エジプトの人々にとって、あの世の存在は当然のことであり、彼らは、「人間は、この世とあの世を行ったり来たりしている存在である」ということを明確に知っていたのです。そういう霊界思想をまとめたものが「ヘルメス思想」であり、それは、「ヘルメス文書」といわれるものとして遣っています。このヘルメス思想の影響を非常に強く受けているのがキリスト教です。キリスト教の思想のなかには、このエジプトの思想がかなり入っています。エジプトの神秘思想であり、霊界の秘義を伝えるヘルメス思想は、イスラム思想のなかにも流れています。イスラム教のなかの神秘思想には、このエジプトのヘルメス思想がかなり入っていて、その底流を成しています。それは、キリスト教に影響を与えたものと同じものです。このヘルメス思想はヨーロッパにも流れてきています。ヨーロッパには神秘思想が数多くあり、それは中世以降も生き延びています。現代でも、「薔薇十字」や「フリーメーソン」という名前を聞くことがありますが、そういう秘密結社の思想に流れているものも、古代のヘルメス思想という、霊界の神秘思想です。ヘルメス思想は思想的に西洋の源流を成しているのです。」

 脱原発を主張する日本の宗教勢力、この世の無常を説く仏教、清貧の思想を説くキリスト教。一般的に社会の繁栄と宗教は相容れないイメージがあります。

 しかし、西洋文明の繁栄の流れの水面下に、常に「ある神秘的な思想」の存在があったことをご存知でしょうか。それが古来より伝わる「ヘルメス文書」に記されている「ヘルメス思想」です。

 

ヘルメス文書はエジプト神官が受けた啓示

 古来からエジプト人は、このように考えてきました。

 「エジプトで古来から信仰されてきたトート神が、ギリシャのヘルメス神に生まれ変わった。そして、ヘルメス神とトート神が霊界において一体となり、エジプトの2千年以上の繁栄を指導した」

 そして、エジプト人は、トート神をヘルメス神と同一視するようになり、「偉大、偉大、偉大なるトート神(三倍偉大なヘルメス)」がギリシャ語に訳されて、「ヘルメス・トリスメギストス」と呼ばれるようになりました。

 幸福の科学の霊査によると、トート神とは、約1万2千年前、アトランティス文明の最盛期を築いた大導師であるトスを指します。ヘルメス神は、4千数百年前にギリシャに実在した方で、ギリシャ文明の繁栄を築きました。

 トスとヘルメスは、「人間はこの世とあの世を行き来する存在である」と人々に説き、その思想が合流して古代エジプトに伝わっていたのです。

 そして、ヘルメスから霊的な啓示をうけたエジプトの神官が、伝説上の神人ヘルメス・トリスメギストスの著作と称して「ヘルメス文書」を書いたと言われています。

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